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とうさいばたち

 むつぎはじめ氏の個人企画、【むつぎ大賞2024】参加作品です。

 突き上げるような揺れに、目の前でまどろんでいた男が飛び起きた。きょろきょろと首を振って周りを確認してから、また首を沈めるようにして眠りへと戻っていった。
 この路線はいつもひどく揺れている。大きな車体を動かすために多くの馬力を使っているからだ、と昔どこかで聞いた。
 駅を出た頃には乱雑だった揺れはそのうち一つのリズムへと揃っていく。まるで多くの馬の足並みが揃うように。

 実際、この車体は馬たちの力で動いている。

 人工的に培養された馬たちは今やあらゆる場所に埋め込まれ、文字通りに世界を動かしている。走行中に感じる揺れはかれらの脚が、蹄が地面を踏みしめ、踏みならす振動そのものなのだそうだ。
 車窓から沿線を歩いて行く車が見えた。四本の脚をせわしなく動かして遠くに見えてきた街へと向かっている。

 砂煙の中から足音が響く。無数の足音は地面を揺らし、砂煙の中に馬影を浮かび上がらせた。すり鉢のように落ちくぼんだ円形の大地の真ん中には円柱が立ち、それから伸びた棒に馬たちが結びつけられている。
 馬力発電所。首のない人工馬たちが真ん中の円柱から伸びる棒に結びつけられ、その棒を回している。地中に埋められた発電機のシャフトを回しているのだ。
 昼も夜もなく発電を続ける馬たちの足音は地響きとなり、二つ山を挟んだ街にまで届くのだという。
「この街には地震計が設置できないんですよ」
 あの発電所のおかげでね。
 そうぼやいていた案内人の彼は私をここに下ろしたあと、何やら急いで走り去ってしまった。
 発電所とは違うリズムの足音が遠ざかっていくのを感じながら、自分がここへ来たきっかけを思い出すことにした。

 †

 オカルト関連の相談所の看板を掲げているし、そういう商売をやってきてもう長い身ではあるが、幽霊というのは実のところ私の専門ではない。それでも、最も多く持ち込まれる相談事はいつも幽霊話なのだった。
 その日も私は、また持ち込まれた幽霊話について話を伺っていたところだった。
 事務所からは数駅かかる少し離れたところにある街。発電所を近くに有するその街の、とある工場から来たという男性が、今回の依頼人だった。
「――馬の幽霊、ですか」
「そうなんだよ。馬の胴体に頭がついてて、背があって、でも脚は透けてて」
「夜な夜な走り回る、と」
 どいつもこいつも馬幽霊に気もそぞろなんだよ。おかげでしばらく商売あがったりだ、と心底疲れたように男性は言った。事務所の扇風機を残らず占有したまま、大きくため息をついた。彼の広い額に汗がにじむたびにタオルをぎゅっと押し当て、太い指が扇風機のスイッチを叩いて風量をまた一つ大きくする。
 扇風機の音に負けないくらいの大声で彼は吐き捨てるように言った。
「だいたい、幽霊だろうとなんだろうとね、馬がその辺走り回るなんて」
 彼はそれに続けておかしいでしょう、とは言わなかった。そんなことは言うまでもないことだからだ。

 もう自由に、自分の意思で走り回れるような馬なんて世界中どこを探してもいやしないのだ。最後に馬が地上を自由に走っていた光景を見ていた世代が亡くなってからもう一世紀以上が経っている。
 現在ではどうだ。今や彼らは機械の中でしか走り続けられない。昼も夜もなく、意思も、頭もなく。

 それで、といって私は彼に続きを促した。
「それでその…馬幽霊、とやらは具体的にどこに現れるんです」
 おおそうでしたな、と言いながら彼はまた額の汗を拭いた。
「市街地と発電所の間に丘があるんだがね、ちょっとした草原みたいになってて、開けているから」
「そこを走っているんですか」
「そうだ。発電所からも市街地からもよく見えるんでね、あいつらが走り回ってるところを大勢で見たんだって」
「その幽霊たちが草原から出ることはないんですか」
「あいつらが話してるのを聞く限りじゃあ、そうだ」
「わかりました…あと先ほど、あいつらとおっしゃいましたが…」
 そうだったそうだった、と彼はぺちんと膝を打った。
 走り回る馬幽霊はたいてい一頭だけではないようなのだ、と彼は教えてくれた。多いときには十頭近い数の幽霊たちが姿を現し、群れをなすように草原を駆け回ることもあるのだという。

