元・限界社畜がまた野球を好きになるまで
野球が好きだった。
小学生の頃、初めて父に連れていかれた神宮球場で、私は野球に出会った。
ある日の夕方、球場で美味しいものなんでも買ってやる、という大の阪神ファンの父に、食べ物で釣られて付いて行った初めてのプロ野球の試合。なんかよくわからんけど木の棒でボールを打って、それが遠くへ飛んだら人が走って、四角い板を4つ踏んだら点が入る、テレビで夜やってるスポーツ。それくらいの認識だった野球が、私の中で鮮明になった日だった。
3塁側内野指定席の固いイスに座って見たグラウンドは、まるで青い塀に囲われた箱庭のようで、その中で走ったり飛んだりする選手たちは、大きな大きな照明に照らされて、不思議に輝いて見えた。どうしてあんなに速いボールが投げられるのだろう。あんなに小さいボールを、小さなグローブでキャッチできるのか。一際大きな声で応援されている、体の大きなバッターがホームランを打った時の、この飛び上がりたくなるような嬉しい気持ちは何?すごい、これはすごいやつだ。食べ物より、目の前のスポーツが面白すぎて釘付けになった。
「お嬢ちゃんジェット風船持ってないの?おじちゃんの1つあげる」
7回表、1つ前の席に座っていた知らないおじさんが、ビニールをバリっと破いて、中から黄色い風船を1つくれた。おそるおそる受け取って、すみません、とおじさんに頭を下げる父と一緒に膨らませる。長細い、見たことのない形の風船が、いくつもぷかぷかと浮かんでいるのが、自分の風船の横から見えた。トラのマスコットが踊っていた軽快な音楽はいつの間にか終わって、風船たちがピューーーーと音をたてて空へ飛んでいく。私も、と慌てて手を離した黄色い風船は、グラウンドに届くことなくフェンス前の席の上で力尽きたけど、手を離す直前に見た、あの空を埋め尽くす黄色の雨を、私は今でも覚えている。
白いボールが飛んで、落ちる度、ガンガン音をたてる応援のバットと大きな声の応援歌。買ってもらった小さなバットを見よう見まねで叩きながら、必死に走る縦縞の服を着た選手を目で追いかけた。泥だけになりながら走って、四角い板の上で天高く腕を上げると、大きな歓声が上がる。なんてかっこいいんだろう。テレビで何度か観ていたはずなのに、球場で観る野球は全然違う。選手の熱と、ファンの熱が、ダイレクトに自分に届いている感覚が確かにあった。
野球のことをもっと知りたい。試合終了後、父にねだって当時ショートを守っていた今岡誠選手のキーホルダーを売店で買ってもらい、私はその日から阪神タイガースのファンになった。
時は流れ流れて2023年1月。
あれから20年以上経ち、32歳になった私の現状は、無職。
大学卒業後専門学校に通い、紆余曲折あって6年半会社員として勤務した後、退職した。辞めた理由は色々あるが、まあよくある「やりたいことがあるから」だ。それも嘘ではない。決して嘘ではないけれど、正直、早くこの会社から去りたい、という気持ちの方が大きかった。
長時間労働や接客でのストレス、重い商品を持ち上げたり、大きな展示品を動かしたりと、意外と肉体を使うことによる身体的負担。就活にかなり苦労したこともあり、負けてなるものかと6年踏ん張ったが、ある時ぎっくり腰で入院をしたことで、ああ、こんな痛い思いをするくらいならもう辞めてしまおうと決意した。
それから1年と少し、私はまだ無職のままである。
今は、使う時間がほとんどなかったのでそれなりに貯まっていた貯金を切り崩しながら生活しているけど、辞める理由の1つだった「文章を書いて生きていく」という目標は、目に見える結果は出ていない。私のやりたいことって果たしてなんなのだろう。そしてそれは、いつか実を結ぶのだろうか。そんな風に思っては不安に押しつぶされそうになりながら、忙殺されていたあの頃を取り戻すように毎日をゆっくり生きている。
野球も、そこそこ観ている。
そこそこ、というのも、たまたま時間があえばテレビでスポーツニュースをチェックするくらいのレベル。ハマりたての小学生当時や、春季キャンプまでチェックしていた大学生当時に比べればほとんど観ていないも同然だった。
会社員時代は仕事仕事で帰宅時間が24時近くになることも多く、また精神状態的にも、どうにも野球を観る、という気持ちが湧かなかった。テレビなんか観ている時間があったら少しでも眠りたい、と、死んだようにベッドへ倒れこむ毎日で、野球に対しても、その他の好きなことに対しても、全てにおいて関心が薄れていた。そしてそれは、会社を辞めた今でもあまり回復していない。
