終りにしました。
先ほど21時42分頃に思い立って、従兄弟の家へとスマホを使って電話をして「もう、あなたたちとは縁を切りますからね!」と一方的に口にすることにしました。
今までは住む場所を確保するための保証人が必要だと考えて、繋がりを切らずにいましたが、後見人制度を使ってでもあいつらとは二度と関係を持たぬようにしようと考え、電話したのです。
それは従兄弟夫婦のボクに対する言葉などの使い方が、ボクを完全に見下したものばかりであったからでした。
noteでフォローし合う「市川ケイスケ」さんのように福祉の仕事に適した人なら、福祉関係の仕事でも成果は出せるのですが、あいつらが福祉の仕事をしているのが許せなく思っていましたし、ボクに言ってくる言葉の一つひとつが神経に響くから、二度と連絡することのないようにと、絶縁宣言に踏み切ったのです。
「お母さんには、たいへんお世話になったけど…!」
「あなたにお金を貸すことが、はたしてあなたのためになるかがわからない!」
このような言葉を散々言われたのも、信用がないからに違いないですよね。
こんな言葉をあいつらに言わせるのは、どこからかボクの評判を聞いたうえでのことでしょうが、両親がボクに言ったことやしたことは、ボクは「家庭内の恥だから口にはすまい」と考えて一切他人には口にしなかったことも知らないからの言動なのです。
だから、ボクの立場はどんどん悪くなりましたが、それでも両親のために長い間仮面を被りなから、耐え抜いてきましたよ。
たしかに障害者の数がいまよりも少なかった時代ゆえ、対処方法も確立されていなかったのですが「あなたは黙っていさえすれば障害者に見えないから、ポケットに右手を入れていなさい!」などの言葉を平気で言ってくる母のことが、まともだと思わなかったボクの方がやはり頭がおかしいのでしょうか?
「子育ては誰にとっても初めての経験!」ということなのですが、それにしてもボクが受けた屈辱も誰にも話さなかったにしろ、両親がまともとされて、ボクだけが悪者にされるということを未だに繰り返されるのには、もう我慢ができなくなっていたのです。
他の同級生の親に比べてたら両親との年齢差に違いがあったから、まともな常識やしてはいけないことだけは教えてもらえましたが、両親とも「自分たちだけが不幸だ」と考えていましたから、ボクは地獄にいるような心境で生活してきたのです。
父親は「早く仕事に就け」と言うわりには、ハローワークで求人票をもらってきて相談しても、必ず「おまえの指ではこの仕事は無理だ」の一点張りでしたし、描いたイラストを見ると「おまえは漫画家になればいい!」などと統合失調症であるからか短絡的な意見ばかりを言っていましたよ。
母は茶道をするために、両親が蕎麦屋を立ち上げて築いた全財産のすべてを自分の趣味のためだけに使っていました。
日本の二大茶会といわれる「大師会」だか「光悦会」たがに参加するために、創業が安政元年である浜松にある老舗の茶道具屋に頼み込んで、凄く高価な茶券を手にしたりしていますから、ボク以上に「金使い方が荒かった」のは母のほうなのですよ。
まだらボケから認知症になった時もお弟子さんたちから「先生、月に一度みんなで集まってお茶を飲む会を開きましょう、先生には些少ですが、お金も払いますから!」と申し出てくれたのに対しても「今までと同じだけ月謝が欲しい」というほどにお金に執着していましたからね。
母が手に終えなくなり、知り合いに相談して特別養護老人ホームに入れても父は面会に行く気も見せず、強引に1度だけ引っ張って連れていきましたが、母の葬儀にも出ませんでしたし、もちろん喪主も務めませんでしたよ。
本当に苦労したのが両親ではなくボクであることを、知る人は誰れひとりとしていないのです。
そんな状態で、ボクの評判がまともなものとなるはずもなく、噂が噂を呼び、まるで極悪人であるかの如く人からは蔑まれて生きてきたのです。
ボクの性格はボクの意思で変えたのではなく、育ってきた環境により変えられたのですからね。
昔から優しいと言われることが多かったけど、ある時期を境に変わっていったけど、原因はボクだけにあるわけではないのです。
理解のない従兄弟夫婦とこれ以上関係を持つことも必要ないと判断したからの行動ですが、アドバイスがある方はどうぞ歯に衣を着せずに申してください。
ボクの考え方が間違っているのなら直しますからね、遠慮なく申し出ててくださいね。
終わります
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。