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【短編小説】罰当たり厄払い

 やっぱり今日のうちに厄払いに行こうと決めたのは、ジムから帰ってきた直後だった。

 今年は年女で本厄。去年の前厄は気づかないふりをしていたのだけれど、そのせいなのか、仕事でだいぶやられてしまった。だから本厄の今年は絶対に厄払いをしたほうがいいと思っていたものの、面倒が勝って事前の予約に踏み切れないでいた。

 だがしかし。このご時世に明日から一人旅に行く予定があるのだった。仕事は山のようにあるが、職場離脱のために5営業日の休みは必須なのだ。その休みを使って、私は日本の南の方へ行くことにしていた。まさかこんなに急激に感染者が増えるとはと困惑しながらも、旅行はキャンセルしないことにした。2年ぶりの旅行だった。

 去年無理のあるスケジュールの仕事をする中で私を襲った虚脱感や強烈な焦燥感、久しぶりの飛行機、この時期の旅行という現実は厄払いをする理由としては十分であるにも関わらず、予約をしようとしない自分に心底うんざりしていた。だけど今日は怠惰な私がかろうじて続けているジム帰りのわりと前向きなエネルギーの勢いで、近所の神社に電話をした。今日予約が取れますようにと念じながら。

 3コールほどで年配の女性が電話に出た。
「あの、今日、厄払いを受けたいのですが、直近だと何時に受けられますか」
「あーそうですね。11時半はもう間に合わないし、そうすると、13時半はどうでしょうか」

 現在11時20分。あと2時間。私はしばし逡巡する。

 実はとてもお腹が空いているのだった。朝起きて甘酒を牛乳で割ったものを一杯だけ飲んでジムに行ったので、今日はまだ私の胃には固形物が入っていなかった。私は日曜日のの昼には好きなものを食べてお酒を飲む習慣があって、そのときに向けて朝はあまり食べないようにしているのだ。昼にたくさん食べるので夜も食べない。そんなもの今日くらい我慢しろと言われるかもしれないけれど、今の私にとって睡眠の次に重要なひと時なので、簡単に諦めるわけにはいかない。

 でも飲酒をして厄払いに行ってしまったら神様の逆鱗に触れて、目も当てられない一年になってしまう気がする。だからどうしても飲酒前に行きたくて、そうすると何かを食べられるのは当分先ということになる。中途半端に腹を満たすようなことはしたくない。

「ちなみに何分くらいで終わりますかね」
「15分くらいですよ」

 私は空腹に耐える覚悟を決め、13時半に予約を入れた。それまでにシャワーで汗を流し、旅行の準備をし、昼食の下ごしらえをすることにした。昼食はナポリタンに決めていた。私の好物だ。具は玉ねぎ一個、ピーマン二個、ツナ缶。それからサラダ用にアボカドとトマト。サラダは最近再び私に訪れた食べるラー油ブームに乗っかり、食べるラー油7に対して酢2、醤油1の割合で和えるつもりだ。ナポリタンに合うかどうかは関係ない。食べたいものを食べるのだ。おやつは前に買って冷凍しておいた今川焼(おぐらあん)だ。

 3泊4日で必要な服の枚数に悩み、化粧水は試供品で集めた分だけで足りるか悩み、便秘薬を持っていくかで悩んでいたらあっという間に13時になり、慌てて野菜たちを切り、着替えて軽く化粧をして家を出た。

 神社は徒歩5分ほどのところにあって、在宅勤務のときはお昼を食べた後の散歩でたまにお参りに行く。今年の初詣も行った。でも厄払いをしてもらうのは初めてだ。小さい神社だけれども結婚式もできるらしい。近所で育った幼馴染のカップルなどがやるのだろうか。

 鳥居の前でお辞儀をして境内に入る。社殿の横に「ご祈祷受付」という看板があるのを見つけた。近寄っていくと夫婦と思われる2人が受付をしているところで、初穂料を払っていた。事前に電話で初穂料は5000円か10000円のどちらにするか聞かれていて、私は5000円と答えていた。いい歳だし、本厄だし、10000円にしなさいよと私の中の私が言ってくるのだけれど、ほら、明日から旅行で出費があるわけだからと言い訳をして抑え込んだ。今年の私の行く末に対する不安は募るばかりだけれども仕方がない。5000円の差は大きい。

 夫婦の受付が終わり、私の番になった。白い袴を着た男性に名前と予約時間を伝えると、受付票の束から私の名前を探し始める。1回、2回、3回と束を行ったり来たりして、どうも困っている。

「今日電話したんです。お昼前に」
「うーん。ないですね。少々お待ちください」

 男性はそう言って社務所の方へ向かった。もしかして違う神社に電話してしまったのかもしれない。いや、そもそもあの電話のやり取りは、どうしても今日厄払いを受けたかった私が作り出した幻想だったのかもしれない。私は自信を無くし、立ち尽くす。

 社殿の中から太鼓の音が聞こえ始める。きっと13時半の回が始まってしまったに違いない。おろおろとしている私の視界に先ほどの男性が入る。小走りで私のほうへ向かってくる。何を言われるのかと身構える。

