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”いつも笑っている母”でありたいのに……
これが普通なのか、そうでないのかはわらかないのだけど。
自分が小さかった頃の母の記憶は、ほとんどない。
母が、どんな表情で、どんな言葉で、どんな想いで私を育ててくれたのか、何も覚えていない。
幼いころの記憶は1つだけ。
幼稚園の年長さんの頃だっただろうか。理由は覚えていないのだけれど、家出をしようと、リュックに洋服を詰めていた。
母が帰ってきて「何してるの?」と聞かれ、「何もしてない」と答えたあと、泣きながらリュックに詰めた洋服をタンスに戻した。
その後の記憶は、小学3年生の頃だっただろうか。先生と母との三者懇談で母が言った「何も言わなくてもなんでもしてくれるので、本当に助かっています」という言葉に深く傷ついた。
私の兄は、小さい頃体が弱く頻繁に病院に通っていたから、母はつきっきりだった。父は残業続きで帰宅は24時を過ぎることも多く、夜勤の日もあった。
家に帰っても誰もいないことが多く、自宅で過ごすより、幼馴染の家にいた時間の方がおおかったんじゃないだろうか。
「寂しい」という感情をはっきりと持っていたわけではない。
でも、きっと私はずっと寂しかったのだと思う。
そんな私に、母はどんな想いを寄せ、どんな言葉をかけ、どんな表情を向けてくれていたのだろうか。
思い出せるのは、キッチンに立っている後ろ姿か、ダイニングの椅子に座ってため息をついている姿ばかり。
私の人生に笑顔の母はいない。
でも、なのか、だからこそ、なのか。
私は子どもたちにとって、いつも笑顔の母でありたいと思っている。
大人になってふと思い出したとき、誰かに母親はどんな人か聞かれたとき、できることならば「ずっと笑っている母でした」と答えてもらえるような母親になりたい。
でも、現実の私は全然笑っていない。
笑顔で穏やかなときもあれば、無表情で無言のときもあるし、チクチクと余計なことを言って八つ当たりをするときもある。
機嫌で子どもを動かすひどい母親なのだ。
この家で1番子どもなのは、間違いなく私で、子どもたちに私の機嫌をうかがわせてしまっている。
「母親」なんて名乗るのも恥ずかしいくらいの人間だ。
子どもたちに甘え、夫に甘え、自分の不機嫌を振りかざし、支配しようとする傲慢で強欲で、自己中心的な人間なのだ。
こんな母親でごめんと、何度謝ったかわからない。
でも、また繰り返してしまう。
毎日、自信を失っていく一方。
私なんかが母親でいていいのだろうか。
私なんかが子どもたちを幸せにしてあげられるのだろうか……。
先日読んだ本に、こんなことが書かれていた。
子どもの今があるのは、今日まで支えてきたあなたがいるから。
子どもが安心してぐっすり眠れる環境整えているのは、紛れもなくあなただ。
この言葉は少しだけ私に優しさを与えてくれ、少しだけ自信を持たせてくれる。お守りのような言葉になっている。
「もっと休まなきゃ」と「もっと頑張らなきゃ」が、ずっと私の中に渦巻いている。頑張っているときは休まなければと思うし、休んでいるときは頑張らなければと思う。
実際の行動と、感情が相反する状態にあるから、いつも落ち着かないし、いつも不安になる。穏やかになんていられないのだ。
「もっと休んで」「のんびりいこう」「もっと気楽に」と言われれば言われるほど、心が反発する。不安になりたくないから。
でも、それを求めているのも事実で、自分でもどうしたいのか、どうしたらいいのかがわからない。
わからないことだらけだ。自分のことなのに。
こんなに未熟な人間なのに、偉そうに自分の考えを発信するから、「良い人」を作り上げてしまうのだろう。
私は、決して良い母親ではない。
ちゃんと子育てもできない。
それでも、目の前には私が産んだ2人の息子がいる。
進む方向は決まっている。後戻りもできない。
まずは自分の心に真摯に向き合わないと。
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おまめ
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