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法科大学院卒業生の為の司法試験攻略本 〜時間と努力を無駄にしないために〜

司法試験に受かるべき人がストレートに合格できていない

知り合いの方々の結果報告を伺って、最近、強く実感しています。

受験資格が限定される新司法試験になってから、見かけの合格率自体は上昇し、特に近年では法科大学院卒業者数の減少と新型コロナウイルスの影響でその傾向は一層顕著になっています。

しかしその一方で、残念なことに、法科大学院で成績超上位の表彰を受けるような人が、予期に反して試験本番で転けるような事例が数多く起こっています。普段の会話を通じて「法的思考力が非常に優れている」「誰よりも深く法律を理解している」「私よりも頭の回転が速い」と思ったような人が、試験に失敗するというようなケースが、思った以上に多いのです。「実力はあるのに受からない」もったいないロースクール生が多すぎるのです。

語弊を恐れずに申し上げれば、これは、社会のバグではないかと思います。

悪いのは、学生ではなく、きちんと制度的に連動していない「法科大学院」と「司法試験」です。

法科大学院は、「法曹になるのに必要な能力を養う場」です。
司法試験は、「法曹として必要な能力を有した人を選抜する制度」です。

しかし、実際には、法科大学院で優秀な成績を収めた人が、司法試験に受からないという倒錯的な事態が頻発しています。

どうしてこのような事態になっているのか、その要因としては様々なものが想定されます。例えば、①司法試験自体が適切に受験者の能力を評価できていない、②法科大学院で司法試験突破に必要な能力を養う教育ができていない、③法科大学院における評価軸と司法試験における評価軸が大きくズレている、などなど。

別に、法科大学院で指導されている先生方が悪いわけではありません。「法科大学院で司法試験の指導をしてはならない」という理不尽な制度的制約の中で、先生方は精一杯指導してくださっているからです。

このように、問題の本質は、2000年代に行われた司法制度改革が生み出した、「法曹養成制度」と「法曹選抜制度」の欠陥にあります。制度全体のインテグリティが欠如しているのが現行の法曹養成制度なのです。

法曹を志す方々が、このような歪な制度に憤りを覚えるのは当然です。

歪んだ試験制度の煽りを受けて、せっかく法科大学院での学習に費やした多くの時間・労力・金銭が無駄になってしまうのは、とても悲しいことです。受験者自身だけでなく、社会全体にとっての損失でもあります。

しかし、だからといって延々と制度批判をしていても、法曹への道が開けるわけではありません。

制度を変えるためには、一定の年数がかかるからです。それは、数年後かもしれませんし、数十年後かもしれません。何より、現在下火のムーブメントとなっている司法制度改革を、民主主義社会の中で望ましい方向に転換していくためには、膨大なコストと「運」が必要になります。

それよりは、自らを現在の制度にあわせることによって、「歪んだ司法試験」をサッサと突破してしまうという方が、個人レベルでは合理的な選択となると思います。

そこで、本稿においては、「法科大学院で一生懸命勉強したのに司法試験に通らなかった」という悲しい事故を少しでも減らすために、「法科大学院生卒業生が司法試験に合格するために補っておくべき能力とその養い方」についてお伝えしたいと思います。

実のところ、この記事を書き始めたきっかけは、ボーダーラインが1450位だった令和2年度司法試験で、あとほんの少しの僅差で不合格になってしまった方の相談を受けたことでした。令和2年度の試験は例外的に令和3年1月に合格発表があり、不合格だったその方は、同じ年の5月にある令和3年度司法試験に向けて態勢を立て直す必要があったのです。もともとその方は、東京大学法科大学院で第1ブロックに入っていて成績優秀者として表彰されていた方でしたが、1度目の司法試験では惜しくも不合格になってしまい、何の対策もせずにもう一度受験しても同じ失敗を繰り返してしまうのではないかという不安に駆られていました。そこで、私自身の勉強・受験経験と、伊藤塾での個別指導経験を踏まえ、そのエッセンスを余すことなくお伝えしました。その結果がつい先日、2021年9月に出ましたが、今回は見事に合格。後から届いた成績通知を見てみれば、余裕の上位合格でした。

