見出し画像

変えることより、見つめたい

今まで、自分は「不条理な世界を変えたい」と思っていた。貧困やホームレスや虐待や女性の社会進出や、自分の身近なところに限定しても不条理なことはいっぱいある。それらの状況改善を1市民の立場から応援することで、社会をいい方向に変えていくことに小さな貢献がしたいと考えていた。

その思いが、最近薄れている。なんでかと問われれば分からないが、変革そのものや理想の未来にワクワクできなくなった。何かのきっかけがあったような気もするし、なかったような気もする。たぶん、欅坂のドキュメンタリーを見たあたりから変化していったんだと思う。(これはまた書きたい)

そんなときに読んだ「精霊の守り人」上橋菜穂子 偕成社

印象に残ったフレーズいくつかを紹介したい

...刃を研げば、切れ味はよくなる。確実にね。こんなふうに、すべての物事の結果のつじつまがあえば、いいんだけどね(P224 バルサのセリフ)
やさしく、おだやかに生きていた人が、ぶらぶら親のすねをかじっていきてきた馬鹿野郎に殺されることもある。この世に、公平なんて、もとからありゃしないのさ(P225 バルサのセリフ)
あーあ。70年も生きて、まだこの世は、わからねぇことだらけだ!天も地も、知らん顔で、ゆーったり動きやがって!(P338 トロガイのセリフの一部)
なぜ、問うてもわからないなにかが、突然、自分をとりまく世界を変えてしまう。その大きな手の中で、もがきながら必死に生きていくしかないのだ。だれしもが、自分らしい、もがき方で行きぬいていく。まったく後悔のない生き方など、きっと、ありはしないのだ。(P347)

この世の中には、どうしようもない「運命」がある。人間の力ではどうしようもできないような、時に残酷な宿命を、背負わされることがある。それは「理不尽」という言葉で語られがちだが、それは世界に組み込まれた仕組みの一部に過ぎないのだと思う。

理不尽とか不平等を受け入れる登場人物たちの姿に、惹かれた。こうあるべきだよねとか清く美しいなとかいう感想ではなく、思わず読み返してしまうような何かがあった。

私が泣こうと笑おうと、世界はそんなこと全く気にせずまわっていく。何かにすがっても自然は摂理に従って淡々を動くのみ。残酷な現実にしたたかに向き合う人間に、魅力を感じてしまう自分に驚いた。

今は、「不条理のなかでしたたかに生きる人々の、美しさ。けなげさ。かなしさ。強さ。と向き合うこと」に関わりたいと強く願う。諦観、悟り、儚さを受け入れる、そんな境地が、人間が自然の中で生きるとは? という問いの重要な答えを握っているような気がして。一筋縄ではいかぬ複雑で恐ろしく美しいこの世界を捉えたい。捉えきれないだろうけれど、ちょっとでも知りたい。

誤解を招きそうだが、変革を否定しているわけではない。不条理は従順に受け入れるべきだとは全く思わないし、変革によって誰かがちょっとでも幸せを感じられるなら、それはとっても素敵なことだと思う。

ただ、自分がそこに先人切って取り組んでいくのは違うかな、と思う。どちらかというと、不条理に向き合う人に向き合い、だれかに伝える。その感覚を芸術として昇華させて誰かに届ける。そんなことがしたい。そして、どこかの誰かの想像力がちょっとでも広がったり、問題に関心を持つ人が増えたり、変革へのエネルギーとする人が出てきたら嬉しいかな。


とそんなことを考えていた入道雲の夏でした。(下書きを8月に作ったのにずっと投稿していなかった)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?