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『魂の退社』 (稲垣えみ子) #地方移住した私が読んできた本の話②

本で振り返る、私のライフシフト、第2話。
第1話はこちら↓。よかったら。

『魂の退社』(稲垣えみ子・著/東洋経済新報社)

そもそも私の中に「会社を辞める」という選択肢自体がひょっこり現れたのは遡ること7年前。朝日新聞の名コラムニストが記したこの本がきっかけだった。「50歳で会社を辞める」と思い立ち、実行に移すまでの記録。
当時私は東京に家族を残し、地方に単身赴任中。久しぶりに東京に帰省する新幹線の道中で一気に読み、価値観がごっそり入れ替わったような、爽快な気分になったことを覚えている。会社と個人の関係について七転八倒する著者。その姿に、同業の片隅にいる身として共感することが多々あった。そして「よし、私も50歳くらいで辞めよう」といつのまにか自分の中でカウントダウンを始めてしまった。
それから7年。50歳まであと数年というタイミングで、再びこの本を手に取った。一文一文が以前とはまた違った形で胸に刺さる。

「会社は修行の場であって、依存の場じゃない」

『魂の退社』より

ああ、わかる。
自分のキャリアを会社に委ねてはいけないのだ。

今年、私はいくつかの判断ミスをした。それらは「何かをする」というよりは「何もしない」という判断だった。現状維持バイアスが働いたのか、しばらく静観しよう…と思って手を挙げなかった結果、後悔するという事案が重なっていた。
どこで間違えたのか。今にして思えば、あれが「依存」というものだったのだな。入社試験で「御社に入りたいです!」と意思表示をして以降、私は自分の意思を表明したことってあったっけ。辞令ひとつで転勤を繰り返し、なんとなく年次が来たので管理職試験を受け…思えば会社が敷いてくれたレールの上を比較的忠実に走ってきた20余年だった。ところがここ数年、急に社会全体で「ジョブ型」「キャリアの自律」といったワードが飛び交うようになってきた。ますます多様になる社員の要求全てを包含するような人事制度は難しい。自分の人生は自分で選んでくれ、会社は応援するから。…それはつまり<自己決定>という名の下に責任は個人が負う時代ともいえる。ふと、自分はそんな変化についていけてない旧世代なのかもしれないと慄然とした。40半ばにして気づいたのは遅かったのか、いや、気づいただけ良かったと思おう。育てもらったことには感謝している。そしてここから先は自分の人生だ。
話を『魂の退社』に戻すと、本書は「会社」という鵺(ぬえ)のような存在の輪郭を、実に鮮やかに描き出している。会社とどう向き合うか、そしてどう別れるか。私は独立ではなく転職したのでまたサラリーパーソンなのだが、この本を通じて感じた会社組織との渡り合い方は胸に刻んでおこうと思う。

それにしても氷河期世代というのは、いつも時代の変わり目のしんがりというか、ようやくゴールだと思ってたどり着いたと思ったら「あ、ごめんここゴールじゃないわ」と言われるような、損な世代だなと思う。ジョブ型なんてのも、そのうち人手不足でそんなこと言っていられなくなるだろう。ぶつぶつ。

今回はこのあたりで。ライフシフトは続く。



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