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『 文学ときどき酒 』丸谷才一対談集 植物が日光をあびるように、人間も知識をあびなければ成長しない

吉田健一、ドストエフスキー、ディケンズ、森鷗外、夏目漱石、永井荷風、河盛好蔵、志賀直哉、尾崎一雄、井伏鱒二、牧野信一、シェークスピア、俳諧、サルトル、三島由紀夫、ニィチェ、ヒットラー、千載和歌集、保元物語、足利尊氏、西郷隆盛、忠臣蔵、四谷怪談、石川淳、井伊直弼、谷崎潤一郎、水滸伝、西遊記、塚原卜伝、谷崎松子、芥川龍之介、与謝野晶子、吉井勇、斎藤茂吉、和歌、里見弴、島崎藤村、北原白秋、菊池寛、尾崎紅葉、井原西鶴、高浜虚子、ゴーリキー、二葉亭四迷、ジイド、河上徹太郎、源氏物語、ユリシーズ、古事記、伊勢物語、枕草子、アーサー・ウェーリー、大岡信、古今集、エズラ、パウンド、ドナルド・キーン、ランボオ、詩経、論語、大学、ジョイス、マルラメ、ラブレー、洛中書簡。

すべての単語を読んだひとは皆無だろう。もしくは、ブラウザバックされたひともおおいだろう。

対談・鼎談にて丸谷才一が語った単語のいちぶを拾い集め文章でピンどめした。
さて、この単語について、どれだけのひとが、どれだけ対談・鼎談できるだろうか。

これだけの単語を知っているだけなら知っているひともいるだろう。
私も半分ぐらいの単語は知っているが、その単語については語れない。
インスタントラーメンができあがるまでの時間すらもその単語について語れないだろう。

丸谷才一は単語ひとつひとつをしっかりと大声で語る。
知識を咀嚼し、自分の血肉にしたのちに滔々と語る。
その知識と発想は浅くない。沈みゆく底なし沼のように、底が見えない知識には尊敬の念を感じ驚かざるを得ない。

文章を書けというのであれば、うんつく、うんつく頑張れば書くことはできると思う。
インターネットのある時代に生きる私たちは、知らない単語をすぐに調べられる。

ただし、この対談・鼎談が行われたのは、1980年代である。
私が寝小便をたれながしていたころにあたる。

インターネットは存在したかもしれないが、普及してはいないころに文頭に書いた単語の情報と知識が丸谷才一の脳のシワに刻みこまれていたのである。

気軽にインターネットで本を買える時代でもない。
インターネットで情報を手にいれられる時代でもない。
インターネットに邪魔をされることなく知識の探求をできた時代ともいえる。

我々はインターネットという便利なものを手にいれたかわりに、なにか、サムシングを失ってしまったのかもしれない。どう思いますか?

文章を書くという行為はマラソンのようなもので、対談・鼎談にて単語を語るのはボクシング、いや、一種の決闘のようなものだと思う。
その場、その時、自分が持つ知識だけで戦う巌流島ともいえる。

そのうえで、おもしろいと思われる対談・鼎談にしなければならない。

知識や話術・ユーモアがなくとも対談・鼎談はできるだろう。
知識や話術・ユーモアをもたないひとの対談・鼎談はおもしろいだろうか。
おもしろくない対談・鼎談をだれが読みたい思うだろうか。
ためしに私と誰か対談・鼎談してnoteに書いてみないか。
おそらく私が書くnoteぐらいに読まれないnoteになるだろう。

丸谷才一の対談・鼎談は、おもしろい。知識をひけらかすだけであれば、だれでもできる。
名人級の会話の技術と膨大な知識がなければ対談・鼎談に笑い・ユーモアをもりこめない。
そして、対談・鼎談をたのしく読んでいるうちに読者の知識が増えているような対談・鼎談が理想だと考えている。
要するに、丸谷才一の対談・鼎談は、おもしろく読んでいるうちに、進研◯ミに入会した主人公の点数のように知識がふえる。

私がこの本を買った理由は、丸谷才一の『 食通知つたかぶり 』を読み、味を表現する単語、読んで疲れない文章を読んだことで、丸谷才一の指先、いや、髪の毛、いやいや、鼻毛ほど、丸谷才一が書くような文章に近づきたいと思い対談・鼎談集を買った。

私にはこのビールの味を伝える文章力がないと向田邦子がエッセイに書いていた。
つづけて、丸谷才一、もしくは開高健ほどの文章力があればこのビールの味を伝えられるのにと文章はつづく。
向田邦子も超がつく一流の文章家だと思う、その超一流が認める丸谷才一の文章力。

文章力だけでなく、谷崎潤一郎と吉田健一に興味があったこともあり対談・鼎談集を買った。

タイトルは『 文学ときどき酒 』となっている。
文学のことはたっぷりと書かれているが、酒はどこだと思っていた。
あとがきにて、酒を飲みながら対談・鼎談したと書かれていた。

酒を飲むたびに(酒)といれようと考えたらしいが、吉田健一であれば、あれはね(酒)たとえば(酒)そういう(酒)ことなのだよ(酒)このような塩梅なので酒はいれなかったそうだ。

吉田健一は、吉田茂の息子。酒飲みかつグルメ、小説家。『 酒肴酒 』などの食エッセイも書いている。
ぬるぬるとした独特の文章。そして、いちばんの特徴は読点をうたないことにある。

対談のなかで「吉田健一はなんで死んだんでしょうね」

「読点をうたなかったから」

いやいや、いまならかるく炎上しそうではあるが、吉田健一そのひとがニヤリと笑っている姿がみえた。

つぎに、谷崎潤一郎とは対談をしていない。なにを言っているんだと思われたことでしょう。
谷崎潤一郎の伴侶と丸谷才一は対談している。その対談が収められている。

そこまで言っていいんかい、と言いたくなるほど谷崎潤一郎のことを伴侶が語る。
死ぬすこしまえに自筆の日記を燃やしたと語られている。
この日記の消失は、日本文学のとてつもない大きな損失ではないだろうか。
そして、谷崎潤一郎との出会ったときのことも語られている。
谷崎潤一郎よりも芥川龍之介のほうが好きだったと。

谷崎潤一郎が枕元にたつで。

冒頭の単語のなかに興味があるものを見つけたのであれば、読んで損をしない丸谷才一の対談・鼎談集。

食物が日光を浴びないとしおれるように、人間もまた知識を浴びなければ成長せず、しおれ枯れてしまうと思う。

おもしろく愉快に知識をあび成長したいものです。



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