死を引き合いに出せば
死を引き合いに出せば全てのものごとが等価になると思っていた。
いじめられて辛いから死のう、親に殴られたから死のう、裏切られたから死のう。
死ねばこの状況から脱せられると、逃げられると
救われると、今いる場から目を逸らした。
一度死のうと本気で思うと、一度自殺未遂を経験すると、死は気軽なものとなり親しくなり一番の味方となり一番の邪魔者となる。
なにか自分にとって不都合なものが現れたら途端に死が現れ味方してくれる。私の前に立ち塞がり不都合なものから逃がしてくれる。
私は死を願い死と親しくするだけで全てから逃げられる。死え引き合いに出すことで今までの、今の全部のことから逃げられる。ただそれはその日暮らしでしかない。
逃げて逃げて明日死のうとしてきた結果、私の存在は18年間も続いてしまった。存在していただけで何も歩んでいない。親しい友人もおらず愛する人もものもない。スキルもない、資格もない、趣味もない。
履歴書には名前と性別、誕生月しか書けない。それと顔写真。
最近は死にも裏切られている。死だけじゃ引き合いに出せなくなってしまった。
なにも等価にはなっていなかった。誤魔化していただけだった。
私は結局 そこらへんのどこにでもいる大森靖子とたかやんを聴いていているメンヘラのガキ(笑)だったのだ。勝手に被害妄想してなんも努力せずに挑戦せずに逃げてばっかりだ。
あと1年ほどしたら死も私を裏切るだろう。その前に8年間一緒に歩んできた死とすべてて終わらせないと。死からは逃げす偽の愛に惑わされずしっかり死と向き合おう。1年以内に、必ず。