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病院にて

パールブルーの水平線。冬の、淡く沈んだ空。建物の白い壁が、夕陽を受けて燃えている。

病室から少し歩くと、食堂がある。そこで何かを売っているわけではなく、患者や見舞い客用にテーブルと椅子が置いてあるだけの、簡単な休憩所だ。北東と南東に向けた壁一面が窓になっており、湾が見渡せる。
面会時間を避ければ人も少なく、思う存分窓辺にいられる。

ヘッドフォンで静かなジャズピアノを聴きながら、見惚れる。海、空、湾岸道路のフェニックスの木。
グレーの鳥が2、3羽、空を舞っている。影になっているからグレーに見えているだけで、本当は白いのかもしれない。空は真っ青じゃないし、鳥は真っ白じゃない。もっともっと複雑で陰影があり、清潔で美しい色をしている。
ちゃんと見てないと、見逃してしまう。空は、カルピスを溶かしたような色から沈んだブルーグレーになり、飛行機雲が燃え盛るように伸びている。夕陽を受けていた建物はもう暗く、風景の中に溶け込んでいる。

病室は相部屋で、他の患者達は私よりも症状が重そうだ。歩行器を使って歩いていたり、夜中も頻繁に看護師が来る。痰をきる音や、投薬の相談をする声が聴こえる。
一方で、夜中にポリポリと何かを食べる音、すごい速さでTVをザッピングをする音、片言の日本語、電話で子どもと話す声…なんて人間的な音だろう。
夜は、いびきが聴こえる。それぞれが個性的ないびき。かく言う私も無呼吸症候群の気があるから、相当変わったいびきなのだろう。
ああこの人たちは、今、生きているんだなあと思う。そしてこの中には、自分の生の終わりと向き合っている人もきっといるのだ。

街のあかりがきらめき出しているのに気づく。飛行機雲はもう、夕闇に溶けてしまった。水平線も建物も、影のようにひっそりと黙っている。
見ていないと、見逃してしまう。味わわないと、終わってしまう。

丁寧に、味わいたい。何かをしていても、していなくても、丁寧に、味わい損ねないように。
ぼーっとする時の安らぎ、仕事する時のキリッとした活気。愛する人といる時の暖かさ。友達の眼差し。季節の移ろい。色も形も匂いも、心の様子も。

食堂の電気がつく。私は病室へ帰る。
看護師がカーテンを閉め、夜の幕が降りる。

※みんなのフォトギャラリーから、中井和味さんのお写真を使わせていただきました。

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