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【第3章】熱血社員たちはなぜ3年でユニクロを辞めたのか

売れることだけがユニクロにおける唯一の正解

 グローバル旗艦店。この雄々しい名称を冠したユニクロの大型店舗が世界に9つある(※2013年当時)。ニューヨーク(2店舗)、ロンドン、パリ、上海、大阪、台北、ソウル。そして、2012年3月にオープンした銀座店だ。売り場面積は約1500坪。世界最大のユニクロである。
 初めて間近で見たときは圧倒された。商品の1つひとつは安価なユニクロ服なのだが、12階建ての店舗デザインとディスプレイは「よっ、世界最先端!」と声をかけたくなるほど斬新でお金がかかっている。同じく銀座中央通り沿いにあるアバクロ(アバクロンビー&フィッチ)、H&M、ZARAなどの競合企業の大型店舗がかすんで見えた。
 開店から数ヵ月が経過しているにもかかわらず、入場制限が必要なほど客が押し寄せている。
 一方で、銀座店内を歩きながら「やっぱりユニクロは粋じゃない」という感想を抱いた。
「グローバル旗艦店」と臆面もなく言ってしまうあたりがまず恥ずかしい。
 肝心の商品群にクセやこだわりのようなものは感じられない。店全体から伝わってくるコンセプトはただひとつ。「売れる物をたくさん売りたい、儲けたい」ということ。
 ファーストリテイリング(早い小売り)という社名からもわかるように、この会社にはどんな商品をどのような店で売りたいのかという「無駄なこだわり」がもともとないのだろう。継続的かつ効率的な利益拡大さえ見込めれば、野菜でも家電でも売りかねない。
 こだわりのなさは柳井社長の著書(大前研一との共著)からも伺える。中国展開における失敗と成功に関する文章を少し長いが引用する。

<日本と同じ高品質の商品を同じ価格で販売すると、関税がかかる分、中国の競合ブランドよりも割高になってしまいます。当時は、中間層が誕生していたとはいえ、それより所得の低い層が最大のボリュームゾーンでした。子会社はそれを考慮して、中国で新しいユニクロの商品を作りました。つまり価格を重視して、日本向け商品より素材や品質が劣るのも仕方がないと判断したのです。
 ところが、この情報化社会の中、ユニクロの情報は海を越えて中国にも届いていました。中国の顧客は「日本のユニクロ」を求めていたのです。顧客ニーズの完全な読み間違いでした。こうして、中国向けにアレンジしたユニクロは、見事に失敗しました。
 光明が見え始めたのは2005年暮れからです。前任者の退職に伴い、中国子会社の社長が交代しました。前任者と同様に新社長も中国人でした。翌年、彼は上海に2店舗を出店し、その際、商品構成は多少割高でも高品質にこだわりました。品質に対する価格のコストパフォーマンスを強調したのです。その狙いが当たって2店とも大成功を収めました。彼は、上海に中間層が急増したことが追い風になったと話していますが、高品質にこだわった戦略転換が大きな要因であることは間違いないでしょう。>
(柳井正・大前研一『この国を出よ』小学館)

 一読すると「高品質」にこだわっているようだが、実はそうではない。もし「日本向け商品より素材や品質が劣る」もので十分な売上と利益が上がったら、それが中国市場におけるユニクロ商品だとされたことがわかる。
 売れることだけがユニクロにおける唯一の正解なのだ。

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