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逃げ続けてここにあるのは、恐竜が繋がれてるみたいな手枷足枷ごつい鎖という家族の絆だったよん(笑)

その昔、家族に背を向けないと息ができなかった16歳の私が逃げ込んだ先は、おいしいお菓子をかじるたびに何度も感動しながら食べるがごとく愛でてくれた同い年の少年の腕の中。いい人だったよ。

その彼のしなやかな皮膚のどこまでが彼でどこからが私なのかわからないほど一緒に過ごした数年を経て、あのひとは私で私はあのひとで、でも私はあのひとじゃなくてあのひとは私じゃないとちゃんと深くわかっている少し歪な愛を抱えるようになったのは19歳の頃だったかな。

ぜんぶ通り過ぎて、ほんの小さくどこかが欠けたらもう全部愛してなくなったのは20歳の夏だったと思う。

欠けたのが心だっのか、時間とか物質的なものだったのか、それがどの瞬間だったのか覚えていないけれど、愛してなくなったから離れるしかない。きちんと思い出すと、逃げた、が正しい。修羅場、的な展開を経て。

そのあともいろんなものから逃げて来た。仕事、夫、妻とか嫁とかいう立場、友だち的な他人から。
娘や妹であることからはもっと幼いころからずっとずっと逃げてそして逃げきれていないし逃げられないともわかっていて逃げて来た。
それが私のだいたいの人生。そして、来年還暦だっていう今年、逃げ続けてきた自分のルーツをくるりと振り返って、逃げて来た数十年の蓄積に向かい合っている。きっかけは、春に母が死んだこと。

あんまり聞かないが俗に言う、多問題家族の問題解決の糸口を隠して繕うことに人生を賭けていた母があっけなく(と言っても88歳だったが)大腸がんの診断だが転移もないしバルーンで処置したらとりあえず一時帰宅できると言われた処置の翌日、病院のベッドで死んだ。

そして89歳の父と62歳の自閉症の姉が残されて、その生活に、介入せざるを得なくなった、いや、やっと介入できることになった。
新しい家族の始まり。
何から手を付けようかと思いを巡らす頭の中、いろいろなことが四方八方から押し寄せてくる予感が杞憂ではないことだけは自信満々で確信できた。

美しい言葉として使われることが多い絆って言葉に、プチ嫌悪感がある。
だって絆って手枷足枷にもなる、つまり、どんなことをしても外せない切れない鎖みたいなもんだから。
切ろうとか逃れようとかどんなにがんばったって、鎖は私が死ぬまで存在し続けるってことも半世紀越え生きて来て理解した。

ってことで、これからは、うちの家族の絆は映画で恐竜が繋がれていた鎖くらいごついんだぜって声を大にして自慢しよう。


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