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もう本当に誰かの良い子になろうとするのをやめよう

こちらはトントご無沙汰しておりました。
いつもは

とか

とか

なのですけれど、
ちょっと全てから離れてラフに書きたい欲が
出てきたのでこちらに書いてみたいと思います。

ラフに書きたい…日頃の↑でのUPはやはり
色々考えて書いています。セラピストとしての立場を
崩さないようにみたいな感じで…

先日セッションをさせていただいたのですが
そのクライアントさん含め、私のところに
いらしていただくクライアントさんに私がまず
感じるのは、

『みんなとっても良い子をしてきて今もずっと
そうしなければ…と思って生きていて
なんだかもうそれ無理、でももう今更
やめられない、でも疲れてグッタリ…』

となってしまっていること。

みなさんめちゃ良い人をしてらしていて…

ご自身のセッションに来ているだけなのに

『うまく説明するには』
『ちゃんと話さないと』

となってしまって、セッションする側の私は
どんな話だろうが、どんな生い立ちだろうと
どんな現状だろうと、かまわなくて、
そのストーリーにしてもそんなに覚えている
こともなきて、セッションの内容にも実は
あまり関係なくて…
(話したくない人は話さなくても大丈夫なので)
だからランダムで思いつくままでもなんでも大丈夫。
なのだけれど、
みなさん、
『ちゃんと伝わるようにちゃんと話すには』
への意識がすごい。
そしてそれは社会生活を営む上でも同じで
周りの人のことを”どうすればわかるか??”
と言うことだったり
”悪く思われないように自分はちゃんとできているだろうか?”
と常に考えて行動していて、
それって言葉を変えると
”自分で自分を勝手に監視してる状態”を作ってしまってる
感じじゃないかな〜と…
これ疲れますよね。ものすごく。

で、これを”周りのため”にしてめちゃ良いことしている
という感じに無意識下で自分ではなってしまっていて
”自分で自分のこと監視”していたら
見た目は温和で良い人のようでも
”周りに対しても厳しい視線”があるはずなのですよね。

で、それは例えばパートナーとの関係性、家族との
関係性で
”私はこれだけ気を使ってやっているのだから
そっちもそれを上回るくらい私に気を使って欲しい”
を直接言えたらまだいいかもだけれど、
無言で心の中で言いまくってると思うのですよね。

だって、バランス取れないから。

で、良い人の装いである”周りにめちゃ気を遣う”
のは
私的には”自愛欠損”の証と思います。

本当に自分が愛おしくて大事だとね
”周りなんて全く気にならなくなる”

そういうものだと思うのですね。

いや〜しかし、教育ってすごいですね。
骨の髄まで浸透している…
私も散々親に言われましたよ…
例えば
「自分がお茶を飲みたいと思ったら
他の人にも入れなさい」とか…
そんな、他の人も飲みたいかなんて
わからないですよね。
あと親を敬え、目上を敬え、年長者を…
とか…
日本は兎角、周りへの気遣いについての
教育がものすごいと思う。
それがおもてなしの文化の構築にも
なってるのかもしれないけれど…
自分以外、自国以外の人には
おもてなし、気遣いして
自分や自国はどうでもいい。

これじゃ自分の本音、本当の自分も
わからなくなるのは必然。
どんどん住みにくくなるのも必然。

ここで本当に誰かの良い子を辞めに
おしまいにして
しっかり自分取り戻さないと。
本当に生き難くくなってしまう。

自分が自分としっかり繋がれていたら
どんな環境でも捉え方が変わるから
そんなに酷いこともなくなるって思う。

人生100年時代とも言うけれど
今、オーバー50でも手遅れなんて
ことはないから
気付いたらやった方がいいよ
自分を見つめ直すこと。
簡単なことではないけれど
でもそれをしたらものすごい
今の自分では想像のつかないこと
が起きる。