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「価値」は主観では作られない。

おっすおいらずんだもん!という茶番はさておき、最近割とYouTubeショート動画ばっかり見てまして、Youtubeのショート動画って割とパターンあるよなぁ、などと思いながらいろいろやっております。

最近観た、上がってきたショート動画の中で、哲学の教授らしき人が20ドル紙幣を差し出して、「ほしい人はいるかね?」と問いかけをしている動画がありまして、おそらく割と「価値のない人間はいない」っていう話の元ネタ的な動画だと思うんですが、ふと確かに価値って自分自身では決められないよなぁと思った中で、じゃあ「価値」ってなんやねんと思ったわけです。

自己評価は価値ではないけど、他者評価は価値なのか。

よくいる自己評価の低い人ってのがおりまして、自分自身も割と自己評価は相当低いほうではあるのですが、最近ひしひしと感じることに自分への周囲の評価が異常に低いなぁ、ということでして、じゃぁ、どちらの評価が「価値」として正当なのか、と考えるとどっちも真っ当ではない、としか結論付けられないわけです。

実は、自分自身の自己評価の低さって結局のところ周囲の自分への評価の低さが共感性を伴なって伝播してきただけなんですよね。周囲が自分のことをダメな奴という評価を下し続けるから自分もだんだんダメな奴だと思うようになり、自己評価の低い人間ってのが出来上がるわけです。じゃあ、それがその人の価値なのかというとそうじゃないわけですから、じゃあ、価値ってなんなのよ、という話になるわけです。

「価値」とは客観的かつあらゆる指標の総量である

難しい見出しを入れちゃいましたけど、要は、自分も周囲も見いだせていない指標を含めた、あらゆる指標の客観的な量をすべて合わせたもの、ということになりましょうか、と思ったりします。

つまり、自己評価が低い人というのは、評価が低い人であって、それは自分が見いだせていない指標があるだけ、ということが多いです。

それは、他者への評価が低い人というのも、それは低い評価をする人であって、その評価する人自身と比べているわけでもなく、自分が見出している他者への指標の基準が高いがゆえに低い評価をしているんじゃないかなぁと思ったりします。

結局のところ、自己評価も他人からの評価も、「評価」という判断をしているだけで、それらを「価値」というにはサンプル数が少なすぎる、ということになります。

正しい「価値」を決めることの「価値」

つまり、本当の価値を確かめようとするならば、あらゆる人を完全にフラットな環境に置いたうえでそれぞれの自己評価と他者への評価をどういう指標で行ったかの統計を取らなければならない、ということになります。

しかし、それらのひとつひとつの評価って、客観的かつ定量的に測れることはないわけで、そうなると、仮に「正しい価値」というものが存在し、それを割り出すことが可能だったとしても、相当な誤差が生まれ、現実的ではない時間がかかるよね、ということになります。

はたしてそこまでして正しい価値を決める必要性や意義はあるでしょうか、という気はします。

自己評価の低い人がそれを払しょくするためにやるべき行動

そう考えると、それぞれの価値が高いとか低いとかっていう判断、「評価」を下すことはそれこそ「価値」があるだろうか、ということになります。

つまりは反語的になりますが、「自己評価の低い人」が現状そういう評価になぜそうなってるかというと、価値の低い行動、無価値な行動をするから、ということになります。もっとひどいことを言うと、自己評価が低い状態でいられるような行動をずっとしている、ということになります。現状維持で良いやっていう意識ですね。

もし、自己評価が低い人がそれはもう嫌だ!などと万が一思ったとしたら、やるべきことは、一つです。

「自分を評価することをやめる。」

そして、その自分の評価をしていた時間を使ってなんでもいいから、自分の価値を見出す行動に置き換えるんです。

それを「自分探し」と言って揶揄する人もいて、「自分探し」と言われる行動ってのはだいたい「自分を評価する行動」だったりするんですが、そのまま続けるかどうするかってのは、自分で判断したほうが良いです。

「自分の価値を見出す行動」に「価値」はあるか

そうなってくると、その「行動に意味があるか、価値はあるか」などと評価したくなったりするわけですが、でもまぁ、それは自己評価が低いままだった時よりは、評価する指標が増えるわけですから、その自己評価は以前より上がるわけです。もう、必ず上がるわけです。そうでしょ?評価する指標は減ってない上にそれに別の評価を追加するわけですから、必ず上がるんです。

とはいえ、それは自己評価するしないに関係なく元からあった「価値」を見出しただけではあります。なんですけど、「自分の可能性を見出す能力」というのは以前よりは上がるわけで、低い自己評価を下し続けていた頃よりは一歩前進、となります。

結局、筋トレとかルーティンとか習慣化とかいう結論

というわけで、結論は結局ありきたり、ということになるんですけど、まぁ、大事なのはそこに自分で気づいて、自分でモチベーションもって、自分で判断して、やっていくってのが価値を高める唯一の方法だね、という話でした。

やれやれ。

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