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お念仏と読書#8「認めてもらいたい!!」

今回は、太田肇さんの著書『「承認欲求」の呪縛』を読んで、現代社会に生きる私達の抱える最も大きな苦悩とも言える「承認欲求」について、感じたこと書かせていただきます。

SNSで「いいね!」をもらうことに全身全霊を傾けてしまう人がいる。職場で表彰されるために「もっとがんばらねば」と力んでしまい、心身を蝕む人がいる。エリートであるがゆえにプレッシャーを感じて、身を滅ぼした人もいる……すべての原因は「承認欲求」の呪縛だった。誰しもがもつ欲求の本質を深く探り、上手にコントロールする画期的な方法を示す。人間関係の向上や組織での成果のアップに変換するヒントが詰まった一冊。

まず、承認欲求とは何かというと、有名な心理学者、A・Hマズローの欲求階層説で知られているように、承認欲求は本来、誰しもが抱える人間の正常な欲求の一つなのです。

マズローによれば、承認欲求は「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれ、他人から認められたい、自分が価値のある存在だと認めたいという欲求なのです。
そして、この承認欲求があるからこそ、人間は努力するし、健全に成長していくといっても過言ではありません。また、他の人と協力したり、助け合ったりする動機も承認欲求から生まれることが多いのです。

また、「承認欲求は最強」と著者が言われているように、自分が世間から、褒められたり期待されたり、承認されたりすると、モチベーションが上がり、自信と励みになり、どんどん成長していくのです。尊敬する人や、社会的な影響力のある人だったら尚更です。学校や仕事において抜群の効果を発揮することができるのです。

しかし、そこには落とし穴があります。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が、念願叶って認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむようになるのです。承認欲求は最強だからこそ、副作用もめちゃめちゃ大きいのです。

なぜか?それは、人は認められれば認められるほど、そのことにとらわれるようになるからです。

人から「認められたい」「褒められたい」という自らの思いが強くなるあまり、「認められねばならない」という脅迫観念が生まれてきます。
仕事や人間関係に問題が起こることがあります。

また、一度上がってしまった承認欲求は、自意識を肥大化させてしまい、自尊心を傷つけられることを酷く恐れてしまうのです。またプライドが傷つけられると立ち直れなくなったり、激しい怒りを感じたり、長く引きずったりするのです。

今回ブログに書くにあたって、y氏に4コマ漫画を描くよう依頼しました。
テーマは「認めてもらいたい」で、好きなように描いてほしいと伝えました。
すると、こちらの想像以上に「承認欲求」の本質を描いてくれました。

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(y氏の四コマ漫画。勢いを感じます。y氏は私の娘です)

今までも彼女はこのブログのために絵をよく描いてくれています。絵や漫画を描くのが好きなのです。y氏これからもこの「お念仏と読書」を一緒に盛り上げましょう。宜しくお願いします!

私はこの4コマ漫画を読んで愕然としました!「ペラロンは私のことだ…」と。

ここには、尊敬するシェフに認められるために、美味しい料理を作ろうと奮闘するペンギン「ペラロン」が描かれています。
張り切りすぎて材料費を掛けすぎてしまい、後ですごく後悔するペラロン。「ァアァアァ」と呻いています。多分顔は真っ赤になっていると思います。

最後のコマで興味深いのは「味は良いですね!」とシェフに褒められても、その言葉はペラロンの耳には入らず、自分の殻の中でどこまでも後悔し、落ち込むところです。
その姿に、承認欲求の呪縛に苦しむ、まさに私の姿が描かれていると感じたのです。

私は僧侶として、法話をしたり、ここにブログを書いたり、フェイスブックをしたりしています。
それは「自ら慶ばせていただいた仏様のお心をお伝えしたい」という思いからの活動です。
しかし、すればする程に「人からどう思われるだろう?」と他人の目や、高評価、好印象を求める自分がいることに気づかされていきました。

自分が話した法話をお聴聞してくださってどう思われたか、フェイスブックやノートの文章に「いいね」「♡」が付くかどうか、そこに一喜一憂する私。本質は仏様のお心をお取次ぎすることなのに。
そして、時にご批判をいただいた時に、それが建設的な大切な指摘であっても酷く傷つく私がいます。大切な言葉が耳に入らなくなっていたこともあるのです。まさに本末転倒ですね。

恩師から聞かせていただいた法話の中に「仕事や財は捨てようと思えば捨てることができるのです。だけど、名利だけは捨てられません」というお話があり胸に響きました。「こんなに自分はしたのに」という思いが捨てられないのでしょう。

名利とは、名聞・利養とい、仏教では「世間の評判、名声を得ること・財産を蓄えたいという欲望」と説かれます。私にとってそれは承認欲求のことではないかと思います。

「認められたい、褒められたい」という思いを抱え、それが叶ったら「こんなに自分はしたんだ。えらいんだ」と慢心し、叶わなければ「こんな自分はもうだめだ」と卑下する私です。

どちらも「認められたい」「よく見られたい」「モテたい」つまり承認欲求からくる苦しみなのです。
承認欲求とは執着とらわれの心であり、貪欲の心です。煩悩です。離れることはできません。しかし、仏法を聞かせていただいて、そのことを知らせていただくのです。

阿弥陀様は「どんなに煩悩が深くても、私はあなたを捨てない」とおっしゃいます。そしてそのまま抱きとって下さいます。
悲しいのは人から認められないことじゃなくて、「認めてほしい」という自分の思いから離れられないことです。
仏様の心に出あうと、そのことが知らされるのです。南無阿弥陀仏。


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