自分の大事な人にお金を払えなくなる恐怖と戦いながら生きると言うこと。

今日は経営コンサルの方と話し合いがあった。
課題を直したい、とかではなく、よりよく会社話をしていくならどうしていくのがいいか?
という意見交換の場だった。

いろいろ考えながら、今日は評価制度をどう変えていくのがいいのか?をぼんやり考えていたのですが、その時は制度を変えるのって素敵だなと思った一方で、帰路につくとぐるぐるが止まらなくなってしまった。

最初からあったハコにどんな意味を込めるか?

働く社員が本当に幸せに働く
と言うことと、評価が明確であること

ってイコールかと言われれば
そうではないかもしれない。

評価をしてもらうことで、
評価された人はモチベーションが上がるが
されない人は下がる。

特に、たまたま先代の目の付け所がよく、
競争環境にないまま今まで来ていた会社では
いくら実態が俗に言う"大手"と同じだったとしても"いろいろわかりやすくなったとて、べつにやる気ないねんけど"ってならん、、?

というかやる気って本当に必要なんだろうか。
会社ってずっと存続しなきゃいけない理由ってあるんだろうか。

こんな感じでてんで自分の意見にならない。
でも隣で聞いていた社長と顧問の2人は
"こう!"という方向性が決まっており、
思いの元には多くの社員が"やりがいを持って働けるなら"と強く願っていた。

いろんな愛の形

話は変わるが

私の祖父は豪遊家で、借金とか全然大丈夫なタイプの会社の信頼がボロボロになるくらいどんぶり勘定の派手派手親父だったけど

働く社員へ湯水を注ぐ様に還元するタイプでカリスマ的に慕われていた。今の税務署の基準じゃあてんで通らないと思う。知らんけど。

一方私の父はというと、
突然の祖父の夭折により、IT企業から突如後を継ぐことになった。婿養子の父。
大きくはリーマンのことがあり、倹約家で余計なことに金を使わせず無駄が嫌い、言い方もぶっきらぼうで目の敵にされる場面もある親父だけど

顧客とのご飯や付き合いはあまりせず、その分社員に投資したいらしい。先に仏頂面でまず社員にマスクを作り、手渡ししたり(マスクが父が考えたみんなの一番欲しいものだったと言うのがまた可愛い)、慰労金を払えるように法的な部分について垣根を越えて顧問と2人で話し合ったりしている。嫌われようが、当然のように会社にいる人を守ろうとする強さを持っている。

2人とも言えることは
この会社にいる以上は楽しく働いて欲しい。
それ以上でも以下でもない
と言う気持ちを強く持っていると言うこと。

ぱぁーっとお金も使わせて、仕事とプライベートの付き合いを織り交ぜた世界観をつくるか
仕事とプライベートはきっちり分けて
その分無駄を徹底して省き、プライベートを充実するための充実した福利厚生で返すスタイルをとっているか。

月日を言い訳にはできないけど、
会社員をやっていた時とは比べ物にならない打ち手を誤ったときの恐怖を覚えた。(今も会社員なんだけど、父の会社、であることが大きな恐怖になっている。)

本当に、本当に今のタイミングで
これに投資して正解なのか

一緒に作って欲しい
と伝えて、一緒になって会社のために本気の意見を言ってくれるのか。

きっと経営者はここに来るまでに、幾度となく
採用した人が突然いなくなったり
痺れを切らして辞められた人がいたり
苦渋の決断で一緒に働けなくなった人たちがいる。

この人たちを以ってしても、みんなが会社を信用してないかもしれないのに、自分は信頼して手を打つか、見限って自分を信用し続けて嫌われても手を打ち続けるか。

社長だけでは数字が作れない。だから社員と一緒に頑張る。でもその社員の為の一手がだだ滑りして、社員が一気に敵になることもある。

それでもなお信じて手を撃ち続けなければいけない仕事が、社長
と言う仕事である。

じゃあ人事は何ができるか?
ぶっきらぼう社長の一手が"伝わる"ように
1人でも多くの社員が同じ船に乗りたくなってくれるように
社内外に伝え、伝わりやすい仕組みを作る仕事である。

人を補填する仕事ではない。

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