そういえばもうすぐWBCが始まる。去年のペナントレースはあまり観られていないが、阪神の選手は出場するのだろうか。
なんとなくスマホを手に取り、登録選手の発表を見る。そこには、中野拓夢、湯浅京己両選手の名前。中野選手はわかる。2番バッターの、足が速い人。湯浅選手は……正直ニュースも流し見するくらいであまりわからなかった。でも、最優秀中継ぎを受賞した人らしい。……2人の活躍、観たいな。大好きな阪神の選手が、海外の選手に立ち向かうところ、観たい。
この時、何事にも興味を持てなかった、鉄で覆われたような冷たい心に、野球が観たい、と小さな明かりが灯ったような気がした。思えばこれが、野球への興味の復活だったのかもしれない。
そしてまたまた時は流れ2023年6月上旬。
私は球場に来ていた。
突然だがここは埼玉ベルーナドーム。埼玉西武ライオンズの本拠地。電車を何度か乗り継いで、2年くらい前に通販戦争を勝ち抜き手に入れたちいかわ×阪神コラボバックの紐を握りしめ、決戦の地へ降り立った。そう。今日は、西部×阪神のセ・パ交流戦。
話は少し遡り2023年5月の最終週。WBCですっかり野球への熱を取り戻した私は、また以前のように野球中継を観るようになっていた。推し球団はもちろん阪神タイガース。どうやら私が一番熱を入れて応援していたあの頃より、今年はなんだか強いらしかった。開幕から勝ちまくり首位を独走。桧山選手が4番を打って、センターには赤星選手、ショートには藤本選手がいた頃のような、あの頃の熱狂を思いだしては、毎日ワクワクが止まらない。
もちろんWBC組の中野選手、湯浅選手もチームで活躍。今年からセカンドにコンバートになった中野選手は、ますます守備で良いプレーを連発し、湯浅選手も抑えとして9回をキチッと締めていた。WBCのおかげで、他のチームの選手で新しく好きになった人もたくさんいるし、もう楽しくて楽しくて。
すっかり野球オタクに戻ったところで、久しぶりに球場に行きたいな、と思っていたら、そういえば今年の交流戦、西武戦はベルーナドーム開催(交流戦の試合球場は1年ごとにホームとビジターが変わる)であることを思い出した。私は関東住まいなので、甲子園には中々行けない。ということは、今年を逃したら次に交流戦の試合を見られるのは2年後になってしまう。……ベルーナドームなら行けないこともない。いや、行けるじゃん。あれ、行けちゃうんじゃない?チケットは……まだある。行くしかない!行ってやれ!勢いで3日後の試合のチケットを取り、約6年ぶりの球場観戦が突然決定した。
と、いうことで、戻りましてこちらベルーナドーム。割と阪神ファン多いです。
まだ試合も始まっていないというのに、何故か緊張してドキドキ。普段から表情筋が死んでいるので怖いくらい無表情だが、たぶんこの場にいる誰よりも心拍数は早い。久しぶりに野球を観に来てしまった、という事実が、また顔をこわばらせる。それはもうベンチに座って腕を組む星野監督くらい眉間にしわを寄せていたことだろう。
実は、久しぶりの野球場、ということ以外にも、私はちゃんとあの頃みたいに野球を楽しめるだろうか、という不安もあった。選手の応援歌を覚えて歌い、プレーに一喜一憂する。そんな風に楽しめるまで、私の心は回復しているのだろうか。あんまり楽しめなかったらどうしよう。そんな風に思っていた。
まあ最悪途中で帰れるし、なんて思いながら、きょろきょろとベルーナドームの広場を散策。実はベルーナドームに観戦に来るのは2回目なのだが、1人で来たのは初めて。後から父が合流する予定だが、早めに着いたので試合まで1時間半ほど時間がある。どうしよう。球場に着いたらまず何をするんだっけ。悩んだ末、とりあえず同じ阪神グッズを持った人たちの列に並ぶ。
グッズショップの列に。
ビジターなのに阪神のグッズショップはものすごい長蛇の列で、20分程並んでようやくレジ前にたどり着いた。WBC以来過去の試合映像を見返したりしてすっかり推しになった湯浅投手のタオルは残念ながら売り切れだったので、その日の先発伊藤将司投手と、社畜時代でもニュースで時折観るその豪快なスイングが大好きだった佐藤輝明選手のタオルを買った。ちなみに興奮しすぎて写真撮り忘れたので撮影は自宅です。
レジ前で何故だか緊張しすぎて、「伊藤将司!佐藤輝明!」とスタメン発表かのように選手名読み上げをしてしまったが、これで準備はOK。自宅から持参した応援バットは鞄に入っているし、とりあえず応援グッズは揃った。じゃあ次は……。
腹ごしらえ!
