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【メガネ的】話を聞く時の心持ち

はじめての方ははじめまして。
前回から見てくださっている方はお久しぶりです。
メガネです。

今回は親との会話を通して、学んだことを話していきたいと思います。かなり情報過多になると思うので、区切りをつけて何度か休憩して、頭をリフレッシュすることをオススメします。

あと前提として、今から話すことは一私の知識であり、これが必ずしも正しいものではなく、誰もが人生で活かせるものということではない。
ということを頭の中にとどめておいてください。

皆さんは、人生において大変だと思ったことはありますか?
私が人生において、今もなお一番苦労していることが、人間関係です。
そこで今回は、人間関係の中で(個人的に)最もトラブルのもとになりやすい、【コミュニケーション】を題材として話していきます。

最初に、コミュニケーションの定義をはっきりさせておきます。
ここで言うコミュニケーションとは、言葉や身振りなどで思いを伝える行為を指します。

皆さんは、何か話をするときに、心がけていることはありますか?
私は会話をするときに、傾聴を意識するようにしています。

では、その傾聴とは実際にどのような意味なのか、何故するのか。と皆さんは考えたことありますか?私は、傾聴の意味を考えはしましたが、何故それをやるか、それをやってどのような利益が発生するかということを考えたことはありませんでした。
そこで母から、言われた傾聴の意義が「相手の発言に対して偏見を抱かないようにする」でした。
どういうことか詳細を話すと、相手が結論を言う前に、発言の中にある一つのキーワードや、その人に対してのイメージで発言の価値を決めつけてしまうからです。

つまり、傾聴とは『相手の言うことをすべて受け入れる』のではなく、『一度相手の発言を最後まで聞き、発言が終わってから意味を考察する』ということです。

では、どうやったら相手の発言に偏見を抱かず聞くかというと。無意識に行っている、反応と判断を制御するということです。
...まあ、わかります。急に『無意識の反応と判断の制御』と言われても、「何言ってんだこいつ?」ってなるかもしれません。
ですが、この話は実はかなりシンプルで、人は意識せずに判断をくだしている、ということです。
簡単な例を上げると、「今日の通学、バスで行くか自転車で行くか。よし、体ダルいからバスで行こ」反応と判断しているという話では、納得してもらえると思います。
「体ダルい」が反応で「バスで行こ」が判断です。
ただ重要なのは、この反応と判断を意識して行ったかどうかです。もっと言うと、「今俺反応したな、決断したな」と自覚できるかです。
もっともっと極端にいうと、私から出たすべての思考は例外なく全て、無意識の反応であり判断である。

結論、反応と判断を制御するということは、自身の脳の働きや感情の動きを完全に掌握する、ということです。

続いて、どうすれば【無意識の反応と判断】(以下、無意識と呼称)を制御できるかというと。
簡単に言うと、自身が何を思ったかの解釈ではなく、ありのままの現実を見ることです。
要するに、【客観視】をするということです。
では何故客観視を行うと、無意識の制御できるかというと。
感情に振り回されないからです。
では何故、客観視を行うと感情に振り回されないかというと、感情とは判断を行って初めて表に出てくるものだからです
皆さんは、商店街や祭りの中で飛び交う様々な人々の発言に、ちくいち怒ったりしませんよね?
精々「ガヤガヤうるさいな」や「息苦しい」という無意識の判断をくだして、初めて苛立ちを覚えるくらいでしょう。

では結論、何をすれば客観視を行えるかというと...正直ここは私もまだわかっていません。
どう頑張っても、無意識下でやっていることは、もはや本能というレベルで刻まれているからです。

では、「客観視は現実的にありえないことなのか」と言われると、それはそれで違います。
私は、『本能は消すことも抑えつけることもできないが、誤魔化すことはできる』と考えています。
どういうことかというと、無意識の思考をさせる集中力の余白を残さない
つまり、今意識的にやっていることに全集中力を注ぐ、ということです。
人は集中できる個数には限界があります。
なら簡単な話、無意識や感情が割り込める、集中の隙間を開けないことです
これだと、範囲が広すぎると思うので、今私が実践している手法で言いますと。
相手の発言、一言一句に全集中力を割いて、話の途中で勝手に考察する余白を作らないというものです。
誰かと会話する際に、会話以外に集中力を割くと、まず会話そのものが疎かになります。
ならば簡単な話、今話している相手の話題にのみ集中力を使うということです。

あくまで上記の手法は検証中で、私自身もまだ瞬時な無意識の自覚や、相手の話に瞬時に集中するといのもまだできていません。ですので、習慣として身についたらまた、実際にやってみた成功例投稿します。

最後に、私の人生経験上で、会話(コミュニケーション)とはパズルである、と考えています。
会話の中にある単語一つ一つがピースで、途中で相手の結論を決めつけず、最後までしっかり話を聞いて初めて、パズルのピースは揃い、相手の伝えたいことという名のパズルが完成するんです。

心当たりがあったりする、読者の方々も、当然私も、最後まで人の話を聞かず、頭ごなしに主張やその人自身の否定などせず、最後まで人の話を聞くことを心がけましょう。

実際の結論に至る前に解釈したことは、事実ではなく、解釈という名のただの妄想です。

読者の皆様方、ここまで読んでくださりありがとうございます。
今後もこういった、人から得た知識や、思い当たった事などを不定期で投稿していきますので、気が向いたらまた見に来てください。