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「火の無い所に煙は立たぬ」には、NOを。

安全圏にいる第三者が、偉そうに「お前にも責任があるだろ」と上から目線で言い放つような、このことわざが私は大嫌いです。

今から10年と少し前、「陰で相手に悪口を言った」という言いがかりをつけられて、クラス中から標的にされる日々が続きました。

忘れられないのは、当時の担任から、私の方にも非が有るという物言いをされたことです。
その方は、私が本当に陰で他の人の悪口を言っていたのだと信じていたようです。もちろんそれは事実と異なると伝たのですが、加害者側のほうが人数も多いので、その分(嘘の)証言も多く、信じてはもらえませんでした。
当時、私が物を投げつけられても見て見ぬ振りをしたりと、加害者側の生徒の顔色を伺う教師の方も多く、振り返ってみると、むしろ私のほうが、教師から責められたかもしれません。
当時から、私は、自分は絶対に悪くないと信じていましたが、とにかく理不尽さに憤りを感じました。

あらぬ言いがかりをつけられて、猛烈ないじめに耐えている中、加害者側の人たちは、まるでゲームのように、攻撃することを楽しんでいるようでした。
生き生きと攻撃してくる姿を目の当たりにした時、結局は加害者側の人たちは、ターゲットが欲しかったのだという事を理解しました。
いじめる理由は、嘘でもこじつけでも、どうでも良いのだと。
なぜターゲットに選ばれてしまったのかという事に関しては、加害者側のコミュニティに属していなかったのと、地味で弱そうに見えたからなのかなと今では推測しています。とにかく、いじめは唐突にはじまりました。

火を勝手に立ててくる人が相手の場合、「火の無い所に煙は立たぬ」なんて大嘘です。

冒頭の繰り返しになりますが、第三者が安全圏から偉そうに、「お前にも責任があるだろ」と言い放つような、このことわざが私は大嫌いです。
そもそも、もし仮に、被害者側にも非があるケースがあったとしても、それに便乗して、どんどん煙を立てて、他人に迷惑をかけていい理由になるでしょうか?
当然ならないわけで。

だからもし、「火の無い所に煙は立たぬ」なんて言葉をかけられたときは、心の中で、大いに反抗してください。

あなたがとても良い人の場合、ひょっとすると、「自分もこういうことが良くなかったのかもしれない」と思ってしまったりするかもしれません。
でも、そんなの今は考えなくて良いんです。なぜって今あなたは、自分がしたこと以上の、割りに合わない程の痛みを受けているから。
人間関係において、時には自分の振る舞いを反省することも必要ですが、それは、今傷ついている状態でやることではありません。
そんなものは、嵐が過ぎ去って、心に余裕が出来た時で良いんです。

理由がなかったとしても、そしてどんな理由があったとしても、人を故意に集団で傷つけるのは、許さるべきではありません。

だからどうか、あなただけは、あなたの味方でいてあげてください。

「火の無い所に煙は立たぬ」には、NOを。

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