同じように悔しい思いをされている方が、他にもいるはずです。そもそも、司法試験の実務能力評価・選抜システムがきちんと機能しているのであれば、3ヶ月でこんな大幅に明暗が分かれるということはありえないはずですが、残念ながら本質的な能力だけでなく、それ以外の非本質的な部分が合否を分けてしまっているのが現状なのです。本稿でお伝えするようなテクニック寄りの試験対策は、本来、私自身あまり好きではありません。やっていて虚しくなるからです。しかし、私自身がTOEFLで痛感したように、世の中には、実質的な勉強だけでは不十分で、目標達成のために特殊な技術が必要になる試験が多く存在していて、司法試験もその例外ではありません(司法試験の場合は、各科目の採点基準が曖昧+振れ幅が大きいため、技術がなくても運良く合格することが往々にしてあるのですが、安定して合格するためには場当たり的な処理では不安です)。本当はそのあたりもロースクールで伝授されていれば問題はないのですが、残念ながらそこが上手く回っていないのが現実です。法科大学院を卒業したのにその次に進めないという悲しい事態を少しでも減らすべく、法科大学院と司法試験の架け橋となる情報をお伝えできればと思いますので、お役に立てそうでしたらお読みください。

司法試験の最大の欠陥は「試験時間と問題量のバランス」

理想的な司法試験というのは、
・条文や判例といった基本知識をベースに、
・結論の妥当性を深く考慮しながら、
・通説やそれに対する批判を踏まえながら合理的な解釈を展開し、
・時には、事案の細かな差異に着目して判例の射程を区切りながら、
・裁判所を納得させる説得力のある文章を書くことができる
か否かを問うような試験だと思います。

実際に、採点実感を見てみても、試験委員の方々は、
・問題文の誘導に忠実にしたがって、
・確実な知識を織り込みながらも柔軟に現場思考をして、
・三段論法をきちんと用い、
・事実の評価もしっかりとしながら、
・条文の文言と判例・通説から導かれる帰結を示した上で、
・その収まりどころの悪さから修正をし、
・問題文に書かれた事実に基づく利益衡量をし、
・判例の射程を区切りながら、
・丁寧な読みやすい字で答案を書く
ということを求めているようです。

しかし、現行の司法試験のあり方では、それは無茶な要求です。

なぜかというと、試験時間が2時間と短いのに比して、処理すべき問題の量が多すぎるのです。

そもそも、司法試験委員会の方々は、時間感覚がおかしいです。

試験当日は、「緊急地震速報がなってもJアラートがなっても試験を続けるように」という指示があるのですが、そのアナウンスの際には次のようなことが言われます。

「地震速報がなった際は、当方が情報収集をし、必要な指示をします」

皆様ご存知のとおり、多くのケースにおいて、緊急地震速報がなって数秒後には地震が来るわけで…。2,3秒の間では「情報収集+指示」なんてきちんとできるはずがありません。試験委員の方々は、スタンドでも使えるのでしょうか?

なんて、少し冗長になってしまいましたが、実際のところ、
・論文では、選択科目(問題文が短い上に3時間で答案用紙8ページ)と主要7科目(問題文が長い上に2時間で答案用紙8ページ)のバランス
・短答についても、憲法・刑法(20問で50分。1問あたり2分30秒)と、民法(37問で75分。1問あたり2分。しかも図を書く手間もあったりしてやたらと時間がかかる)のバランス
などなど、合理的に説明できない時間設定も多くあります。

私たち受験生は、何年もかけて、何千時間もかけて法的な能力を研鑽させ、知識を積み重ねている一方で、試験では1科目2時間。そんな短時間で、受験者の能力を網羅的に確実に測ることなんてできません。

毎日の勉強時間の制約よりも、試験本番の時間制限が非常に厳しいために、そこがボトルネックとなってしまっています。そのせいで、暗記ベースで典型論点の処理に長けた人が楽々と試験に合格する一方で、総合的に見れば極めて優秀な法曹候補の学生が試験に失敗したりするのです。

もちろん、基本書等を読み込むのは大切です。しかし、受験生の多くが読んでいるような典型的な基本書を何度か通読した後に進む次のステップとして、みんなが読んでいないようなマイナー基本書に手を出したり、或いはマイナー裁判例の知識を広げようとするのは、司法試験との関係では悪手です。上述のボトルネックによって、結局、司法試験における評価の対象となるのは、頭の中のごく一部にすぎないからです。

一通りの基礎力を固めた後は、「自らの能力を適正に評価してもらうために試験本番でどのように振る舞うべきか」を意識しながら、過去問演習や模擬試験を通じて足りない知識を補い、他の受験生に書き負けないように典型的な問題に対する自らの論述をブラッシュアップする、といったことをしていく方が、現実的な試験対策になります。

