人生なるようになる、しかない
養老孟司が「人生はなるようになる。これが結論」といっているらしく、
「そりゃ、そうだ」と妙に納得してしまった。過去のことをクヨクヨしても意味がないし、未来についてあれこれ考えても無駄である。どうせ、なるようにしかならないのだ。おもえば、自分はずっと前から、そうかんがえて生きている気がする。たぶん30すぎたあたりから。
ちなみにだが、わたくし、このジーサンのこと全然好きではない。
いみもなく偉そうじゃないですか?ただなんとなく”養老語録”の数々は、なぜか心の奥底に残っている。
特に印象に残っているのは「仕事は社会に開いた穴」
どんな仕事も人の助けになってナンボ。みてくれなんかどうでもよろし。ひとさまの役にたてさえすればいいのだ…
まあ、ここまで歯切れよく断言されると、グゥの音も出ない。
「いらんこと考えんでヨロシ、凹に凸をくっつければヨロシ」ってそこまで身も蓋もなくいわれると、成田悠輔みたく「人生のコスパを良くしたいなら死ねば良い」(キリッ)って言いたくなるよね。
とどのつまり「あなたが悩んでることなんざ、そんな程度のもんですよ」と相手に冷たく言い放っているわけで、ドライな爺であることに変わりはない。
雑誌で得た情報によれば、鎌倉にかっちょいい住宅をふたつもってて、月に半分ずつ、二拠点を往復する生活をしているらしい。昆虫採集が趣味で「若いころ、虫の仕事をしなくてよかった」とも語っている(現役のときは解剖医だった)
なんだってそうだけれども、仕事となると好きじゃいられなくなるものだから、そういいたくなる気持ちはわかる。
養老の弟子筋でもあるモジャケンが「養老さんは、若い頃はジャックナイフみたいだった」と真理告白しているように、
この人、近くによるとめちゃめちゃ酷いこと言う人なんだろうなあって、なぜかいつも想像してしまう。
「この爺さん人間より昆虫の方が好きなんじゃねーの?」って。いつも…
でもこの酷薄さがうまくフィットする場合があって、世の中では大ベストセラー作家に祭り上げられているわけだ。
人生はなるようになる。
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