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【第5章】元チーマーと元銀行員がなぜユニクロに? 謎だらけだった2人の過去

ユニクロ町田店内の大ゲンカ。10年目の真実

 2012年10月11日、ユニクロ事業を中心に展開するファーストリテイリングは決算発表を行った。2012年8月期の連結売上高は、前年比13・2%増の9295億円。2013年8月期は1兆円を超す見通しだという(※2019年8月期は2兆2905億円に達した)。
 特に力を入れているのが海外市場で、アジアを中心に1年間で最大300店も出店する計画らしい。海外で店長を務められる人材をどうやってそんなに大量育成するのだろうか。すごいと言えばすごい、無茶と言えば無茶な会社だ。
 ただし、本書の関心はそこにはない。1994年、ユニクロが海外ではなく東京進出をしたばかりの頃に開店した小さなロードサイド店の話をしたいのだ。2002年2月に8年間の寿命をひっそりと終えたユニクロ町田店(154番店)である。
 町田店に僕が在籍したのは2000年3月から9月のわずか7ヵ月間。その期間に一緒に働いたのは20人強だったと思う。中村(40歳)は僕より後に入店した「後輩」スタッフだ。いつも笑顔でやたら腰が低く、汗だくになりながら業務に取り組んでいた。気持ちのいい人、という印象が強い。
 しかし、杉山と関根の証言によれば、僕が他店に異動した後にSVとつかみあいの大ゲンカをしたという。
 いったい何があったのか?
 若いころの中村は渋谷で「チーマー」をしていたと聞いたことがある。もはや懐かしい言葉だが、1980年代後半から90年代前半に、東京・渋谷を中心に「チーム」と呼ばれる不良若者グループが活動していた。中村はその一員だったのだ。
 中村によると、チーマーはケンカが大好きなケンカチームとパーティー券などを売ることを主目的とするパーティーチームに分けられる。中村が属していたのはパーティーチームのひとつ。もちろんケンカもあり、だ。チーム同士は仲が良く、埼玉県など外部からやってくる不良たちとの抗争が多かったらしい。中村には両手のケンカだこも見せてもらったことがある。
 店のスクラップが決まって自棄になり、中村は暴れん坊の本性を現したのだろうか。浜田から連絡先を聞き、軽い恐怖を覚えながら電話を入れた。
 取材を快諾してくれた中村と会ったのは、西新宿の高層ビル内に入っている祢保希。山田との会食でも使った土佐料理店だ。静かで食事もおいしいので気に入ってしまった。
 店の前で待っているとスーツ姿の中村が相変わらずの笑顔で現れた。完全にカタギのサラリーマン風だ。結婚して4歳の息子もいて、現在はIT関連会社で会計ソフトの法人営業を担当しているという。
 まずは、例のケンカ事件の真相を問い質そう。
「ええ? いきなりその話ですか? 嫌だなあ。元ヤン(キー)は色眼鏡で見られるから。ちょっと言い訳していいですか? あの朝、僕はタクシーと接触事故を起こしているんですよ。こっちは原チャリで信号待ちしていたらタクシーに追突されたので、あっちが100%悪いんです。でも、『どっちが悪い!?』と運ちゃんに言ったら、『私です』と素直に謝ったので、『じゃ、許す!』と店に向かいました。幸い怪我もしなかったので」
 事故に遭っても先を急ぐという感覚は信じられないかもしれない。しかし、ユニクロ店舗において遅刻は「めちゃくちゃ叱られる」部類に入るミスであり、時間厳守は強迫観念となっている。シフトで決められた出勤時刻の少なくとも5分前には店舗に入り、身支度を整えたうえでパソコンの出退勤ソフトに入力するのが基本中の基本だ。
「僕はもともとギリギリ5分前出勤をしていて、SVから目をつけられていました。それがあの朝は2分前になってしまいました。当然、叱られます。最初は言い訳せずに『すみません』と謝りましたよ。でも、『何のために5分前に来るのかわかっているのか。どうしてこうなったんだ。今日はいったい何時に出てきたんだ』としつこく問い詰められました」
 その光景が目に浮かぶようだ。ユニクロにおいては、失敗をしたときに謝っただけで済むことはありえない。「なぜ失敗したのか。どうして失敗を防ぐ努力をしなかったのか。いつまでにどのようにして改善するのか。本当にできるのか。そもそもやる気はあるのか」を徹底的に追及される。もちろん、激しい罵倒付きだ。何度も謝りながら、しかも改善策をきちんと提示して実行しなければならない。

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