本稿の想定する読者層

このnoteは、法学部や法科大学院で法学の基礎(基本的な条文、論点、判例、法解釈等)を一通りしっかりと学習された方向けに書いています。

法律学の実質的な部分をしっかりと学ばれていない方は一通りしっかりと基礎的な学習を終えられた上で読まれることをオススメします。上述のとおり、このnoteは、法科大学院と司法試験の間に横たわる「闇」を超えるためのものだからです。表面的・形式的なところばかり過剰に意識してしまうと、基礎的知識の習得や本質的な法的思考力の養成が疎かになってしまうおそれがあります。

実務に出てから重要になるのは、法学の全体像を踏まえて俯瞰しながら、全体の整合を取りつつも、自らに有利な方向に導くことができるよう細かいロジックを詰めていく能力です。

司法試験は、結局、ある程度同じような答えが想定される問題が出題されるため、知識偏重型の表面的な勉強で乗り越えることができますし、むしろその方が効率的だったりします。しかし、実務に出て、どの基本書にも判例集にも掲載されていないような未知の問題に突き当たったとき、表面的な知識しか備えていない人は行き詰まってしまいます。それを確実にブレイクスルーできるのは、法律学の根底にある原理を理解した上での、全体像と周辺知識を踏まえたロジカルシンキングができる人だけですが、それを身につけるためには、基本書を読み込み、個々の判例・裁判例を深く読み込み、最先端の研究者に間違いを指摘されながら法的思考力を研鑽することが必要です。

色々と考え方はあると思いますが、個人的には、法学を学ぶ一番最初の段階から予備校頼りの勉強をしてしまうと、実務に出てから自分の足で立てなくなってしまうように思います。予備校はお客様に対して親切丁寧ですが、独り立ちするためには補助輪を外さなければなりません。将来、弁護士・検察官・裁判官になったとき、扱わなければならない問題についての「シケタイ」がない場合も多々あるのです。司法試験で分からないことは講師に相談すれば講師の側で一生懸命考えて答えを提示してくれるかもしれませんが、弁護士になったとしたら、今度はあなたが相談を受ける側に回るのです。事務所のパートナーの先生に適宜報告・連絡・相談することはもちろん必要ですが、自ら書籍を漁りデータベースを深掘りしてリサーチすることなく、全力でパートナーの先生に寄っかかっていては、ただのお荷物になってしまいます。アソシエイトはパートナーの仕事を効率化するために存在するのに、「パートナーが自分でやった方が速い」というような状況になってしまっては、事務所での人間関係が辛くなってしまいます。最近は、若くして司法試験に合格する方もいらしてそのような道を歩まれる方々も大変素晴らしいと思いますが、だからといってそれ以外の方の存在価値が否定されるわけではありません。最終的にクライアントにとって大事なのは、何歳で司法試験に合格したのかということではなく、今現在直面している問題・紛争をスムーズに解決してくれるか否かです。司法試験に受かっても結局、価値ある弁護士であり続けるためには勉強を継続しなければならず、司法試験に受かるのが早いか遅いかというのは、キャリアを重ねるにつれて殆ど意味がなくなってきます。周りと比較して焦っている方からの相談を受けることも多いですが、司法試験合格自体を自己目的化して焦らずとも、合格までの間に人間として重要な経験を重ねることや本質的な法的思考力を研鑽することの方が、弁護士として働き始めてから大切だったりします。大学に入って法律を学び始めたばかりの方は、そもそも”不親切”な大学の授業にまず適応しないと毎日が楽しくなくなってしまいますし、卒業さえ危ぶまれてしまうこともありますから、まずは大学・大学院で先生方が教授してくださるエッセンスを最大限に吸収して素地を固めるといったことをするのもいいと思います。

他方、法科大学院の(司法試験との関係では)不親切な環境で、自分で道を切り開く能力を十分に鍛えてきている方でも、司法試験ではつまずいてしまうことがあります。なぜかというと、司法試験のアドバイスは、試験委員による採点実感をはじめとして、抽象的なもので溢れているからです。

例えば、次のようなものです。

答案の構成として,第1,第2,・・(1),(2)・・と内容に応じて項目を立てて論じることは内容を正確に伝えることに資すると思われるが,それ以上にわたって,改行するたびに,ア,イ,ウ・・や,a,b,c・・などと全く必然性がないのに細かく記号を付してブツ切りの論述を行うことは避けるべきである。求められているのは,内容が論理的に明快な論述であって,表面的に整理された形式ではない。

