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知識は重要ではない#3|おっさんノート

仏教の話に、こんなのがある。

人は自分に向かない事ほど憧れを抱いて、それを仕事にしたがるのだという。
当然、向いていないことを仕事にするのだから、苦労をする。

向いていることは、なんとなくやっているうちに出来てしまう。本人としては、つまらないのである。

、、、

人生ハードモード

ある日「けっきょく俺って空っぽだよな」と、いらんことに気づく。

俺は、けっして怠惰な人間ではない。

社会の道に外れたこともないし、この歳なりにツラいことにも直面しても、なるべく逃げずに乗り越えてきた。いや逃げてきたこともあるかもしれんけど、とにかく基本的にまじめに頑張って生きてきた。

その結果が今のザマなので、これはもう、笑う(泣く?)しかない。

必死に必死に生き抜いてきて気づいたらなんの学も無い人間が出来上がっていたのだから、人生は残酷である。

年齢的には30半ばになり、すっかりオッサンといえる年齢になってしまった。

だが50歳までには、ライフワークを成し遂げたいと思っている。そう考えるとまだまだ、やれることがある。

ざっくり「若い頃」「中年」「老年」と3つのフェーズがあって、その時々に「やらないといけないこと」は、確実にある。

宮台真司がどこかで「本を読むのは、先人たちが、”よりよい生き方”について、知恵を残してくれているからだ。それを学ばないのは無知な猿だ」的なことをいっていた。

俺も同意見だ。やはり最終的には本を読んで、人生の指標なり方針を決めて生きている。それに、人のナマの人生相談はあまり当てにならないと、実感することが多い。

どうしてなのか?不思議だが、どんな正論も、他人の経験が介されるとしっくりこない。なので俺も他人に、人生相談的なアドバイスはしないことにしている。

けだしこの世界は、人生というどうしようもない、恐らく答えのない問題に、孤独に取り組まざるを得ないように予めプログラムされているようだ。

解釈は人それぞれだろう。俺はシンプルにやりたいことは、定まっている。その一方で、複雑な綾に絡め取られて、苦悩する一生を送りたい、とマゾっぽく思ったりも、する。


本当にスゴい人とは?

思い通りに生きられるか、生きられないか?の差は、もう一歩の想像力が働くか否かにかかっているっぽい。人生の節目で、心のブレーキがかかって冷静に状況判断が出来るかどうか?が勝負の分かれ目だ。

しかし、歳をとるごとに切実になる将来の不安なり暮らしの中の憂鬱なりがこの能力を曇らせる。

何かしらの現状を打開するアイディアなり提案が舞い込んで有頂天になると、そのまま突っ走ることが、ままある。

しかし世の中甘くない。想った通りにはほぼ100%ならない。そんなの百も承知だと、気焔をあげるくらいの気概があれば、まだマシだが、ふさぎ込んでしまう人間が大半だろう。

俺が言いたかったのは、もう一歩の想像力があれば、思い通りにならなくても、その場合の備えがあるので、大して問題にはならないということと、そして最終的には、微修正(あるいは大幅な修正)の後、思い通りのライフスタイルを、手に入れられる筈だと、いうことだ。

また、どうも歳をとると、不思議とこの能力は鈍るものらしい。高齢者の根拠のない楽観が悲劇を産むのは、災害や遭難などのニュースでもよく目にする。

ということから考えると、案外早いうちに、人生の大きな設計は済ましておかないといけないのかも知れない。

もう一歩の想像力は、俺にはないものだった。上手く生きているように見える巷の成功者も、案外もってないと、最近は思うようになった。もっているのは日々、安心安全で暮らしている市井の名も無い人だ。


人生のスウィートスポット

自分のスタイルをつくり上げることが成功の近道らしい。

その発想を順番に述べていくと、

① 先ず自分の得意なことを考える。

② 次に金になることを考える。

③ そして今やっている仕事、、、仕事の中でそれをどうやるか?を、一生懸命考える。

この3つの手順。これがまるでホールインワンのごとく、はまる現象を"SWEETSPOT"という。

理想はとにかくこれを計画的に、実行に移していくことだ。

やるとなると、多くの課題がありそれらを克服する必要があるだろう。どんなに苦しくても、上記の計画を放棄せずに、諦めずにやり続けるということだけが、結局は成功の秘訣だろう。