「――以上がご依頼、ということですか」
 脱線も交えつつ彼の話をまとめると、彼は頼むよ、と満足そうに頷いた。そのまま席を立つ。話はおしまいということだろう。
 去り際に、彼は少し振り返ってこう言った。
「こういう妙な話に付き合ってくれるのは、ここいらじゃもうあんただけだって聞いたからね」
 一つ頼むよ、と言って彼は事務所を出て行った。

 点けっぱなしにされた扇風機たちの音を聞きながら、私は彼の話をもう一度整理した。
 馬力発電所と市街地の間にある草原に馬の幽霊が現れること。
 幽霊は青白く、頭のある馬の姿をしているが、脚は半ばから透けていて、足先は完全に見えないこと。
 幽霊は一頭ではなく、たいてい複数で現れること。
 幽霊たちはただ草原を走り回るだけだということ。
 そして、今のところ馬の幽霊に接触した人どころか、近づこうとした人すらいないらしいということ。

 †

 そして私が立っているこの場所が、まさしく馬の幽霊たちが現れる場所だ。開けていて立木もなく見晴らしがいい。足下には草が生えそろっていて、確かにここを気持ちよく駆け回る動物たちがいてもよいのかもしれない。
 ここからなら馬力発電所のへこんだ地形と中央のシャフト、それらから広がる砂埃がよく見える。
 振り返れば、この丘よりも低い台地を挟んで市街地も見える。確かに、天気が多少良ければ市街地からでもこの丘がよく見えるだろう。

 時刻はまだ午後三時を少し回ったところだった。日が沈むまでにはまだ時間があるし、幽霊が現れるならやっぱり日付が変わる頃だろう。長丁場になるが、このままここで待つことにしよう。
 そう決めた私はその場に椅子を広げ、ついでに毛布と何か暖かい飲み物を用意することにした。出来損ないのキャンプみたいな光景だが、この仕事にはこういう待ち長い状況がよくあるのだ。慣れていてよかった。
 椅子に深く腰掛け、脚も投げ出してリラックスする。依頼できているのに休暇を取っているような気分だった。紅茶を少し飲んでしばらくしてから、じわじわと眠気がやってきた。
 眠気に身を任せると、そのまま沈み込んでいくような心地がして、そのまま意識を手放した。

 肌寒さに目を覚ました。
 日が沈んで辺りはすっかり真っ暗になっている。空を見上げれば雲の間に大きな月とともに星が光っていた。今日は満月だ。雲が時折月を覆い隠しながら流れていく。
 市街地のビル灯りが見えたが、その明かりはここまでは届かないようだ。手前の丘の稜線にきらきらと光っているのが見えるばかりだった。
 一方馬力発電所は砂埃ごと夜闇の中に沈んでいた。発電所は無人で運営されているし、シャフトの周りを回り続ける彼らには首がないから明かりは必要ないのだ。

 周りの草原を見渡したが虫の声がするのみで何もいないようだ。まだ件の馬幽霊は現れていないようだった。依頼人は「夜な夜な走り回る」とは言っていたが、毎日幽霊が現れているとはそういえば言われていない。
 もしかしたら今夜は現れないのかもしれないな。ハズレだったかと思いながら片付けを始めることにする。野宿をする用意はあるが、こんなに開けた場所は少し嫌だった。
 椅子でも片付けようか、としゃがみ込んだとき、ふっと辺りが暗くなった。雲に月が隠れたのだろう。
 椅子の前にしゃがみ込んだまま雲が切れるのを待とうとしたとき、にわかに背後がぼんやりと青白く光っていることに気がついた。
 思わず息を止めて耳を澄ます。しかし何も聞こえない。

 しばらくしてからゆっくりと、できるだけ静かに息を吐いた。後ろの何者かは物音も立てず、身じろぎ一つしていないようだ。
 恐らく馬幽霊が現れたのだ。意を決して振り返ることにした。

 彼の言っていたとおり、確かにつま先は見えなかった。しかし、すぐ下の草は踏まれたように平らになっている。見えないつま先が草を踏み分けているように。
 ゆっくりと視線を上げていくと青白い脚が目に入った。太くて力強い、立派な脚だ。発電所の彼らよりも太い脚なのではないか、そう思った。
 さらに顔を上げていくと、きんにくのしっかりついた胴体が見える。そこかに繋がっている太い首も。
 そしてついに頭を見上げた。

 そして、私はとうとう、青白く輝く馬の幽霊と目を合わせたのであった。
 緩やかに膨らむ鼻を見ながら、鼻息は感じないんだな、とそんなことを考えていたのだった。


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