(令和2年度憲法 採点実感)

これはナンバリングについてのコメントですが、「ぶつ切りの論述は避けるべき」「内容が論理的に明快な論述を求めている」と言われても、結局どのような論述が求められているのかを具体的に示されていないんですよね。かといって、ナンバリングをすること自体は否定されていないし、採点実感自体もナンバリングの下で書かれているので、ある程度のナンバリングは必要なようにも思われます。要求が高い割には、何を求めているのかをはっきりと説明してくれない考査委員を前にして、受験生としては、途方に暮れてしまいます。まるで、イヤイヤ期の子どもの相手をする父親・母親のようです。子育てであれば、パートナー同士で協力して乗り越えることができるかもしれませんが、司法試験本番はワンオペです。

そのような状況においては、「自分で方針を立ててやってみたけれど上手くいかなかった」という方々が出てくるのは必然です。実務に出てからは優秀な弁護士として活躍できる素養が備えられているにもかかわらず、司法試験委員の、ある種自己満足的なリクエストに応えられないがために弁護士資格を取得できないとしたら、それは悲劇以外の何物でもありません。

そこで、このnoteは、そのような抽象的なアドバイスの海に溺れる方を1人でも減らすために、可能な限り具体化して書いたものですので、「自分の方針に自信がない」「自分のやり方でやってみたけど上手くいかなかった」「とにかく不安だ」という方は是非読み進めて頂き、私がお伝えするノウハウを実践してみてください。

他方で、このnoteは、「しっかりと法学の基礎を固めた人が数ヶ月で司法試験に向けたチューニングをするためにはどうしたらいいか」という観点からの割り切った内容ですので、現在の勉強が順調な人や自分の対策に自信がある人、現時点で各種予備校の答練や模試で点数がとれている人は、好ましくない影響を与える可能性があります。そういう方は読まない方がいいかもしれません。

司法試験の対策では、伊藤塾等の予備校を使われる方も多いでしょう。私自身も法科大学院だけでなく伊藤塾の講座も利用しました(そのご縁で今も土日にゼミ等を担当させてもらったりしています)が、最近は、私の見知るところ、受験生はどこか一つの予備校の教材だけに絞るという方だけでなく、色々な予備校のいいところ取りをされている方も多いと思います。ですから、本稿では、汎用性が高くなるよう、どの予備校の教材でも、市販の問題集でも、同様に相乗効果をもたらすことができることを心がけて、勉強手法を紹介しています。

それでは、前置きはこのあたりにして、以下、目次を挟んで具体的な内容に入っていきます。

※本稿をお読みくださった、既合格者・司法試験講師の皆様へ
 このnoteは、司法試験を数ヶ月後に控えた法科大学院卒業生・在学生に書いたものですが、どなたでもご覧頂けるようになっております。もしかしたら、既に合格された方や、現に司法試験指導に携わられている方の目に触れることもあるかもしれません。そのような方にお願いしたいのは、本稿の内容に対する論評です。私自身も、詰まるところ、司法試験を突破した経験のある1人の人間にすぎず、決して、司法試験委員会の中の人ではありません。このnoteの中では、受験生時代に試行錯誤して編み出したやり方について、司法試験を間近に控えた法科大学院卒業生に有用と思われるものを掲載しておりますが、それが絶対の正解だとして提示しているものでは決してありません。私自身、受験生時代には偉い方々の保守的で煮え切らないアドバイスに悩まされてきた経験があるため、このnoteでは可能な限り「具体的」で「現実的」な内容を詰め込むことを心がけました。そのため、賛否両論ある内容も多分に含まれており、色々と突っ込みどころがあると存じます。私が望むのは、過去と未来の全ての司法試験アクシデントを起こる前に消し去ることです。「このようなアドバイスは好ましくない。むしろ悪影響だ」と思われた部分等につきましては、SNS等のオープンな場でコメントを頂けましたら嬉しいです。その際、根拠資料もあわせて示して頂けますと、より一層受験生にとって有益な情報になるかと存じます。

【本格的な対策法の前に】 勉強がストレスになっているのは、目のせいかも?

本編に入る前に、突然ですが、質問です。

あなたは、次の画像の左側の文字と右側の文字、どちらがよく見えますか?
よりクッキリと見えるのはどちらですか?

