あっちの世界とこっちの世界

僕は22歳にして哀しい年末年始を過ごした。

12月11日にコロナ陽性になりそれはそれは重症化した。
毎日死を隣り合わせにしているような感覚だった。
発熱は約2週間に及び、やっと療養を明けられるという日はクリスマスだった。熱が下がっただけで後遺症で永遠続く咳が残った。

28日ついに後遺症外来に行った。
僕の咳の原因は重度の肺炎と肺膿症という病気だった。

コロナが治ったのにも関わらず、もう新しい病気にかかっていた。
さすがである。
そう。緊急入院だ。

つまりそう。グッバイ。年末年始。

最低でも2週間〜1ヶ月の入院が必要と言い渡された。
グッバイ年越しそば、紅白、あけおめ、初詣、屋台、おみくじ、初売り。。

僕は、6人部屋に配属されて当時4人いた。
だけど年末が近づくごとにみんな退院していった。
重症患者扱いの僕だけが取り残される感じになり、同時に広い6人部屋が僕のものになった。

病室からは、イルミや年末年始に心躍らせてる人間たちが見えた。
そんな景色を見ながら咳き込んで死にそうになる僕。

“こっち側とあっち側は違う世界だったんだ”

早くあっちの世界で自由に動き回りたいと何度思ったことか。
だけどこの状態であっちの世界にいったところで何もできない。
無念である。

そこから1週間。
こっちの世界ではほとんど同じ内容の日が続いた。
1日4回の点滴、質素だけど消化にいい食事、YouTube、Netflix、アマプラ、おばあちゃんの独り言、賑わうあっちの世界。

やりたいこと、やらないといけないこともたくさんあった。
でもそれらをやらなくていい正当な理由づけができてしまっている。
保健室で半仮病で寝ている時と同じ気持ちだった。

そして、途中経過の検査があった。
医師もびっくり。
めちゃくちゃ治っていたのだ。当然完治はしていないが。

その結果から2週間〜1ヶ月と言われていた入院は1週間で幕を閉じた。

今では念願のあっちの世界で社会復帰のリハビリをしている。

コロナと合わせたら、ほぼ1ヶ月寝たきりだったから全身ヨボヨボなのだ。
ゆっくりゆっくり治すドン。

今の僕のこっちの世界、病棟のあっちの世界、他にもきっと数えきれないくらいの世界が広がっている。

心臓が止まるまでに果たしてどれだけの世界をみることができるんだろう。
ワクワクである。








いま冷凍した牛肉リビングで自然解凍してるんだけど全然溶けねえな。


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