きょうのピーエス#4(からかい上手の高木さん、だいじなケモノ道、ビジュアル・シンカーの脳)
くらえ、p.s.返し!
ってことで、映像、音声、文章の順番で、最近の見聞きしたコンテンツを振り返ってみます。
小豆島の記憶のゆさぶられ
毎週の見逃し配信系はとりわけ触れず、新たな作品でいえば『からかい上手の高木さん(2024)』をNetflixで数日に分けて視聴した。原作漫画、そしてアニメの存在はなんとなく知ってたはけど踏み込まなかったやつ。
ただ、『愛がなんだ(2019)』『あの頃(2021)』『ちひろさん(2023)』といくつかの作品を観て、「なんだ、このうまく言語化できないけど、エモさを醸し出すのがすげぇ監督は!?」でお馴染みの今泉力哉さんが手がけた作品ということですんなり手を出した。
結果、観れてよかった。学園もの青春ものは、実体験のせいか、どちらかというと拒否反応が起こっちゃうことが多いのだけど、1話の途中でそこからもう抜けていて、主人公の男子学生である西方の鈍感さにおいおいとツッコミつつも、どこか応援したくなる。というか、ぶつぶつ口にする独り言が聞きたくなる不思議があった。数ヶ月だけだったけど、小豆島に住んでいたときの記憶もブワーっと蘇ってきた。映像のゆさぶりって、すごい。
「タイパがいい」でなく、「情報のない」のが心地よい、音楽としてのポッドキャスト
ポッドキャストは、人から教えてもらったり、Spotifyのレコメンドで聴くようになったものがいくつかある。
みうらじゅんのゲスト回のいろんな番組を聴きまくってたせいか、『笑い飯哲夫のサタデー★ナイト仏教』があるときふと流れてきた。
みうらじゅん氏に触れていればおのずと仏教的思考に近づくわけだけど、そもそも「生きるということは、そもそもマイナスから始まっている」といった一切皆苦人間として小さいときからやってきてるので、もはや性に合ってる人や思想なのだろう。
さて、みうらじゅんといえば、いとうせいこうなわけですね。雑談藝のすごみを撒き散らすお二人。そのいとうせいこう氏を含めての鼎談がおもしろかった。
「視覚映像があることによる考える余地が奪われている」とか「あるとき、何かと何かが結びついた瞬間に快感があるのに、テレビはその結びつきを最初に説明しがち」とか「情報よりはリズムのほうに心地よさを感じるし、音と意味が同時にあるのがポッドキャストだよね。昔にまた戻ろうとしている」とか「タイパがいい、ってのは本質じゃない。文字のほうが情報圧縮されてるし」とかたいなことが語れれていた。
何より今こそ「エディターの時代だよね」という冒頭の話がシビれた。情報過多だからこそ余計にそうだと共感する。
鼎談相手になっていたTitanがやってる『奇奇怪怪』 も聴いてみたら、上出遼平ゲスト回(準レギュラー?)で、考える角度をぐだぐだ共有してもらっているのが、家事や散歩と相性いい音だと思った。
併読したい本を見つけると、本がもっとおもしろくなる
さいごに本について。前回触れてた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が読み終わった。「情報」と「知識」の区別については、なるほどなぁと感じながらパラパラ読みつつも、じゃあそこに「知恵」と「体験」が加わったときにどんな分類をしていくといいんだろうとか思ったり。
おそらく、一般的な「労働」スタイルの人について多く触れられてるのだけど、都会でなく田舎でこういう生活をしている身としての違いをまざまざと見せつけられた感があった。
その労働重視の「本の読めない」構造から抜け出したい(本に限らず、立ち止まってふかく考える余白を持ちたい)から、その選択肢として今地方にいるわけだけど、本の中で提唱されてる「半身」に近い実践をしていたことになる。ズレを認識できたという意味でめちゃくちゃよかった。
歴史を遡りながら、時代と共にあった本についての紹介があったのが、この本の魅力だったなぁと読み終わった後に感じたのもあり、自分史における本を記録し直したくなって「本との距離」を始めた。
ある本を読んでると、併読したい本が見つかるときある。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は『ものがわかるということ』と並行して読み進めると、現代社会の病について掘り下げられるそうな気がした。ついでに『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』も一緒がよさげ。
言語が苦手だからこそ、言語を学ぼうとしてた
そうそう、ちょうど定期的につどうメンバーで認知特性の話をしていた。それによれば、僕は"視覚優位”らしい。たしかに文字だけの理解が弱い(だから結構マンガやイラスト付き解説に頼りがち)。
何かアイデアが思いついたときも、パッと頭に映像が浮かび上がってくる。ちょっと前なら、自分一人でどうにか処理すればよかっただけのことが多いけど、今だとその映像を言語化しないといけない状況も増えた。文章はずっと苦手だけど、視覚思考だからこそ言葉はやりとりするときの接着剤として学ぼうという無意識的意思があったのだなぁと気づく。
ゆる言語学のYouTubeのやつは知らなかったけど、予約してまで買ったくせにだいぶ積読になってる『ビジュアル・シンカーの脳 「絵」で考える人々の世界』は今こそ読むタイミングな気がしてきた。
最近はちょっと読書をサボりがちな気もしてるのだけど、無音でアナログな時間にダイブしまくる6月にしたいと思っている。よろしく、積読本たちよ。
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