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差し出された手と、ボニー•タイラー

カナダはアルバータ州のカルガリーに住んでいると、毎年8月の終わりには秋の訪れを感じさせられる。ハイキングに行けばトンボは飛んでいるし、朝や日が沈んだ後は肌寒いくらいの涼しさだったりする。先日家族と行った湖のほとりで、トンボの写真を撮った。透明で、一見とても繊細な羽根が力強くはばたいていた。トンボの寿命は成虫になってからは、そう長くないそうだが、トンボが別にそれを意識している訳ではない。私達もまた、とりわけ健康な者ならば、寿命を覚悟して生きている人がどのくらいいるだろう。

私の夫は2年前の秋、 多発性骨髄腫という特殊な血液ガンにかかっている事が分かり、緊急集中治療を受けた。その事は前の記事でも触れたけれど、この経験で私たちはいろいろと考えさせられた。患者の気持ちと介護者の気持ちにズレがあること、危機に陥って初めて、誰が本当の友人か分かる事などだ。

夫は4段階に渡る抗がん剤治療を受けた。最初の治療は、緊急入院した時に、ろくな説明もなしに始まった。これはどんな病気でどんな治療を受けている患者にも共通かもしれないので書いておくが、鎮痛薬などで、意識がもうろうとしている患者に難しい事を言われたって、覚えていないのである。退院後のケアとか、薬の副作用とか、今後ケアをする家族にきちんと伝えて欲しいと思った。そんな訳で、私はいきなり癌患者の介護をすることになって、とても不安だったのだ。強力な抗がん剤治療は患者の免疫も極端に下げると聞いて、夫が退院してくる前にとにかく家の大掃除をして、無菌状態とまではいかなくても、清潔にしなくてはいけない。パニックになった私の元へ、二人のママ友が手伝いに来てくれた。家の中が汚くて恥ずかしいとか言ってる場合ではない。新生児を迎えるような気持ちで掃除と片付けをしている私を見て、高校生の娘は笑っていた。

抗がん剤の副作用は、吐き気、食欲不振、髪が抜けたりなどいろいろあるのだけれど、夫の場合は味覚異常もあった。粘膜が減少するので、唐辛子など刺激の強いものは、彼の体が受け付けず、食事中によく、「段ボールを食べてるみたい。」と言い、「パパ、段ボール食べたことあるの?」と子供達につっこみを入れられていた。子供達は、学校の友達にも父親が癌である事を内緒にしていた。同情されるのが嫌だったからだ。私はというと、痩せ細って随分弱っている夫を見ていて、何となく、いまのうちに親しい人達には知らせておいた方がいいかもしれないと思った。ただ、私の実家の両親には、その前の年に くも膜下で亡くなった弟の一周忌が終わるまで、伏せておこうと思った。

以前こんなたとえ話を聞いたことがある。「友人とは、誰かが穴に落ちた時、頑張れと励ましたり助けようとする者のことで、親友とは、自らその穴に飛び込んでこう言ってのける者のことだ。"俺達大変な事になっちまったな"。」

いくら専業主婦といっても私一人で、夫の通院の送り迎え、介護と家事、子供達の学校や習い事の送り迎えは無理だった。ママ友や知り合いに訳を話すと、ありがたい事に快く送り迎えを引き受けてくれたり、差し入れを届けてくれた。夫の友人の中には、力仕事を手伝ってくれたり、お見舞いに来て彼の話しに耳を傾けてくれる人達もいた。自分達だけで一生懸命やってもどうにもならない時は、誰かに頼ろう、そしていつか自分ができるようになったら、自分が助ける方にまわればいい、そう思った。

本当にラッキーな事に、多くの人達が支えてくれていたが、それでも時々無性に孤独になった。家族も頑張っていたから、家族の前では泣かないようにしていた。励ましてくれる人に悪気はない。もちろんありがたい時もある。でも、私は突然落ちてしまった暗い落とし穴の中で、一緒に泣いてくれる人が欲しかったのだ、きっと。そんな時に私を癒してくれたのが、音楽だった。家族を病院や学校へ送って、そこから一人でドライブする時にいろいろな曲を聴いた。中でも、ボニー•タイラーが歌うカバー曲の、Have you ever seen the rain? という歌を大音量でよく聴いた。「あなたは見たことがある? 晴れの日に降ってくる雨を。」彼女のハスキーで、訴えかけるような歌声を聴いていると、涙が止まらなくなった。周りは晴れていて、人々も幸せそうで、あるいは平凡な日々を過ごしている中で、自分の所だけ雨が降っている...いいんだよ、周囲なんか気にせずに泣いたらいいんだよ、私は分かってる....そんな風にボニー•タイラーが言ってくれているように思えた。

この後、私はがん患者とその家族を支えてくれるNPO(非営利団体)に出会うのだが、その話はまたの機会に。

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