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歩幅は、変わる。

ふわっふわしている。そのうえ、ふにゃっふにゃだ。むずかしいことを考えてるわけではないのだけど、ものごとをむずかしく考えてはいるみたいで、ここ数日ずっと停滞している感覚ばかりがある。

溜まりに溜まったものを片付けたい気持ちはあるもののなかなか手も足も動かず、だいたいはソファか布団のうえでダラダラとして過ごしていた。なぜか、その理由さえもうまく掴めぬままに気持ちは、ふわっふわで、体にちっとも力が入らず、ふにゃっふにゃで、なまけもの不動モードになっている。

ただいつも無意識にやってることをやるだけなのに、それを「やること」として意識することで、なぜだか妙に身構えてしまう。やるかやらないかだけのことを、自分で自分のハードルを上げ、そのプレッシャーに追いついていければいいが、そうもいかずどんどん根を腐らせてしまう。

と、内省しがちな性分のせいで自分をムダに追い込んでしまうのが、そんなんやってもしょうもなく、動かないものは動かないと認めたうえで、「反省しねぇ!」と開き直るほうがいいんじゃねえかと思ってる。

済んだことはもういい。じゃあこれからどうすっか。それだけを考えていければいい。まああえて、振り返るとするなら、この数日のなかでずっと抱えていたモヤモヤ(整理したいが整理つくせなかったもの)の正体が見え、掴むところまではいかなくともサッと触れるくらいのところまできているみたいだ。

頭にモヤがかかりまくって鈍くなっていたけど、勉強の「わかった!」が生まれる仕組みと同じなのかもしれないなあ。「わからないわからない」という疑問がずっと続いていても、どこかで爆発的に分かるようになって、急激に解けるものが増えていくみたいな状態。毎日は同じ24時間の繰り返しだけど、毎日同じ歩幅で進んでいくわけでなく、その歩幅は小さくなったり大きくなったりして加速度は変わる。

加速度があがる前の兆しだと(実際は違っていても)思い込んで、ふわふにゃな今を振り切っていけばいい。にしても、うだうだ書いてるから、結局、またむずかしく考えてはいるみたいね。ええい、もっと単純細胞でいいのだ。ちんちん。



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