レッドグリーン1

もし、右側(緑の背景)の文字が見えやすい場合、眼鏡やコンタクトレンズの度数が強すぎる可能性があります。

試しに、上の画像をスマートフォン等に表示させて、顔から遠ざけたり近づけたりしてみると実感できると思いますが、原理は次のとおりです。赤い光は波長が長いため、水晶体(眼球のレンズ)での屈折率が小さく水晶体よりも遠い場所で焦点を結びます。他方で、緑の光は波長が短いため、水晶体よりも近い場所で焦点を結びます。人間が最もストレスなく視覚を機能させるのに最適なのは、「赤い光の焦点」と「緑の光の焦点」の丁度「中間点」に網膜が位置している状態です(赤背景の文字と緑背景の文字の見え方が同程度の状態です)。つまり、「赤背景の文字の方が見えやすい」ということは「矯正が足りていない」ということを意味し、「緑背景の文字の方が見えやすい」ということは「矯正されすぎている」ということを意味します。

こういう視力検査はレッドグリーンテストと呼ばれます。メガネショップなどで、店員さんから指示されるがままにやったことがあるという方もいらっしゃると思いますが、以上のような原理で適正な矯正になっているか否かを調べるためのものだったのです。

過矯正の状態になると、文字は見えるものの、目の周りの筋肉に常に負荷がかかり、それに伴って脳にも負担がかかります。もっとレンズを緩めたいのに、既に限界まで緩まっているために目の周りの筋肉だけではどうしようもないという、老眼の方が近いものを見るのと同様の状態になってしまうからです。

老眼の方は、細かい文字を見るために紙面に目を近づけると、とても疲れてしまいます。それと同じく、勉強するとすぐに疲れてしまうという方は、もしかしたら強く矯正しすぎてしまっているせいかもしれません。

眼鏡屋でしっかりと視力検査をして買ったから大丈夫」と思っている人も、要注意です。

というのも、視力検査は、「5メートル先の物がくっきりと見えるか」ということを基準に行われるからです。

司法試験本番も試験対策中も、1日中ずっと、手元においた試験用紙や六法等(眼球から50cm程度離れたもの)を見つめているわけで、日常生活用に最適化された眼鏡というのは、長丁場で手元の物を見続ける司法試験に最適化されていない可能性が高いのです。

心当たりのある方は、Zoff等のリーズナブルなショップで「近くを見る目的専用の眼鏡」を作ってみたり、度の弱いコンタクトレンズを着用してみることをオススメします(特に、網膜とレンズの距離の関係で、コンタクトレンズの方が過矯正になりやすいので、コンタクトレンズ使用者は注意が必要です)。

なんて、勉強熱心な方こそ盲点(眼球の話だけに)になりがちな話なので書いてみましたが、以上の話は、眼鏡をかけられていない方には不要でしたね。

それでは早速、本編に入っていきましょう。

0.「予備試験合格者」と「法科大学院卒業生」との間で差が開きがちなもの

令和3年度の司法試験の結果は、次のようなものでした(弁護士ドットコムより。https://www.bengo4.com/c_18/n_13527/)。

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予備試験合格者は93.5パーセントが司法試験に合格し、他方で、法科大学院の卒業生だと合格率は50パーセント程度です。特に、令和3年の東京大学大学院だと48.2パーセントで、驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、これは決して、総合的な能力として、予備試験合格者よりも法科大学院卒業生が劣っているということではないと思います。

なぜならば、法科大学院卒業生は、それぞれの大学で、各専門領域の教授による直々の試験を突破して卒業しているからです。特に、近年は法科大学院内部での評価が厳しくなってきていて、進学率・卒業率が低下してきているのですから、なおさらです。

しかし、それではどうしてこうも本試験で明暗が別れてしまっているのでしょうか。

それは、司法試験(や予備試験)に適した能力の違いだと思います。

予備試験合格者は、その能力を有しているがゆえに予備試験を合格し、同様に司法試験も確実に突破できるのです。他方で、法科大学院ではその能力が十分に養われないために、予備試験合格者との差が生じてしまっているのです。

逆に言えば、法科大学院卒業生もそれらの能力を備えることができれば、合格率90%を超える予備試験合格者と並んで確実に合格することができるということです。

それでは、法科大学院では養われにくい、司法試験において、予備試験合格者との差が開きがちな能力とは一体何なのでしょうか。

それは、主に3つあります。

1.一般受けする答案の書き方(法的三段論法等の形式面)
2.典型問題に対処する力&処理スピード
3.短答式試験で高得点を獲得できる知識・判断力

もちろん、あくまでも一般論です。個々の学生を見れば、これらの能力に長けた法科大学院生だって多くいますし、だからこそ法科大学院卒業生も半数は合格しているのです。しかし、経験上、優秀な法科大学院生なのに司法試験でうまく行かないパターンに入ってしまっている人は、この3つのいずれかが身についていない方が多いです。

