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意識的無気力

年度で考えたら、4月から半年が経っていたわけで、もう残り半年なのか。「残し半年なのか」と言っても、別に焦るわけでもなく、というか、焦ったとしても、結局やれることは決まってるわけだから、とにかく、手に付けられることを手に付けられるタイミングでやるだけなのは変わらない。

とはいえ、9月から10月へ、こういう一つの境界線を越えると、なんだか自分という人間が変わったような気分になるのはなんででしょうか。「あの日々にバイバイ~」というLILI LIMIT『LAST SUPPER』の歌詞が脳裏に急接近してくるようで、不思議と新しい自分になれてる気がするんですよね。

いや正しくは、新しい自分に”なっていなくちゃいけない”気がしていて、それは希望に満ちているようで、じつは脅迫概念みたいなもので、自分を苦しめる種になるから、そういう”強制”というか、自分に”義務を押し付けない”というか、自分に”期待しない”というのこそ大事なんだろうと思うわけですよ。

宣言しない、続けようとしない、かたちをつくろうとしない、つまりは、意思を無理くり出そうとせずに、淡々と粛々と物事を進めてみる。そういうのって、簡単なようでめっちゃむずかしいことだと気づく30の今日この頃なのですが、とりあえず、今日は今日とて、ただただ食って仕事してたまに遊んで寝ることをやりゃいいだけなんだ。あまり自分のことを自分で評価することはしないで、良くも悪くも他人からの評価が見えるまでになったらいいよなーと思いながらつけてみたメモがこちらでござい。

あらためまして、10月よ、こんちは。きっと、どうせすぐに去っていくんでしょ、あんたはさ。

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