母
注
此れから先の話を、お読み下さる前に。
両親に感謝出来て、尊敬している、と言う方は読まない方が良いと思います。
子育てを必死に頑張っている方にもオススメは出来ません。
あくまで、此の母、は私の母のお話です。
私が書き残しておきたい事の前に、先ず此の人の話をしなければいけないと思う。
23歳の冬に私を産んだ母親。24、26歳で弟妹を産んだ。(異父弟は43歳だ)
妹を産む前後で、離婚もせず旦那から逃げ、実家に戻ったバカ女。
虐待している自覚もなく私を痛め付け、自分の正当性を5歳未満の幼児に喚いていた。
子育て中だと内職をしていたが、結局直ぐ飽きていたのを覚えている。
隣県に引越し後、製造業で町内にある工場に働きに出たが長く続く仕事は無かった。大体の大きな工場は全て行った。
幾つかの工場では浮気もワンセット。
そして、母親が33歳の時、祖父の行き付けだったスナックにバイトする事になってからが、バカ女の本領が発揮された。
歳を考えない胸と尻を強調した服装。濃いメイク(此の所為で私は化粧の匂いが嫌いだ)にピンヒールで、田舎の坂道を闊歩していた。
高身長で脚の長いスレンダーは、ある意味自慢の母親だろうが。
毎夜毎夜、泥酔して帰宅。泣きながら暴力を振るっていた。
毎週末になると、今日のお父さん、と浮気相手を紹介された。
唯一、母にプレゼントした事がある黄色い手帳には、浮気相手とのセックス内容が事細かに書かれていたのを読んで吐き気がしたのは、中学生の時、男と出て行った後だった。
暴力女で、異性が居ないと生きて行けない、性にだらしなくて、酒に逃げるクズ女。
其れが私の母親で、そう言う類の生き物が嫌悪の対象です。
酔う度に
「私は○○県のヤクザにツテがある」
「私が頼めば誰でも処分してくれる」
と、当時小学生の私に言い続けた。
男と九州に逃げて暮らしていた時も
「パパは元々××組の人間で、何時だって車にドスを仕込んでて怖いものなんてない」
と言っていた。
楽しげに、人を脅していた。
本当かは知らないが、学生時代、本人も馬鹿力任せにスケバン(世代がバレますねw)をノシていたらしいので、元々、そう言う性癖なのでしょう。
死ね、殺す、等日常的に言っていました。
私は其れを間近で見て育ちました。
暴力を受けて育ちました。
まともな恋愛感情が育つ前に、クソの様な下らない色恋沙汰を沢山見させられました。
そして、指摘されるとしおらしく
「事故の後遺症で昔の事は、余り覚えてないの」
と、言えば済む、と母親がしたり顔で笑っているのも見てきました。
ので、私は、此のタイプの人間を全く信じていません。クズ、無能、害悪、だと思っています。
どんなに耳障りの良い言葉を紡いで来ようが、此方をバカにして騙してこようとしているのが見て取れます。
母親は死んでくれて困らない程、大嫌いですが、あの女のお陰で他人に騙される事無く生きてこられました。
思い出すだけでも苦痛の対象です。
虐待の名残を見て、同じ目に合わせたくなる程憎悪します。
ですが、此の話を書かないと、次の話でややこしくなりそうなので、歯を食いしばりながら書きました。
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