あそこまでどのくらい

こことそこにある距離のことがずっとわからない。


離れているのか否か、動いているのか否か、変わることへの意思がはたらいているのか否か、基本、ずっとわからない。

まずどれくらいの距離があるのかな。近いってことはたぶんないんだろう。いつでもそうだったし。近いときには快不快を問わずなんらかのセンサーが反応するはず。近いっ!って。近くないことだけ確認できてもそっからはわかんない。とにかくすごく遠いばっかりな気がして、仕方なくて、正確な位置なんかいつも測れっこないんだ。

じゃあこれ動いてんのかな。一方もしくは両方が手繰り寄せている?迫ろうとしている?遠ざかっていってる?動こうとしているのか。ならそのベクトルは?わからん。こっち側の様子しか知りようもない。

こっち側には迫りたい純粋欲求と遠ざかりたい逃避欲求とが混在している。ここにはたらいている意思は今文章にできた。向こう岸はどうなっているんだろう。明確な意思で遠ざかったりしてるんだろうか。それならこの上なく寂しく悲しい。でもそれを知りたい。意思を伴った斥力が働いているなら僕はそれを知りたい。事実がほしい。わからない。わからない。自家発電の引力に必死に抗っている。ほんとは身を任せてしまいたい。でもその暴力性も心得ているつもり。結果、対局を目指す意識にこの身は引きちぎられそうなのだ。


傲慢や加害性をひた隠しに人畜無害なポーズをとっている自分に嫌気がさした。はっきりと敵意を覚えた。なにをいい顔しようとしてるんだお前は。ほかにぶちまけられる場所がなくて、自分の中だけにただ抱えているのも耐え難くて、ここに出してしまった。便利な場所になってきたな。人目につかないというのは、これほど都合のいいこともない。


たいていのことは考えすぎで済む。結局どんなときもそうならいいんだけど、ときたま当たってしまうこともあるの。いつか見た景色と重なったり結びついたりして、どうにも確からしく思われてしまうことなんかも。

そもそも、早い話、距離なんか測りに行けばいいんだよ。わからないって頭だけはたらかせてるのがまず無駄なんだよね。そう思える自分もたしかに存在する。たしかにとうなずける自分もたしかにいる。なんたってこんな面倒なプロセスをいちいちたどるようになっちまったのかね。腹立つよほんとに。


こうして自分の弱いところを自分で責めるってのは他人からの叱責を受けたくないがための反応なんでしょうな。予防線。びくびくしちゃって。ここまで臆病だったっけな。臆病でずるい。弱い。


なんだか谷を抜けたような気でいたが、そうでもないらしい。まだまだ長く深い谷なのかもな。

独りで登るんだよ。




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