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眠れる森の雪

「真っ白な代々木公園って見たことある?」


明治神宮へと続く大通り沿いのフルーツパーラー。
私たちが座る窓際の席からは、振袖姿の女の子たちが行き交う様子が見える。
それを愛おしそうに眺める彼女に、そう問いかけられた。
年に一度、こうして会うときの義姉は少し饒舌だ。

「私が二十歳の年の大晦日ね、東京は大雪だったの。
私、そのころ渋谷のデパートでアルバイトをしていてね。31日も遅番でシフトが入ってて....。年末までみっちり働くなんてつまんないなぁって思ってたんだけど、サークルの友達が『年末年始に都内にいるメンバーで年越ししよう』って誘ってくれたの。

私の実家って横浜でしょう。

東京で仲間と年越しなんて初めてで、すごく楽しみになったのよね。

大学は渋谷にあったし都内で朝まで飲んだことだってあったけど、年越しって少し特別な気分になるじゃない?

カウントダウンのあと、そのまま明治神宮にお参りに行って、帰りは原宿駅のあのレトロな臨時ホームから電車乗ってみたいなぁとか、ミーハーなイメージふくらませてね。ふふふ」

その日、夕方から降り始めた雪の影響で交通機関は麻痺してしまい、結局31日の夜に集まれたのは私の兄と義姉だけだったらしい。



「裕子ちゃんのお兄さんとはその頃まだ付き合ってなかったの。
2人だけで遊んだこともなかったからどうしようかなぁと思ったんだけど、せっかく私のバイトが終わるのを待っていてくれるっていうから、私たちだけで集まることにしたの。

待ち合わせた時はまだ雪が降っていてね。とにかくどこかに入ろうって、センター街のはずれにある居酒屋さんで飲んでるうちに気づいたら年は越しちゃってたんだけど、楽しかったなぁ。
お店を出たらもう雪は止んでいて、酔い覚ましにちょっと歩こうってことになって。
雪でびちょびちょの道を滑らないようにそうっと歩いて代々木公園に向かったの。
お詣りに行く前にちょっと寄ってみようって。

何もこんな日に代々木公園目指さなくてもいいのにねぇ。大学生って変よね。
私たち、学祭の打ち上げの最後は明け方の代々木公園で始発までの時間をつぶしてたから、なんとなくオール明けは代々木公園に行くものって刷り込まれちゃってたのよね」


−− 「雪の日、代々木公園の入り口は、ほとんど真っ暗だった」


そうぽろりと口にしてどこか嬉しそうにしていた兄を思い出した。
年末直前になって里帰りをキャンセルした彼にわけを尋ねてはぐらかされた時だ。
そうか、あれはこの夜のことだったのか。


「公園には誰もいなくって、シーンと静まり返ってた。
外は真っ暗なのに、門の中に入ると不思議と明るくて道が光ってるの。月明かりが雪に反射してたのね。

淡い光がキラキラして、枯れ木は白い花を咲かせてるみたいで…。
まるでおとぎの国の森だった。
ほら、東山魁夷の絵に白馬が冬山の林の間からこっちを見てるのあるでしょう?あんな風にこの森のどこかに馬とか・・・もしかしたらユニコーンでも隠れてるんじゃないかなんて思えたの。

息を吸うと鼻が痺れちゃいそうなくらいキーンと冷たくって、指先もビリビリして。寒さで酔いはすっかり冷めてるのに、感覚が麻痺してちょっとボーっとしてた。だから記憶が少し曖昧なの。夢見心地ってあんな感じかしらね。


ザクッザクッって音を立てながらまっさらな雪に足跡をつけて、寒いよーって言いながら2人で進んでいって....。


そうそう、公園の真ん中にある大きな池って、中心に小島が浮かんでるじゃない?池に氷がはってたから、水面を歩いてあそこまで行けるんじゃないかなんて、ふふふ。

一緒に池に踏み出したら、見事にベリベリって氷が割れてね。
私はレインブーツだったけど彼は普通のスニーカーで....。靴の先が水浸しになって、靴下まで染みちゃったの。ほら、あの人ほんとは寒がりでしょう。
きっとそれまでもずっと我慢して付き合ってくれてたのね。
でもさすがに限界だったんだわ。

顔も真っ青になってきたから、わたしもうびっくりして。
急いでタクシーを拾って、世田谷のはずれにあった彼のアパートまで連れて帰ったの。手もキンキンに冷えてて、気の毒だからタクシーの中でずっとさすってあっためてた。なんだか死んじゃいそうで、これは私が守ってあげなきゃなぁなんて思っちゃったのよね。ほら、私の手って、いつも結構あったかいし。うふふ」

義姉はふくふくの手をこちらに見せながら懐かしそうに目を細めた。



冷え性の兄の手は、子どもの頃からいつだって冷たかった。

最後に触れたのは、3年前の今日。
棺の中のその手は、ドライアイスで無機質に冷やされていて姉が温めても元には戻らないものだった。兄の不在を伝える別れの冷たさがそこに横たわっていた。


姉の思い出話に登場する兄の手には愉快な記憶があった。
姉のそばで今も暖かそうにしている兄の姿が見えた気がした。

手元のカフェオレを飲み干すと、温かい液体が体の中を伝う。
私の心に沈む寂しさの氷もわずかに溶けて、ぬくもりと混ざり合っていく。



「そろそろ、いこうか」

姉は新しい恋人ができても、今日が近づくと毎年私に連絡を寄越す。
そうして私たちは明治神宮へ初詣にでかける。


雪降る気配もない今年の東京。
原宿駅はオリンピックに向けた工事が始まり、新年の明治神宮直結の臨時ホーム利用を取りやめたらしい。時は巻き戻らず、前を向いている。

あたたかい冬は、おだやかに過ぎていく。

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