美味しいものは「ベルーナドーム グルメ」で検索してしっかり予習済みだったので、迷うことなくお目当ての「天ぷら なかむら」へ。ここで買ったのは「中村剛也の豚天丼」。Twitterでもおすすめツイートが多く、見た目からしてめちゃくちゃ美味しいことが確約されているこれを、絶対に食べると決めていた。球場グルメの予習とか一番楽しい時間ですからね。味は、味噌ポン酢がさっくさくの豚天とマッチしていて予想を超える美味しさだった。特典で付いて来たおかわり君こと中村選手のカードは一応大事に財布にしまう。敵チームだけど好きなので。
ああ、学生の頃は球場でご飯食べるのとか苦手だったな。細かく刻んだ紅しょうがのまぶされたご飯を口に放り込みながら思い出す。人前で何かを食べるということが苦手で、10代の頃はせいぜい焼き鳥かからあげくらいしか食べられなかった。30を超えると、そんなのどうでもよくなるんだな。まさか野球場に来て年齢を感じるとは思わなかった。
豚天丼を完食して、せっかく持ってきたし、と着ることを迷っていたユニフォームを鞄から出してみた。
長くファンをやっているけれど、人生で、自らユニフォームを買ったことはない。今日持ってきたのは、15年以上前に甲子園へ観戦に行った時、来場者プレゼントでもらったグリーンのユニフォーム。背番号がないので、推しの選手をアピールしたりはできないけど、関東で着ている人はあまり見ない気がする。そんなちょっとしたコアなファンアピールを心の中でしつつ、意を決して羽織る。
人様にお見せできる体型でもないので着用写真はないですすみません。部屋でユニフォーム吊るして一生懸命写真撮るアラサーをご想像ください。
家でしか着たことのなかったユニフォームを、球場で羽織った瞬間、あ、なんか野球観に来てるな、と再確認のような気持ちが沸き上がった。応援しに来たんだ。阪神を。たぶん私は今嬉しいのだ。
鞄から応援バットを出し、膝の上にさっき買ったタオルを準備して、試合開始の時を待つ。周りには、阪神ファンが多いような気がするけど、西武ファンもちらほらいた。ホームとビジターどちらの応援もして良い席を取ったので、両軍ファン入り乱れての応援が面白い。
しばらくしてスタメン発表が行われ、やたらとかっこいい映像と共に西武ライオンズの選手たちが守備につく。ビジターチームは先攻なので、1回表は阪神タイガースの攻撃からだ。いよいよ始まる。聴きなれたラッパの音が、ベルーナドームに響き始めた。阪神の応援はどこの球場に行っても大きい。ファンの数も、どこへ行こうとたくさんいる。ライトスタンドは、黄色、白、灰色、その他限定ユニフォームのカラフルなユニフォームでぎゅうぎゅうに埋め尽くされ、大きな旗がその上で翻っていた。
いよいよ試合開始。
1回表、阪神の攻撃は無得点。さくっと三者凡退させられてしまった。1回裏、西武の攻撃。この日の先発、伊藤将司投手がマウンドに上がる。ここだ!用意していた名前タオルを、両手で大きく掲げた。
これも人生初、タオル掲げ。ちょっと恥ずかしかったけど、伊藤投手頑張れ!という気持ちを込めて両手で胸の前に広げた。
2回は両チームとも得点。5番を打つ佐藤輝明選手のタオルもしっかり掲げて応援した。楽しい!ものすごく楽しいぞ久しぶりの野球観戦!気が付くとしっかり応援バットを握りしめ、応援歌に合わせて叩いていた。何故か頭に入っていたノイジー選手の応援歌はちゃっかり歌ったりした。
気が付いたら、楽しめないかも、なんて気持ちはとっくにどこかへ消え去り、夢中で試合の行方を見守っていた。チャンスの時は思い切り応援バットを叩き、ピンチの時は祈るように両手を合わせた。それはもう、小学生のあの頃のように。
伊藤将司投手の投げるボール、速いなあ。近本選手足速い!大山選手、テレビで観た構えと同じポーズで打席に立ってる。1塁側指定席から観る選手達は、人生ゲームのコマくらい小さかったが、それでも迫力のあるプレーには興奮せざるを得なかった。