「確認したところ、明日で予約を受け付けていました」
「え」
「13時半の回は始まってしまったので、14時からなら受けられます」
「え」

 私の胃袋がうなり声を上げて荒ぶっているのを感じる。そのエネルギーは一気に全身に回り、私はおろおろから一転、いら立ちに支配される。

「どうして間違えたんですかね。今日って言ったんですよ。何でなのでしょう」
「はい。申し訳ありません」

 男性の申し訳ないはぎこちなく、そんなに申し訳なく思っていないのか、それとも言葉に感情がうまく乗せられないのか、どちらなのか分からなかった。どっちですかと問い質したいとすら思ったが、そこまでしたら私は二度とこの神社には来られないと思いなおし、何とかこらえた。神社出禁のダメージはぴんとこないが計り知れない。

 仕方なく14時からの回にすることにして、初穂料を払う。私と男性の間には神社には不似合いな不穏な空気が流れ続ける。

 待合室でお待ちくださいと男性が指をさすほうには小学校の運動会で校庭にあるようなテントがあって、そこには家庭的なダイニングテーブルといくつか椅子が置かれていた。ダイニングテーブルの脇に置かれたストーブのスイッチが入ってないことを確認すると、私は拗ねた態度でストーブから一番遠い椅子に座る。その後男性がスイッチを入れにきてくれても、私は何の反応もしなかったし、席も移動しなかった。

 座って何もしないでいるとだんだん足先から冷えてきて、私は少しずつ冷静になってくる。

 そもそも厄払いをするのに直前に予約をし、自分の習慣を貫くために空腹という余裕ない状態で神社に行こうという考えが問題だったかもしれない。空腹に任せてどのくらいの時間で厄払いが終わるかなんていう質問をしたのも今となればちょっとどうかと思う。厄を払ってもらおうという人の言葉ではない。
 そんなことだから私は神様に試されたのかもしれない。予約を間違った神社側に対してどんな対応をするのか見られていたに違いない。そこで私は人の失敗を責めるという痛恨のミスを犯す。激昂はしていないものの、我ながらねっとりとひどく感じの悪い言い方だった。

 もしもうちょっとまともな状態だったら、普段の自分の仕事ぶりを振り返り、人は失敗するものだよなあと寛大な心持ちでいられたかもしれないのに。そうすれば神様も初穂料の分しっかり私の厄を払ってくれただろうけれども、今の私では腐った性根を叩き直すための試練という名の厄を次々に与えられてしまうかもしれない。想像しただけでぞっとして、吐くものはないけれど吐き気がしてくる。厄払いを受けることにして厄が増えるという矛盾におびえる。

 14時少し前になると、先ほどの男性が呼びに来た。とにかく神様に謝罪し、可能な限り厄を払ってもらわねばと気持ちを切り替える。

 社殿に入り、指定された席に着く。私のほかに女性1人がいる。こちらも厄払いらしい。ご祈祷が始まり、私は今日のもろもろの失態を謝罪するが、すきま風で足元がすーすーしてすぐに気が散ってしまう。本当に私はどうかしている。

 玉串をお供えする段になり、私は仕切り直してお祈りする。

 今日改めて自らの未熟さを痛感しました。今年は余裕のある、度量の大きい女を目指します。なので、どうか厄はできるだけ少なく、私がそこまで無理せずに越えられるレベルのものでお願いします。それから、できる限り日々穏やかに過ごせますように。仕事で壊死した心が元に戻りますように。私の周りの人と、実家の犬と私の家のかめが健康で過ごせますように。

 ずうずうしく長々と祈って席に戻る。もう一人の番も終わり、最後に授与品を渡される。女性の紙袋は私のものより大きい。きっと初穂料が10000円だったのだろうと眺める。

 社殿を出ると、ご祈祷受付に年配の女性がいるのを見つける。きっとこの人が私の予約を間違ったのだ。ちょっと一言謝ってほしいなと思いながら女性へ視線を送る。ついさっき度量の大きい女になると誓ったのに、ものの数分でこの有様だ。自分に失望しつつも、空腹が一刻も早く私を家に帰したがっている。とにかく今はお腹を満たさなければならない。私は足早に家を目指す。
 
 ナポリタンはうまくできたし、アボカドの熟し具合はちょうどよく、今川焼もおいしかった。ビールとハイボールを飲んだ。旅の準備も万端で、いい気分で早めに眠りについた。

 厄というか、罰というか、それはあっという間にやってきた。

 飛行機のトレイの中で私はおののいた。予想外の生理だ。次の生理まであと10日はあったはずなのに。ほぼ狂いなく28日周期で生理がやってくることが私の数少ない取柄だったのに、まさか旅行に合わせてそこを崩しに来るとは。本厄の仕業なのか昨日の失態への罰なのか。静かに私を満たす絶望感。

 もちろん旅の荷物に生理用品はない。まずはCAさんにナプキンをもらえるか聞かなくては。

 旅先で最初に買うものが決まったなと、私は天を仰いだ。


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