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かはたれどき

丘の上から見えたのは、砂と廃墟のような建物が一面に広がる小さな町だった。
子供の頃、ふざけて祖父の手を顕微鏡で覗き込んだときの景色を思い出した。ザラザラで、でこぼこしているけれど不思議な安らぎがある。

乾いた土地には今日も強い風が吹いている。
ヒマラヤ山脈の山あいには、風車がたくさん並んでいた。

風を受けて回転するプロペラ。かつては小麦を挽き、今は電気を生み出している。そして、その回転軸を改造して人々はマニ車も回しているようだ。

マニ車はくるりと1回転すると経典を一周読んだことになる円柱状の代物。自然の力を借りてこの国唯一の輸出物である電気を作りながら、人々はちゃっかり徳も積んでいるというわけだ。
風力発電で生計を立てながら彼らは極楽浄土へと向かう。
風と産業と信仰が交わった暮らしが成立しているらしい。

その景色をぼんやり眺めていると、マニ車のまわりに何かが無数に置かれていることに気づいた。近づいて覗き込むと、小さな円錐状の白い焼き物が並んでいた。

「あれは『ニルニル』っていうんだ。遺灰でできた仏塔だよ。」

そこに居合わせた男が私の視線の先に気づいて教えてくれた。

彼の解説によると、この地での火葬は亡くなった人を灰になるまで燃やすことをさすのだという。49日で輪廻転生すると信じる彼らは墓を持たない。遺灰のほとんどを川へと流し、一部を土と混ぜて焼き、仏塔として聖地や景色の良い場所に供える。そうしていつしか土に還っていくのだ。

彼らの流儀でいくと、死は生きることの一部にすぎないのかもしれない。
死が暮らしの中に淡々と存在している。それを粛々と巡らせるのが自分たちの役割だと言われているような気がした。
そうであるならば、もう寂しいと思う必要もなくなるのだろうか。


***


「この先に、日本の餃子みたいなのがうまい店があるんだ。屋台に壁板を貼り付けただけの小さな店だけど、君が構わないなら。」

仏塔の前で出会った男はダニエルといった。アイルランド出身の若手写真家で、世界中の神社仏閣を撮影して巡っているらしい。解説役を買って出てくれた彼と今日1日一緒に過ごした。帰り道、その彼が紹介する店で一緒に夕食をとることにする。

水のように薄く飲みやすいビールで喉を潤し「餃子みたいなもの」をつつきながら、彼が撮影してきた世界各地の聖地や寺院の写真を見せてもらった。

「メキシコの死者の祭りって、日本のお盆と似てる......」

お祭りの写真を眺めながらそう言うと、
「ハロウィンだって、そのルーツになった僕の故郷に伝わるケルトのサウィンだってお盆みたいなものだよ。遠く離れた地域の宗教が似てるって不思議な気もするけど、みんなが奥底で繋がってるみたいでそういうものを見つけると嬉しくなるんだ。」と、ほろ酔いの潤んだ瞳をこちらに向けた彼はにっこり微笑んだ。

「誰かを失った時の気持ちはどこにいたって同じなのね、きっと。だから交流のない地域の人たちの死生観が似てても自然なことな気がするの。みんな寂しいし、会いたい気持ちになる。だから祈ってるのかもしれない」
この人懐っこい笑顔を見ていると、つい話しすぎてしまう。

「それは、自分のため?それとも、相手のため?」

「結局自分のためなんじゃないかと思う。少なくとも私は自分のため。」


夕暮れが終わり、店には冷たい風が吹き込み始めた。
窓の外には、太陽を眠らせた後の深い青が覗いていて、いっそあの中に吸い込まれてしまいたいなと思う。

「君はどうしてここへ?」
そう尋ねられて、向こう側に飛び出しかけた意識が賑やかな店の中に引き戻される。

「とくに理由があったわけじゃないの。ただ……」
彼は静かに続きの言葉を待つ。

「東京の音がすごく気になって、うるさく感じるようになって。騒がしい場所にいるとすごく孤独に感じることってあるでしょう。それに耐えられなくなって逃げ出してきたのかもしれない。」

「ふうん......、そうか......。
 ......ところで君は、東の丘の寺院にはもう行った?」

何かを思い出したようなその問いに、首を横に振ると「明日行ってみるといい。」と、こちらの顔を覗き込んで、それまでとは違う真剣な顔で言う。
とても大事なことなのだ、というように。

「さて、お腹も満たされたし、そろそろ出ようか」
元の笑顔に戻ったダニエルの声がテーブルに響いた。

店を出ると、大きな月がこちらを見下ろしていた。

「ねぇ、ここは君のための場所だ。大丈夫だ、行っておいで。」
そういえば、この町も店の喧騒も私を孤独にはしなかった。
またにっこり笑った彼はそう言うと、ゆっくりおやすみと髪を撫でた。


翌朝、東の丘へ向かい、砂だらけの寺院に足を踏み入れる。
老師に呼び止められて言われるがままに横たわると、彼女は私の喉元にそっと手を乗せた。
その手でゆっくりと私の身体をゆらゆらと揺らす。心地よい揺れを受け止めると、なぜか涙が出た。わけもなくボロボロと流れる。止まらないのだ。

「why?why?why?」

苦手な英語がさらに無茶苦茶になって必死で「なんで?」と聞くと、「寂しいを解放している」、と。

You are scared of loneliness at the bottom of your heart. I just release loneliness.
No matter how loved you are, loneliness never disappears.
But don't worry, it is natural. Don't be afraid anymore.
Accept that there is loneliness. That will bring you peace.


そう言って、老師はただゆっくり優しく微笑むだけだった。


私はいつも寂しい。
だけど、私にはそんなことを言う資格はないはずなのだ。
私は、家族仲の良い家庭に生まれて、両親にも愛されて育てられた実感がある。
だけど、いつも寂しい。
いつかそれを許せる日が来るといい。



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開催中止となった2020年5月の文学フリマに参加予定でした。
その際作った同人誌に掲載した作品をnote用に改稿したものです。

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