ヒットが出ると、うわぁっ、と球場全体がざわめく。盗塁が成功すれば、いいぞいいぞ中野!と応援が大きくなる。西武側にいいプレーが出て、あわや長打の場面が消されると、ああ……と大きなため息がこだまする。やはり応援も野球の一部だ。テレビとは比べ物にならない迫力を、久しぶりに直接感じて鳥肌が立った。
2回途中から合流した父も、弁当を頬張りながら観戦を楽しんでいた。たまにビールの売り子さんを呼んで大きな紙コップからビールを飲み、「最高!」と機嫌よく叫ぶ様もあの頃と同じ。そういえば、父と野球観戦をするのはもっと久しぶりかもしれない。
もうすっかり野球が楽しくなった私は、ここから調子に乗る。
タガが外れたかのように食べた。やはり羞恥心は20代で捨てて来たらしい。
試合開始前に豚天丼を食べたことなど関係なく、美味しそうなものを食べまくった。ベルーナドーム、観客席のすぐ後ろに飲食店があるから買っちゃうのよ……。最後にはお土産に十万石まんじゅうとボールパンまで買う始末。もはや野球を観に来ているのだかご飯を食べに来ているのだかわからないくらい食べた。8回くらいからもうお腹はパンッパンだった。
これだよな~。小学生の頃、野球場に行くと野球も観られるし美味しいご飯も食べられるしで最高だったことを思い出す。やっぱり何年経っても最高は最高。ビールが苦手で飲めない分、こうして野球場グルメを味わうのが私の観戦の醍醐味だった。
試合は結局負けてしまったが、日本ハムファイターズから今期より加入した直球破壊王子こと渡邉諒選手がタイムリーを打ったりと、見どころもたくさんあって良い試合だった。今年の阪神は強いというのは本当だったらしい。今日は負けちゃったけど。父は最後までずっと悔しそうにあ~あ、あ~あ、とため息を付いていた。私が生まれる前はヤクルトファンだったらしいが、今は筋金入りの虎党である。
こうして、私の久しぶりの野球観戦は、あの頃より楽しい思い出で幕を閉じたのだった。
またまた少しだけ時は流れ、現在6月下旬。
現在も無職継続中。だが、そろそろ無職生活も2年が経とうかという今、ベルーナドームに観戦へ行ったことで更に野球熱は増し、いっそう応援に熱を上げるようになっていた。
ちょっと誰だかわかんないすね……とか言っていた湯浅京己選手にがっつりハマり、人生初背番号付きユニフォームと応援タオルを購入。投球前の独特なルーティーンと、力のあるストレート、決め球のフォーク。どれをとっても最高。まだ若いのに抑えも任されて、重圧もすごいだろうに毎日頑張っている姿に私も励まされている。
と、社畜の頃負った傷はどこへやら。もうすっかり感情を取り戻し、野球オタクに逆戻りしている。
疲れて何もする気が起きず、心の余裕もないので家族とケンカばかり。体を壊して満足に動けないストレスから体重は激しい増減を繰り返し、家は荒れ放題で気の休まるところがなかった限界社畜時代。野球が好き、という気持ちを、同僚とのコミュニケーションをとる道具、お客さんとの交渉に使うステータスとして使っていたこともあった。でも、それはただ、20代女性で野球に詳しい人が珍しい、というだけで、人との距離を狭める為にただ「使っていた」だけだった。
それが悪いとは言わないが、仕事が終わって、帰ってスポーツニュースを流し見して、結果だけ見て次の日の会話に活かすだけの「好き」は、私にとって重かったのかもしれない。
今、こうして自由に野球を観て、楽しい、応援したい、誰かと語りたい、と思えるようになって、自分が本当に野球が好きだったことを思い出した。あの時、迷いに迷ってベルーナドームの観戦チケットを取った自分に、ありがとうを言いたい。ありがとな。
野球が好きで、自分でもやってみたくて始めたソフトボール、阪神がどうしても勝てなかった時期、巨人ファンの友人にからかわれたのが悔しくて作った、「阪神歴代外国人選手の成績・これからの阪神での活躍について」というおよそ中学2年生の女子が発表する内容ではないレポート、どれも野球が好き、という気持ちから始まったことだった。
仕事に追われ、自分の「好き」を見失っていたボロボロの私、あなたが6年半一生懸命耐えてくれたおかげで、今またこうして野球に狂えているよ。
今でも野球が好き。
たぶん、これからもずっと。