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人生転落したエリートサラリーマンが    V字復活した大逆転ストーリー(第1章)

〜第1章〜「幼少期」

福岡生まれの父と島根生まれの母の長男として生まれ、佐賀⇨大阪⇨京都と移り住み、私が幼稚園に入る頃には福岡県が生活の基盤でした。

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(1987年8月25日誕生 3,260g)

幼稚園に入ってからは、気がつくとサッカーに夢中でした。
「キャプテン翼」に影響を受け、毎日楽しくサッカーをしていました。

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(サッカーチームのユニフォームを着て)

当時はJリーグが開幕し、サッカー人気が高い時代でした。
幼い頃は「将来は、鹿島アントラーズの選手になる!」と言う明確な目標を持ってボールを追いかける日々でした。
実家の前が、丁度いい具合の壁だったので、毎日暗くなるまでボールを蹴っていたのです。

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(実家の前にて1993年撮影)

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(久々の撮影 2022年8月)

そんな時、幼い僕にとって衝撃的なシーンが目に飛び込んできたのです。

「1993年ドーハの悲劇」

サッカーをよく知らない人でも、この言葉を聞いたり、ハイライトシーンを見たことがある人もいらっしゃるのではないでしょうか?
私にとってあれほど、「一瞬で」、そして、あれほど「衝撃的な」悲劇は
後にも先にもないと思えるほどの出来事でした。

日本のワールドカップ初出場が決まりかけていたその時、試合終了10秒前に相手のシュートが決まり、ワールドカップが目の前から転げ落ちたのです。ゴールが決まった瞬間、何かが止まったような不思議な感覚がありました。

わずか10秒足らずで夢が潰えた。

まだ試合が終わってないのに、グラウンドに崩れ落ちる多くの選手の姿。
試合終了の笛が鳴ると同時に、グラウンドに立ってる選手・そしてベンチの選手ほぼ全員が泣き崩れ、放心状態の選手もいたのです。
たった10数秒がスローモーションにも見え、その場面は幼い私の心をエグったのです。

ドーハ1

(試合終了の瞬間)

ドーハ2

(闘将と言われたキャプテンも泣き崩れる)

ドーハ3

(スターだったカズも泣き崩れた)

テレビの向こう「悲しい出来事が起こってる」ことは感じ取れたのですが、幼心ながらに「いつかは僕が日本代表をワールドカップに連れて行くんだ」という大それた感情を抱いたのは今でも覚えているのです。
それほど僕にとっては印象深い出来事だったのです。

それがプロを目指す私の原点にもなったのです。

小学校に上がってからは、ただサッカーをするだけでなく、気づいたら勉強もできる優等生でした。
しかし、不思議なことに、親から「勉強しなさい」と言われた記憶は
「一度も」ありませんでした。自ら勉強する癖が気付けばついていたのです

それは、もしかしたら、親の喜ぶ顔が大好きだったから、親の笑顔が見たかったから自然と頑張っていたのかもしれません。 
テストでいい点が取れると意気揚々と親に答案用紙を見せに行ったのです。
そこには、満面の笑顔で褒めてくれる親の姿があったのです。

 〜「親を喜ばせたい」「誰かを喜ばせたい」〜

この頃から僕の承認欲求が始まったのかもしれません。

後述もしますが、中学生になってからも成績は常に学年で10番前後。
そしてスポーツも出来る優等生だったのです。
そう、私はまあまあ賢かったのです。笑


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プロローグ

〜第2章〜 サッカー漬け、そして挫折

〜第3章〜 大学受験

〜第4章〜 エリートサラリーマン

〜第5章〜 転げ落ちる人生

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