車の街と歩く町(文サお茶代4月課題:街)
四月は初週の平日。
打ち合わせのため汽車を乗り継ぎ、降り立った街は真っ白だった。
正確に言えば、時刻表が真っ白だった。
バスは走っているけれど、運休の便がほとんどで、時間の欄が真っ白だったのだ。
ここは、私の住む街のずっと隣にあるところ。
はるか遠くというわけではないが、普段は車で走る街である。
昼から走る便もちらほらあったが、バス停の名前と地名をうまく結びつけられず、路線図を見ても上下左右どこにいけばいいのかわからなかった。
スマートフォンで地図を開いてみると、目的地までは3kmと少しの距離であり、徒歩であれば49分ぐらいで着くらしい。
時間は朝の8時すぎ、打ち合わせは昼過ぎからで余裕はある。よし、歩いてみよう。
大した決意もなく「なんとなくいけそうだ」と思って軽率に歩きはじめてみたが、5分ほど歩いて唖然とした。
車で走れば一瞬の道のりが、こんなにも長く感じるなんて。
当たり前のことだけど、なんだか無性に感動した。困惑するより安堵の気持ちが大きくて、部屋着に着替えた時のような身軽さがあった。
風はまだ少し冷たいけれど、それが心地よく感じるぐらいの快晴で、「春の陽気にあてられて……」なんて枕詞が頭がよぎる。
ともかく私は張り切って、どこまでも歩いていけるような気持ちで歩みを進めた。目的地とは真逆の方向へ——。
運転時の感覚を捨てきれないまま散歩するのは大変に危険である。
道を間違えた時、車ならば迂回することでたやすく挽回できるが、徒歩であればそうはいかない。気付きの遅さが命取りであり、脳神経の失態は足腰の犠牲を以てして挽回しなければならないのだ。
浮かれた私とその脳みそは、すでにデジタルデトックスの気概である。
車で走った時の記憶を頼りに迷うことなく遠ざかり、気が付いた時には一級河川の土手道で、河川敷を埋め尽くす菜の花の群れを眺めていた。
山手線で例えるならば、東京駅から上野を目指すはずが、序盤の選択を誤り、のほほんと品川まで来た感じである。
ここでようやくマップを開く。
49分で着くはずが「あと56分」みたいな表示に変わっていた。出発してからすでに1時間経っているのに?と少し混乱しつつ、小川を見てしばしの現実逃避。やんぬるかな……。
環状のルートで出発地点の駅まで戻り、往路と同じぐらいの時間をかけて、ついに御徒町ぐらいのあたりまでやってきた。しかし、感覚的に言えば、目的地は三鷹のあたりなのである。まだか、まだ座れないのか。
司令塔の失態は配下の犠牲を以てして挽回される。その頃には、足の裏に確かなマメの存在を感じていた。
快晴の空の下、もう椅子に座ることしか考えていなかった。足が痛む時は、何をしてもダメになる。目の前にどれだけ美しい景色が広がっていようと、情緒など感じる隙も無い。
行ったり来たりを繰り返し、ありとあらゆる形の椅子を想像しながら、どうにかファミリーレストランに辿り着く。
早起きが功を成し、到着時刻は11時半ぐらい。
ドリンクバー付きのランチセットを注文し、お腹を満たしてひと息ついた。休めば楽になるのかと思いきやますます痛い。時間の流れに比例して、立ち上がることが億劫になってくる。
幸か不幸か、セットにはスープバーも付いていた。水と糖と塩分は確保できているから、ここにいる限り死ぬことは無いと考える。
——ダメである。ファミレスと言えど24時間営業ではないし、そもそもこの後には予定があるのだ。
目的は移住ではないのだからと決意し、会計を済ませる。単純に混んできたから居づらかったのが8割、無念である。
なんだかんだで無事に予定を済ませ、帰りはさすがにバスを探した。
すぐ近くに100円バスの乗り場があって、帰りは20分もかからなかった。
路線図を見ただけで諦めてしまうなんて、我ながら本当に極端な性格だと思う。
最初から駅の窓口で聞けば良かったのにね。
息を吐くより静かな声でそう呟いてみるけれど、徒労はすぐに楽しい思い出へと成り代わってしまうので、なんだかんだ良い一日だったなと振り返った。
足裏にできたマメは、未だ治らないままである。
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