2024年の挑戦①|4週間SNS断ちをしてみる
あけましておめでとうございます。
という言葉すら、少し躊躇しがちな2024年のスタート。
今目の前にあるいつもと変わらぬ日常を、大切に過ごさなければと身が引き締まる。1日でも早い復興のために、自分の手が届く範囲でできることを考えていこうと思う。
日常に少し毛が生えた程度の三が日を過ごす中で、2024年の挑戦をひとつ決めた。
以前から感じていたことではあるのだが、三が日の流れるように情報が錯綜するSNSにかなりメンタルがやられてしまった。
誰かの意見に、誰かが反論したり擁護したり。その意見に別の誰かが反論したり擁護したり。
地震や事故の情報も含めて怒涛に押し寄せてくる情報や誰かの言葉に、これまで以上にSNSの怖さを垣間見たような気がする。
正月早々風邪を引き体調がよくなかったこともあり、ぼーっとSNSを眺めていることが多かったのだが、誰か知らない人の言葉も、普段から交流のある人の言葉も、鉛のように重くのしかかり、心がどんどん重くなっていった。
たぶん、このままSNSを眺めていてもしんどくなる一方だ。
いっそのことSNS断ちしてしまおう。
Instagram、Threads、Twitterのアプリを削除。
たった半日ではあるけれど、普段どれだけ誰かの言葉に心が揺り動かされていたのかを実感した。すこしばかり心が軽くなった。
iPhoneのスクリーンタイムを確認する。
SNSを利用している時間は、土日で1時間半~2時間、平日で2~4時間(平均で3時間弱)。直近1ヶ月で、1日5時間も費やしている日もあった。
DMのやりとりやコメントの返信などの時間が大半だとしても、PCでInstagramの投稿を作る時間を加えれば、1日の生活時間の1/3をSNSで消耗していると言っても過言ではない。
SNSを眺めている時間を有効活用したいとは思っていたけれど、見ていないと置いていかれそうな不安から、必要のない時間を費やしていた。
それをわかっていながらも断てなかったのは、誰かに認めてもらいたいという承認欲求からなのかもしれない。「こういう時だからこそ日常を」と謳い文句に、日常を投稿する人にモヤりとしたのが証拠だろう。
SNSで何を投稿しようとそれぞれの自由だとは思うが、わざわざ公に公開する必要があるのだろうか。結局は誰かに「いいね」と言ってもらいたいのだろう。
私自身も、「共感」してもらえると救われると思ってきたけれど、「共感してほしい」という気持ちも承認欲求の表れではないだろうか。
これまで自分がやってきたことを、否定するような考えばかりが浮かんでくる。つい先日まで、自分も”そこ”にいたのに。”そこ”にいた自分を、”ここ”にいる自分が否定している。
これまでInstagramで積み上げてきた3年を、こうもあっさり否定してしまっていいのだろうか。このまますべてを手放してしまってもいいのだろうか。
今の段階で答えはわからない。
ただ、少しの逃げ場として大学の単位認定試験が終わるまでSNS断ちをして考えようと思う。
4週間後、私にどんな変化が待っているのだろう。
1週間もたたずにSNSを再開しているかもしれない。
禁断症状をなんとか乗り越え「やっぱり私の居場所は”ここ”だ」と思うかもしれない。
もうSNSなんて要らないと思っているかもしれない。
4週間後の私は、何を考えているのだろうか。
少し楽しみである。
おまめ
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