こう考えると、成功は簡単なようでやはり、誰にでもできる事ではない。

第一に、やる気(と計略)がないと、お話にならない。それに、やり遂げる為の情熱を持続させるのが、これまたシンドイ。もっというと難しいスキルを上手くこなす為の高い集中力が必要だろう。まともに考えれば考えるほど、どれもうまくやれないという結論に達する。

ウム!成功する人ってエラい!


厨ニ病の見極め方

世の中、いい歳こいた厨ニ病は少なくない。

俺が思うにこの厨ニ病の見極め方はひとつだけである。それは「捨てられてない」ことである。

たとえば若かった頃にハマっていた趣味を、30歳越えても熱中し続けている人は、黄色か赤信号。あるいは積読して部屋が本でいっぱい、と言う人も同じく。

普通に社会人になって家庭をもって子育てをすると、これらの趣味は、はっきりいってただの"無駄"。

そんなどーでもいいことにかまけていないで、社会的責任をしっかり果たす為に日ごろ仕事に関する勉強をしていたり、

子供や奥さんに家庭サービスしているのが、通常の大人の態度である。

そもそも30歳を越えているのに独身で、ぜんぜん危機意識のない人は、子供だな。


地元のヤンキーは実はエリート

まだ若いサラリーマンだったころの話である。当時40ウン歳かの上司が嫌いになってしまったことがあった。

何故嫌いだったのかというと、まともな大人に見えなかったからだ。その生態が許しがたいというか生臭いというか。

その人は、自分の脅威になりそうな同僚を見つけると、陰に陽に嫌がらせをして排除する癖があった。
そういうみっともない行動を見せつけられて「こんな害虫みたいな大人になりたくない」と心底思ったのだった。

あの頃、俺は20代半ばだった。そしてやはりその人が原因の一つとなって9年務めた会社を辞めた。(結局6年くらい、その人の下で働いてた)

辞めるときに着任したての新社長に面談で当たり障りのない退職理由を述べると「ホントの理由ってあるんでしょ?」と、ニヤニヤしながら言われたことを、思い出す(イエイエ、、といって、お茶を濁したが)
下らない会社を去れて良かった。

で、今はもうオッサンだ。
もはや若者ではなく、そろそろ地に足をつけないといかんようになっている。

振り返ると今けっこう年下とばかり、仕事をしている。世代のギャップを踏まえて、上手くコミュニケーションをとらないと、いつの間にか俺も「痛いおじさん」になってしまう。

それだけじゃない。上の世代に対する振る舞いも、さすがに変わってきた。
元々サラリーマン時代に鍛えられているので、マウンティングおじさんとか、モラハラパワハラおじさんとかには、けっこう反撃力とか耐性があるのだが、

上の世代の人向け用に言葉使いを気をつけるとか、作法を勉強するとか、最近になってやっとそういう勉強し始めるようになった始末なのだ。

このような心持ちになって改めてsnsをしていると気になるのだが、随分おじさん、おばさん、、な人が、若者みたいに振る舞っている。
それは発言の内容であったり見た目であったり千差万別だが。本当に日本は、どうなっていくのだろう。

大人ってなんだろうね。定義の仕方が分からないけど、多分地元の子持ちのヤンキーとかの方が、俺より遥かに大人だね。

ぶっちゃけ、いい歳こいて、アイデンティティすら固まってない奴ってのは、拙い。


芯のある人

ここでやめたら、これまでかけた苦労やコストが台無しになる、と葛藤して、客観的にマイナスなことを、グズグズとやめられない状態になることがある。
「サンクコスト効果」とよばれる。

特にギャンブルでは陥りがちな心理状態である。
また、投資関連でもよく「損切りが一番大事」といわれるが、やはりサンクコスト効果による葛藤があり、それができない人が少なくない。