そこで、ここからは、これらの力を養うためにはどのようにすればいいのかということを、具体的なトレーニング方法を含めてお伝えしていきたいと思います。

1.一般受けする答案の書き方

司法試験で失敗する方の中には、法科大学院では抜群の成績を修めていたという方がいらっしゃいます。

このようなケースが生じてしまうのは、法科大学院の期末試験と、司法試験大きな違いがあるためです。

その違いとは一体何なのでしょうか。

「平常点の有無」や「出題範囲の広さ」等様々な要因がありますが、一番大きいのは、評価者の違いです。

法科大学院の期末試験では、一般に、授業を担当した教授が問題を作成し、採点も行います。そのため、試験を受ける学生の側も、採点者の好みが分かっていて、たとえ法的三段論法等の形式面が崩れていたとしても、担当教員が授業中に発言していた重要ポイントをきちんと盛り込んで書くことによって、教授にそこそこの好印象を与えることができ、そこそこ良い評価が来たりします。

他方で、司法試験においては、基本的に見ず知らずの採点官が採点を行います。レアなケースとして、法科大学院で指導を受けた教授がたまたま採点官の1人に当たるといったこともあるかもしれませんが、そんな奇跡に望みを託すのは合理的ではありません。見ず知らずの採点官から良い評価をもらうためには、①法的三段論法等の形式面と、②論述の中身(実質面)の両方が揃っていることが大事になります。

①形式面がしっかりしていないと、②論述の中身が正当に評価してもらえないことがあるからです。

これは何故かというと、採点官は、
「答案のどこかに『○○』が書いてあるか」
「答案のどこかで『××』の判例に言及しているか」
といった視点で採点しているのではなく、
より構造化された枠組みの中で採点をしているものと考えられるからです。

このことは、過去問の採点実感等を読んだことがある方はよく分かるはずです。

法的三段論法等の構造がしっかりしていない答案は、ある記述が「規範」としてかかれたものなのか、それとも「当てはめ」として書かれたものなのか判然とせず、採点者を戸惑わせます。見ず知らずの採点者を戸惑わせるような記述が、良い評価に転ぶか悪い評価に転ぶかといったら、後者に転ぶことの方が多いでしょう。

実際に、司法試験合格後、知り合いの法科大学院卒業生の答案を多く採点してきましたが、論述の流れがはっきりしない人が本当に多いです。頑張って採点者の側で整理して読み解けば、なんとか構造を把握することができたりもしますが、試験本番の採点官は、果たしてそんなに優しく時間をかけて採点してくれるのでしょうか。

せっかくいい内容の論述をしているのに、形式面で論述の枠組みを上手く示すことができていないがゆえに、正当に評価されず得点を落とすというのはもったいないです。

しかし、最近の法科大学院教育においては、そもそもの法的三段論法の書き方といった根本的なところの指導が疎かになってしまっていることが多く、学生が十分に習得できないことが多いのです。

(もちろん、きちんと指導されている法科大学院もあると思います。しかし、少なくとも私の知る限り行われていませんでした。)

法的三段論法が、「(問題提起+)❶規範、❷あてはめ、❸結論」という3要素からなるという抽象的な知識を有している学生は多くいますが、それを具体的にどう答案に落とし込むかと問われると、戸惑ってしまう方が多いのです。

