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小説のこと(3)

よし、良い書き出し、文の着想も定まったことだし、早速筆を進めていこう。時には迷うこともある。そんな時こそChatGPTや他の人工知能を頼ってみよう…

我々自身の思考パターンから解放され、新たな感情やアイデアを手に入れ、創造活動に集中することができる。これが私が考える、あるいはもはや世間に広く知れ渡っており、現に実践されてもいるであろう、小説創作の新機軸だ。さて本稿を執筆するにあたって、前述した一語の「身体性」から思考を巡らせることとしよう。

「現在はヒトの感覚は5つ以上あることがわかっている。細かく分類すれば20余りある、とする説明もある」(”五感”/ウィキペディア)とある。

人間の身体の感覚は、かくも複雑にできている。身に覚えのある方も多いことだろうが、五感をどれだけ使用しているかについて、自分自身が気付くことは滅多にない。日差しの強さやランチの美味しさ、都会の雑音や金木犀の香りなど、常に感覚に反応しているというのに、それを意識的に利用しているわけではない。

触覚についても同様で、何気なく物に触れて「ツルツルしているな」と感じたとしても、それを頭の中で整理して反芻することはない。五感をオートマティックに働かせ、繁忙な日常を送りながら、小説の登場人物のような自覚的な言葉(モノローグ)をむしろ禁欲しない限り、生活が成り立たないのではないだろうか。

ガールズトークに割って入ってきて「何だかプロレスの場外乱闘みたいで興奮する」といちいち心で呟くような男は考えにくいものである。また、立花孝志とドワンゴ川上との直接対決を見ている最中に「いつのまにかyoutubeが元気が出るテレビみたいになってて、おじさんは嬉しいのだ」と感じながら見ることはなく、ラーメン二郎のマシマシを食べながら「まるで緩慢な自殺のような食べ物だぜぇ」と感慨に耽る若者も、そうはいないだろう…

現実の人生はその活動が人情と意思、目的との整合性を欠いていることがある。日ごろから人々と交わり、パソコンとにらめっこし、事務処理をこなし、ときにトラブルに対処するだけで、何か大きな計画を内に秘めているという人はほとんどいない。いたとしたら、その者はひとかどの人物である。むしろ忙しくて息切れしているときほど不利な状況に陥ることが、私たちの生きる現実なのである。今になってやっと気づいたが、普段から五感を使う機会が少なく、本来持っている五感の働きが鈍ってしまっていることが、表現者にとっては大きなハンディキャップとなっているのかもしれない。

<続>

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