もっとも、ギャンブルをしない人だって、サンクコスト効果のせいで、うしうじ悩むのだ。
一番迷うのが、人間関係の「損切り」だ。

明らかにキチガイとか、人格障害とかで、付き合うと損害を被る可能性が高い人間なら、
サッサと付き合いを断った方がいい。

だが、たいてい人はそこまでは酷くなく、長所短所がある。気が合わなくてもたいていは我慢できる。
…だからこそ、迷う。

巷には、こういった「人付き合い」に悩む人に向けて書かれたHOWTO本で、あふれている。特に心理学系の書籍が氾濫してる。売れるからだろう。
読むとそれなりに役に立つし気づきを得ることも、しばしばだが、なんか違う。いまいち表面的っつーかいつもモヤモヤする。

この隔靴搔痒さは、著者の人間性のうすっぺらさ故なのか、それとも、本来知識とは、その程度のものであり、つまり言葉の無力故なのか。

和田秀樹という精神科医でもある作家がいる。むかし「受験は要領」という本が売れて有名になった人で、今は幅広く自己啓発、人生論、時事等の執筆活動をおこなっている。

「バカの人」という本を読む。さすが精神科医でもあるので、いろんなタイプのバカ(人格障害の患者?)を見てきたことがうかがえる内容でとても興味深かった。

ただバカの処方箋が「第一に自分がバカであることを自覚すること」であり、(これは共感する)

その上でどの話も「中庸が大事で、性格のバランス感覚を養うべき」という結びにむかって論が収斂していくのが、なんか違うんだよな!

もっと根っこの話をして欲しい。そもそもバカはこんな一般論を読んでも、自覚も改善もできない。だからヤキモキする。

で、なんでこんな話をしているのかというとサンクコスト効果も、この「バカ」ということも、俺が思うに根を同じくしているからだ。

ギャンブルで人生損をしている人は「バカ」の証左であるのはいうまでもない(言葉が汚くてすんませんね)。逆に投資やギャンブルで富を築き、金持ちになっているなら「賢い」というべきだろう。

…と同様に人間関係でいつも悩んでいる人はバカだ。人間関係をうまく築ける人なら賢い。

なぜってブレないから。

サンクコスト効果に惑わされないブレない芯をもっているということだ。大人っていうのは目が据わっている。子供は目がキョロキョロしてる。


結論、大人とは人を育てられる人

これは俺もまだまだ修行中の身だから偉そうにいえないが、

結局会社で出世する人と、そうではない人に分かれる決定的なポイントとしては、下の世代を育てられるか否かだ。

これが出来ない人は、どんなに個人プレイヤーとして優秀だったとしても、一人前の大人と見なされえないと断言できる。

また、それが出来ないのであれば、その人は早晩会社には居られなくなる日がくるだろう。

自分のことしか考えずに生きてきた天罰である。

自分が一生懸命指導した後輩が、いきいきと活躍している姿を眺めるのが嬉しい。これが尊敬される大人がもつ、普遍的な感覚である。


迷惑

人は固まっていくのだ。加齢を重ねるごとに、夢も希薄になり、その日暮らしが板について、最期は消えるのみ、だ。

自分より年下の若者の語る「将来」の傍らで、その感性の素晴らしい弾力に、歩み寄れなくなっている自分に気づき、

それでも、これでいいのだと納得する。

少し前までは、大人のやることが分からなかった。

彼らの態度の何もかもが気にくわなかったのだが、それは俺が下らない迷惑な若者だったから、彼らの、大人であろうと必死に努めている気持ちを、理解しようとしなかった、

それだけのことなのだ。

最近、風呂屋によく行く。

ブクブクと泡だっているのを見つめていると、ふとこんな事を思うのだ。

俺は今人生で一番元気である時なんだと。

それは限りがありせいぜい、大切に無為にせずに過ごしたいとものだ。

人生の秘密があるという、一つの妄想。
それがいつかは解けるかもしれないという、もう一つの妄想。

でも本当は、とっくに分かっているのである。

すでに目の前の出会いが人生の秘密の正体であり、その出会いひとつひとつ大切にするのが、答えなのだ。

それがどうして難しいのだろう?

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