たとえば、古江先生の刑事訴訟法の本には、次のような記述があります。

なにはさておき「法的三段論法」
教員:司法試験、いや実定法の試験で、なにが重要かって、「法的三段論法」ほど重要なものはないのだ。<中略>この「お作法」を守らない者は、法律実務家とはいえないね。
Bさん:「法的三段論法」って、「大前提」(適用されるべき法規範)に「小前提」(具体的事実)を当てはめて「結論」を出す論法ですよね。
教員:そうだね。法的三段論法の出発点は法規範というわけだ。
<中略>
法の解釈と理由付け
A君:まず、大前提の法規範については、条文の文言を書き写す必要はありませんよね。
教員:そんな必要はさらさらない。もとより、大前提としての法規範から出発するのだから、条文番号(例えば刑訴法320条1項)を引くことは必要だが(「条文からスタート」せよ)、それは、条文の文言を逐一書き写すことではない。問題となる条文のこの文言はこのように解するとか、判断枠組みはこのようなものであるといった法解釈が求められているのだ。
<中略>
A君:まずは「法の解釈」を示すのですね。
Bさん:それだけでは十分ではないわ。採点実感の中では、「法の解釈」については、結論だけではだめで、そのような解釈の理由付けの必要性も強調されているわよ。
教員:「法あるところ解釈あり」「解釈あるところ理由あり」だ。君たちが答案に「○○条△項」と書いたら、まず最初にやるべきは、その条文の法解釈だ(判断枠組みも法解釈により導かれる)。<中略>そして、そのような解釈をする以上、理由があるはずだ。なぜそのような法解釈をするのかという理由付けは必ず答案に書かなければならない。
<中略>
当てはめー事実の「評価」
A君:法解釈についてはそのくらいにして、当てはめはどうですか。
教員:当てはめとして、問題文に書いてある事実を全部引き写す答案を見受けるが、法解釈・判断枠組みのうちのどの要件該当性を判断するためにどの事実を拾い出したのか対応関係を明らかにしないとだめだよ。漫然と問題文中の事実を引き写して羅列すれば足るわけじゃない。<中略>問題文から抽出した事実が法解釈した要件ないし規範に、なぜ当たり、あるいはなぜ当たらないのかを明らかにするのが事実の「評価」だ。「評価」は、具体的な事実がもつ意味の吟味(事実に対する意味づけ)のことだ。<中略>要は、事実の「評価」は、要件・規範と事実との中間にあって、両者を結びつける「仲人」のようなものだ。

(事例演習刑事訴訟法第3版 古江頼隆 有斐閣 p.p.1〜8)

古江先生のこちらの解説は、とても丁寧です。そもそも、実体法の中身の解説に入る前に、こうした「答案の書き方」を大学教授の立場から教えてくれるようなテキストは類を見ません。

しかし、親切丁寧な古江先生の解説を読んでも、それではどうやって答案を書けばいいのか、論文答案における最終的な形をここから読み取れるという方は、なかなかいないのではないでしょうか。

その最大の要因は、以上のような「法的三段論法」の抽象的な説明において、「最もシンプルな規範」を前提にして説明がなされていることにあります。

すなわち、そこでは、「Aという要件を満たせば、Pという効果が生じる」という、最もベーシックな規範を前提に説明がなされています。

司法試験において用いる規範(条文等の法規範)がすべて、そのようにシンプルなものであれば、受験生だってそんなに苦労しません

しかしながら、実際に司法試験において用いる規範というのは、「❶Aという要件と❷Bという要件と❸Cという要件の全てを満たせば、Pという効果が生じる」といったように、満たすべき要件が複数存在します。しかも、それぞれの要件ごとに個別の解釈上の論点が存在していて、それらについて過不足なく検討する必要があります。

例えば、刑法の答案において、業務上横領罪の成立を検討する際には、「業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。」(刑法253条)という法規範を用いることになりますが、そこでは、❶「業務」という要件、❷「占有」という要件、❸「他人の物」という要件、❹「横領」という要件、それに加えて書かれざる構成要件要素として❺「委託信任関係」という要件をそれぞれ検討しなければなりません。

このように、実際に用いる規範は、要件が細分化されてしまっているために、法的三段論法を答案上で展開するためには、次の図のような複層的な構造にならざるを得ません。このような理由から、抽象的な説明が前提としている単層的な論じ方を習得しただけでは、いざ答案を書こうとすると立ち止まってしまうことになるのです。

私自身、別に、「特定の書き方が正解で、それ以外は全て間違い」みたいなことを申し上げるつもりはありません。司法試験の上位合格者でも、答案のスタイルは多様ですし、別にどういった形式が望ましいといったことを司法試験委員会が述べているわけではないからです。もし、上位合格者が全員決まって使っているスタイルがあるのだとすれば、それはもっと世の中に広く知れ渡っているはずです。

しかし、「試験のたびに書き方がブレる。それにより点数も安定しない」「答案を書くスタイルが定まっていない」「答案の書き方が分からない」「ナンバリングをどこで変えればいいか分からず勘でやってる」という方は、この構造で議論を答案上に展開するということをトライしてみる価値があると思います。

最終的には、この構造を展開していけば、自動的に論文答案ができあがっているからです。

なお、これから説明する書き方で試しに書いてみた上で、「書きにくいな」「この書き方、間違ってるな」と思った方は別の書き方をしてくだされば構いません。論文の書き方に関しては、最近だと石橋侑大先生の『論文答案ってどう書くの?』をはじめとして優れた先行文献が多くあります。

