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ヨウ化カリウム中のバセドウ病通院

この日私は何も考えずに病院に向かっていた。

先日の内視鏡検査で、難病で治らないと言われている潰瘍性大腸炎が治っていたこと。会社で起こった一連の出来事とそれに伴う心理状況。病院のあとに美容院にいきたいななんてスケジュール。これらが気持ちを占有し、病院で診てもらうことを単なるタスク処理程度と感じて、心も頭も何も準備していなかった。

街には活気が戻っていた。前回表参道に来たのは2か月前。緊急事態宣言下で店は閉まり、人はまばらにしか歩いていなかったが、この日は元の通り、週末の太陽の陽ざしとともに、ショッピングを楽しむ人、デートを楽しむ人、友達との再会を楽しむ人にあふれていた。

12時ちょっとすぎ、私は受付表を取った。5101番だった。前回より30分ほど早くてこの番号。前回は5055番だったから、この来院者の数値だけでも日常が帰ってきていることを感じた。その時ふと思った。

今日、先生いるよね?

伊藤病院は担当医師制ではないので、どの先生にかかっていいことになっている。しかし、これまでの経緯などを考えると同じ先生のほうが話が早い。なんとなく不安に思った私は、スマホで担当医スケジュールを調べた。

あれ?

週に何度もいるはずの先生。ある時から全く名前が出てこなくなっていた。

あれ?

よく見ると「終了」の文字。今日もいないこと、これからもいないことが判明した。

あちゃー。

そういえば今回からお薬をメディカゾールに変えて、最初は2週間ごとに通院して様子を見ようって言ってたけど、どうなるんだろう。

体はいたって元気だが、頭はすっかり病人モードに入っていた。

採血を終え診察の順番を待つ。午後の診療開始まで1時間半程度。私はちょっと穴場のカフェでアイスティーとベルギーワッフルを頼んだ。表参道という立地上、一人では入りにくい店が多い中、この店はほとんどが一人客で、落ち着いていて居心地がよかった。

今日はバセドウ病の通院、そして月曜日には自己免疫性肝炎の通院が控えている。潰瘍性大腸炎がよくなったとはいえ、残る2つの病にどう挑むべきか、外の通りを行きかう人々をぼーっと見ながら私は考えていた。

ここ数日、会社ではいろんなことが起きていた。病気のことは伝えてある。入院するかもしれない。ステロイド治療になるかもしれない。そんなことは上司にも、産業医さんにもとっくにお伝えしてあるし、人事とは実際入院した場合、休暇やお給料はどうなるかも確認済みだ。みなに、体調優先でいいよという優しい言葉をいただきながらも、実務を進めるうえでは多々困難に直面していたし、事務的事項以外の葛藤は誰に相談していいのかも見つけられず、ずっと心にしまっていた。なるべくみんなに迷惑をかけないで入院するなら秋かな。ずっとそう思っていたけれど、この数日の出来事を前に、いっそこのまま入院して逃げてしまいたいとすら思うようになっていた。ただそこに、戻ってきたときの不安が入り混じり、やっぱりまだ私は決断できない子のままだった。

誰かに相談したい。だけどできない、自分で見つけなきゃいけない答え。

土曜日の昼下がり、表参道のカフェ。こんなオシャレ極まりない、オシャレガールの休日のとして切り取られるような時間の実際は、病院の診療待ちの合間に仕事と病気の両立に悩むおばさんでしかなかった。

そんなこんなしている間に、私の診察の番が回ってきた。初めましての先生。若そうでやさしそうな先生。診察は、私の過去のカルテを見ながら「小学生のころから通われてるんですね」という、お決まりの会話から始まった。そして現れた血液検査の結果。

FT3: 3.1
FT4: 1.18
TSH: 0.53

AST: 104 H
ALT: 173 H
γGTP: 36 H

CBC
 RBC: 508 H
 Hb: 15.3 H
 Ht: 46.1 H


思い起こせば1か月ぶりくらいの血液検査だった。その時の肝機能数値が驚くほどよかったので、すっかり油断していた。AST、ALT、どちらも3ケタに逆戻りだ。

「甲状腺の値は、まだヨウ化カリウムが効いているようですね。このまま様子をみて、次回いつもの先生に診ていただきましょうか。」先生は言う。

いつもの先生って、やめられたのではないかと指摘すると、看護婦さんが「産休で半年から一年お休みされますね。」と付け加えた。

先生同士は先生同士の状況をあまり知らないのかもしれない。先生はいつもの先生のことがわかると、カルテで甲状腺の状態も確認しながらこう言った。

「メディカゾールにすると最初は2週間ごとに来てもらいたいけど、ステロイドで入院になるとなれば難しそうだし、薬を変えて肝機能に副作用があると困るし、ヨウ化カリウムもまだ効いているようなので、あと2か月これで様子を診ましょう。」

肝機能が悪化していた事実。月曜日この数字だったら、まちがいなくステロイド治療の開始を促されるだろう。入院はどのくらいの期間になるんだろう。今はどこの病院も面会禁止になっている。今のこの心境の中、私は一人病室で精神的に耐えられるのだろうか。お金は高額医療申請も済んでいるのでどうにかなるけど、仕事はどれだけ休めばいいんだろう。今の会社のこの状況で、「休みます」と言う勇気が私に出せるだろうか。復職した時、どんな仕打ちが待ち望んでいるんだろう。でも結局は肝機能をどうにかしないと、バセドウ病も何も手を出せない状況ということだけが、事実として大きく刻まれた。

時計を見ると、15時ちょっと前だった。想像より早く終わった通院。外はまだ太陽がサンサンと照り付けていた。街の人はさっきよりも増えている。心はザワザワ、迷いと不安でうごめいているけれど、ちょっとだけ散歩したくて渋谷まで歩く。そして、11月に体調の異変が分かってから、気が付けば半年以上も放置してしまい、すっかり伸び切ってしまった髪をきれいにしてもらって気分転換しようと、私は美容院に向かった。

諦めたいろんなこと、過ぎ去った日々、全部きれいにしたかったのかもしれない。そう、あんな時間ががもう一度くることを待ってるのかもしれない。


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