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メイクから逃げる

メイクをしたことがない。
しない。というか、したくない。もっと言うと、できない。
面倒な自我は、社会と嚙み合わずに、行き場をなくす。

メイクが分からない

私の周りの女子大生は、メイクをして、おしゃれをして、髪の毛整えて、こぎれいな身なりでキャンパスを颯爽と歩く。そうではない人を見かけるのは、本当にまれだ。なんで自分はそうなれないんだろう。

理由の根っこの根っこには、「人間の顔への無関心」があるのだと思う。
髪を切っても気付けない人、というのがいるが(私もそうだ)それと同じことだと思う。日常の中で髪の毛に関心を向けることがないから、変化に気づかない。決して、相手への興味がないというわけではないのだ。
それと同じで、顔のパーツパーツの特徴や位置関係に、そもそも興味がない。他人の顔を見ていないから、自分の顔にも興味がないし、自分の顔がどう判断されるかにも興味がない。

「人間の顔への無関心」から派生して、「人間の顔に対する基本的な価値基準」も分からない。
成人式前に、中学時代の友達と会った時のこと。私と、もう2人。その2人が、「マユサ」に行きたいね、と話していた。聞けば、マユサとはまゆげサロンのことらしい。まゆげサロン?まゆげに何をするの?と聞くと、「まゆげの形を整える」ところだそうだ。
まゆげにも整えるべき理想の形があることに衝撃を受けた。

まゆげに理想の形があるように、顔のパーツそれぞれに、そしてそれらの位置関係や構造、さらにはパーツの土台となる肌そのものにも、きっと理想の形があるんだろう。それは、「目は大きいのがいい」のような単一の価値観に沿うものかもしれないし、「自分は唇をこの色にしたい」のようにそれぞれの理想を目指すものかもしれない。
どちらにしろ、私には分からない。目が大きい人と小さい人を並べられた時に、「大きいほうがいい」と言える感覚を持ち合わせていない。顔に興味がないから、唇の色が何色でも別に構わない。

つまり、顔のことが分からない私には、メイクをする理由がない。
私は、メイクをしない。

しかし、
メイクを必要としない私は、
メイクをすることが主流の社会で、
美しさを求められる性別を生きている。
この条件のもとで、私は生きなければならないのだ。

一番こたえるのは、疎外感だ。
皆が分かる世界について無知のまま、暗黙のルールを破りつづける、社会の邪魔者になったような感覚。
こんな人間でごめんなさいねという気持ちで、街を歩く。


そう簡単に適応できない

そんなにメイクしないことが気になるなら、やればいいじゃん、と思う。でも、それも嫌だ。というのが、面倒なところ。

今から、「人間の顔に関心を持てる」人間になったらなったで大変だと思う。おそらく、頑張ればなれる。目が大きい人を見て、いいなあ、と思うように努めれば、たぶんなれる。
メイクをするということは、そうした顔に関する価値基準を内面化したうえで、それを自分の顔にも適応させていくことだ。
でもそうすると、恐らく、自分の顔が嫌いになったり、人の顔を羨んだり、そういうことに自分の感情を使うことになる。
それは、「同じになれた」という感覚の代償として、あまりに大きい。
自分はそういうふうに考える人間だ。メイクしない、言い換えると、性格上メイクをしようと思えない、すなわちメイクができない。

みんな同じ、社会で生きるしかない

中学・高校では、決められた服を着て毎日学校に行った。決められた服で、部活をした。メイクは禁止だった。自分たちを縛り、画一化しようとする規則が、鬱陶しくて仕方なかった。

高校を卒業して、「同じを強制されること」から卒業できたと思った。
だから大学に入って、ショックを受けた。同じでなくていいのに、みんな同じではないか。それぞれ違った服を着ている。それぞれの化粧品で好きにメイクをしている。
でもそれは、「人間の顔に興味がある」という共通点のもと、「きれいになりたい」という枠組みの中で生じる違いだ。
おおもととなる枠組みをそもそも共有していなかった自分にとって、彼女らは「同じ」に見えた。
そして、その共有された「同じ」からはみ出ると、しっかりと疎外される。中高の校則と全く同じ理屈が、この社会でもしっかり運用されていた。

とはいえ、自分は変えられても、社会は変えられない。そして私は、たぶん、自分を変えることもできない。自分と違うところでみんな同じ、の環境の中で生きていかなくてはならない。

学生の身分では、メイクをすることはないと思う。自分で足枷をつけているようだと思うが、そうしかできない。

そしてメイクから逃げることをやめるのは、そのタイミングは、自分で決められるものではないのだろう。
社会からそれを強制されたとき、できなければいよいよ排除されるという時に、メイクをせざるを得なくなるんだろう。

その時まで、きっと私は、この感覚を持って、メイクから逃げ続ける。



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