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【第4章】ユニクロ常連客の外資系金融マンとCSスタッフ賞受賞の美人現役スタッフ

暗かった高校生時代、ユニクロ町田店に通い詰めていました

 本書のもとになったウェブマガジンの連載は、大反響ではないが意外な人達から感想メールが届いた。その1人は大学時代の後輩。なんとユニクロ町田店の「常連客」だったという。

<旧ユニクロ町田店…実は私の実家から徒歩10分でして、(小学校は町田市立成瀬台小学校でした)1994年(当時高校2年)から、通い詰めていました。当時はユニクロはただ安いだけのお店で、なぜか知らないけど「Led Zeppelin」や「Doors」、「Rolling Stones」などのTシャツを売っていて、詰襟だった高校時代の私服はほとんどがユニクロ町田店で買っていた「ロックンロールTシャツ」でした。成瀬台には12年住みましたが、栄光ゼミナール成瀬校で教えた後に必ず安楽亭で焼肉食べてたことを思い出します>

 1994年といえばユニクロ町田店がオープンした年である。フリースブームが始まる4年も前から「通い詰めていた」客が身近にいたとは……。
 メールをくれたのは、大学卒業後は外資系金融機関で働いている竹内(34歳)だ。彼が大学4年生まで通っていたら、2000年3月に配属されて半年間働いていた僕と店で会っていた可能性は高い。お礼のメールを返すと、より具体的で個人的な内容が送られてきた。

<私は1984年(当時6歳)に世田谷のマンションから東玉川学園の一軒家に引っ越してきました。その後、付近の住宅価格は急騰し、バブル期のピークまで、昭和薬科大学の開発とあわせて造成された住宅街は、なんと1億5000万円の値段をつけ、その後は目を覆わんばかりの暴落を見せた地域です。小学校2年から5年まではアメリカに住んでいて、帰ってきて再び編入した成瀬台小学校では「アメリカンボーイ」と強烈ないじめにあい、逃げるように受験して入った私立海城中学・高校では、暗い暗いくらーーーい、大学受験勉強生活を送り、受験前3ヵ月間はひたすら駿台町田校の自習室に閉じこもり、ご存知一橋大学には、直線距離にすれば近いのに、横浜線で八王子を周って通学するという片道1時間半コースで、バイトは栄光ゼミナール成瀬校で教えてました(3年間)。町田に住んでいた時代に戻りたいか? と聞かれると、絶対戻りたくないのですが、町田周辺を訪れたいか? となると、とても訪れたいです。あの苦しい苦しい時代がすべての原点だったのと、10歳から18歳までの勉強と学校以外の記憶は、駿台町田校の近くのカレー屋さん、成瀬高校の隣にあったユニクロ、もう少し先にある「味の民芸」くらいしかないから、というのが理由です>

 この男、暗い「ガリ勉青春」を送っているなんだか僕と似ている。これも何かの縁である。元スタッフを訪ね歩く旅からは脱線するが、インタビューさせてもらうことにしよう。
 ある平日の夜、神田神保町の中華料理店・揚子江菜館に行くと、ひげ面、Tシャツ、短パンにサンダルというラフな格好をした竹内がすでに座っていた。
 まずは彼のメールに出てきたマイナーすぎる地名と位置を確認しておこう。
 JR横浜線の成瀬駅を降り、南成瀬の町を徒歩15分ほど北上すると成瀬街道にぶつかる。その角にある成瀬高校裏の小さな立地でユニクロ町田店は2002年まで営業していた。
 ユニクロ町田店から、成瀬街道を西に3分ほど歩くと焼き肉チェーンの安楽亭がある。東に5分ほど行くと和食チェーン・味の民芸があり、さらに進むと神奈川県横浜市青葉区に入る。成瀬街道を渡り北上すると、地域名が成瀬、成瀬台と変わり、そして竹内の実家がある東玉川学園となる。そこまで来ると最寄り駅は小田急線の玉川学園前駅だ。

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