子どもは今日も純度100%の言葉でドキドキさせてくる
1回目の投稿から間が空いてしまった。noteユーザーが多く罹患すると言われている【下書きばかりが増えていって肝心の投稿ができない症候群】にかかっていた。新型コロナウイルスみたいに人に感染する類の病ではないが、やっかいな病だった。
理由は明白だ。『うまい文章を書きたい』『たくさんの人に読まれたい』なんて、柄にもなくそんな欲求が先行して、うまく書けなかった。投稿できなかった。
そんな病を治してくれたのがこの1冊の本
読みたいことを、書けばいい。
(おぉ、リンクを貼れた)
この本によって病が完治した話は、今日はしない。もっと上手にまとめてから書きたいのでまた今度書くとして(まだうまい文章書こうとしている、もしや完治してないのか?)
今日は子ども達から日々受け取る、純度100%故に大人の心に響く言葉集を、忘れないように書き留めていく。そんなnoteです。
息子にとってお兄ちゃん的な存在の彼が放った言葉
3歳の息子がパンケーキを1人で作れるようになった話をしていた時。9歳の彼は曇りなきまなこで、こう言った。
〇〇君のお母さん、パンケーキ子どもに1人で焼かせてくれたの?良かったねぇ、何でもやらせてくれるお母さんで。普通のお母さん達は危ないってやらせてくれない人が多いんだよ。良かったね!
と息子に言ったのだ。いやぁ、痺れたし、(彼は全く意図してないけれど)今日までの私の子育てが報われたような気がして、涙が出そうになったのよ。
私の子育てのテーマは自立。いつも呪文のように『自分の事は自分でやる』と唱えてきたもんだから、今じゃ息子との合言葉。
理由は単純、いつ私が居なくなっても困らないように。恐らく早かれ遅かれ私の方が先に旅立つだろうから、その日がいつ来てもいいように。(私はなぜか小学生の頃から、ぼんやりいつも自分の死を意識して生きている)
動けるようになった1歳半くらいからは何でも自分でとりあえずやらせてみて、小さな成功体験を積み重ね、習慣化させていく。そんなプロセスを見ているのが私も楽しくて【口を出さないように】【手を出さないように】小さな信念を持って見守ってきた。前回書いた、邪魔しない子育てがそれだ。
その信念を評価してもらえた気がして、嬉しかった。
と、同時に子どもながらに、自由にさせてもらえない子どもの苦悩も彼の言葉から感じ取れた。
最近息子が良く口にする言葉がある。
『好きにやっていい?』
とにかく、私の目を見て確認する。工作をする時、料理をする時…『いいよいいよ、好きにやりな!』と私が言うと、二カーッと笑って何かに夢中になる姿はとにかく愛おしい。
自立を促す為に私が気をつけている事。
それは大人の価値観で限界の線引きをしないこと
子どもだから…と言って勝手な思い込みから、子どもの可能性をゼロにしてしまうことがある。
友達と雪遊びをした日。息子はクリスマスプレゼントでもらったスノーボードを持っていきたいと言った。
私の頭に一番はじめに浮かんだのは、ボードを取り合いけんかになる姿。でもそこはグッと堪えて、仲良く遊べるといいねぇと聞こえるような独り言と共に、持っていかせてみた。
結果、息子は仲良く貸し借りが出来てボードで思いっきり3時間遊び倒した。『〇〇ちゃんも楽しそうで嬉しかった』という最高の言葉まで飛び出した。
親や保育者はリスクを回避しがちだ。ケンカしたら困る、怪我したら困る、汚したら困る。回避する方が簡単で正当化しやすいから
でも、その度に奇跡的にうまくいく可能性・リスクの先にある成長の種を摘んでしまっている事を肝に銘じていなければいけない(自分にも言い聞かせている)
挑戦させたリスクの先にこそ親が予想出来なかった感動的な成長がある。親次元の世界の範囲内で生きるか、親以上の次元で生きていくかは、このチャレンジの回数と見守りの精度によると思っている。
息子が何歳になっても、9歳の少年が言った【何でもさせてくれるお母さん】で居続けることが私の目標だ。
(お腹が空いたらしく、1人部屋をピカピカ光らせて恵方巻を出してきて、ちゃんと無言で食べていた今年の節分)
サポートして頂けましたら、そのお恵みをぎゅっと握りしめて。こんな時でもお店を開け続ける地元の飲食店にダーっと走り、キンキンのおビールをガーッ飲みながら、明日への英気を養います。カウンターで出会ったノリのいい奴に1杯おごる気持ちでぜひ。