この人の言葉。
この写真しか父の記録となる写真はなかったから、これを選びました。
「ゲームでは儲からないからパチンコへ行くようにしろ。」
地元ではある程度ゲームは上手い方でしたけど、そう命令されたからパチンコへと行くようになりました。
昭和の家庭では親の言うことは絶対でした。
「グローブすら握れないおまえには野球は無理だ。」
そうなるように産んだのは高齢出産だから、あなたたちにも責任があるのに…。
「いじめられているから、他の病院へ移りたい。」
「もっと会いに来てほしい。」
何度か転院させたけど「母のように言うことを素直に聞いてくれないこと=いじめられている」と信じていたがゆえに、2度も遠方の病院や施設へと転院させたので、ボクが住んでいたマンションからは遠くてお金もなかったので、簡単には会いに行けなかったのです。
そのうち父は亡くなりましたが、ボクが神経科の病院へと入院していたから会いに行くこともできぬ合間に亡くなり、小さな段ボールひとつに入る物以外の物は全ては処分されたのでした。
貯蓄もほぼなく葬式には天竜区の職員さんが手伝ってくれました。
一回忌などの決まりごともするわけもなく、それを恨んでいたのか、以前住んでいたアパートのボクの部屋の前に「髪が長い女性と男性が立っていた」と霊視できる女性から聞かされましたが、お墓参りにも行けずに、数年が経っております。
さほど遠い場所にお墓があるわけでもないけど、ボクはまだ両親を恨んでいるから、お墓参りにも行きたくはないのです。
最後にお寺さんへと行った時には「永代供養するのにいくらかかりますか?」と住職さんにたずね「(ボクを含めて)5人分で140万円かかります。」と言われたから、死ぬまでにはその費用と自分の分の葬儀の費用は何とかしなくては、と考えています。
父を亡くなるまで面倒みてくれた特別養護老人ホーム(母も同じ場所で同じように誤飲性肺炎で亡くなりました。)の人たちの父に対する対応には疑問点もありましたが、それは両親がやりたい放題してきたから、何も文句は言いません。
「おい、あんたらは死んでまでも、俺を縛るのか?」
この言葉をもって終わりにします。
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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。