司法試験委員会から望ましい答案の具体的な書き方についてオフィシャルの見解が示されない以上、先にハードルを越えた人のやり方を真似ながら、自分が正しいと思った道に進むということ以上の対応はありません。細かい部分の書き方や言葉遣いについてはそれぞれ違う部分があると思いますが、向いている方向は大体同じです。最終的には好みの問題なので、司法試験に向けた対策が確立せず不安に駆られている方も、何冊か類書を参照し、「大体皆同じ方向でアドバイスしているな」ということに気付くことができたのであれば、必要以上に答案の書き方や勉強法に関する本を読み漁る必要はありません。いくつかの方法論を知っていた方が勉強しやすくなることは確かですが、方法論を沢山知っていても司法試験に受かるという訳ではないからです。「この人のいうことなら信頼できる」というものを見つけて、そのやり方を模倣し、いまいちフィットしない部分は自分にあわせてアレンジするといった方針で進めていくのがいいと思います。

法的三段論法の大切さ

司法試験の答案において、法的三段論法が重要であることは、以前から司法試験委員によって口酸っぱく述べられています。

例えば、平成20年の『新司法試験考査委員(公法系科目)に対するヒアリングの概要』においては、次のようなコメントがあります。

"答案を採点して気が付いたのは,第一に,法的三段論法が身に付いていないと言わざるを得ない答案が余りにも多かったことである。こういう事案であるから,この規範が問題になり,この規範はこのような理由でこんな内容になっている。そして,この規範を事案に当てはめてみると,この事実があるからこの規範が適用できてこの効果が出てくるという形が整っていない,というか,意識していないような答案が多い。思い付いた規範から書きなぐったり,重要な事実の検討・当てはめを飛ばしたまま,全体として何の論理も理由もなく,あるいは淡白な理由で結論を導いている答案が多かった。もしかすると,時間がなくて省略したのかもしれないが,それが非常に気になった点である。
この点は,法律家・実務家として命の部分であり,そこがなぜできていないのか,ということを考えさせられた。こういった能力のかん養を限られた法科大学院の憲法の講義の時間だけでやるべきだということはできない。しかし,何らかの方法でこれを強化しないと,なかなか法的に物事を考えるということ,法律家に求められる切り口で物を分析するということができないままになってしまうのではないかと思う。そこに危惧の念を抱いた。したがって,そこが法科大学院に望むことの一つにもなる。"

他にも、平成26年度採点実感(会社法)では、"考えがまとまらないまま書き始めているのではないかと思われる答案も散見された。検討の必要があると考える論点を端的に摘示して問題提起をするのではなく,問題文にある設問自体を相当行にわたって書き写している答案,相互の関係性を明らかにしないで複数の論点を羅列する答案,設問に対する結論を示すに当たって,法的三段論法の過程を経ているとは評価できない答案がその例である。"と言われていたり、

平成21年度採点実感(行政法)では、"接道義務違反,距離制限違反について多くの答案は言及していたが,法律条文の趣旨を踏まえて,その解釈を示し,具体的な事実関係を当てはめて結論を出すという,法的三段論法に沿った論述は少なかった。答案の中には,法律の条文のみを引用して,直ちに結論を示すものが見られ,法律解釈の基本が理解できていない。例えば,児童室が「児童公園,・・これらに類するもの」(B県建築安全条例第27条第4号)に該当するかについて,条文の趣旨解釈から説明しているものは少なく,条文を解釈するという姿勢に欠けている。本件児童室は児童が利用しやすい施設だから児童公園に類するなど,法文に続けて,単純に事実関係を論じるだけで,法令への当てはめの議論になっていない答案,当てはめが見られない答案が少なくない。"と言われたりしています。

読む側としては「そう言われても、どのように書くことを求められているかはっきりしないから困っているんだ。改善されないのは、伝える側にも責任がある。そんなに文句ばかり言ってないで、具体的にどのように書いたらいいのかを示してくれ〜」と思ったりもしますけどね。

1−1 意識すべき2つの構造 〜ベース大枠+個別ユニット〜

先ほど、司法試験では用いる法規範の要件が細分化されてしまっているために、法的三段論法を答案上で展開するためには、複層的な構造にならざるを得ないことをお伝えしました。

上の図は一見複雑ですので、頭の中に入れたり、答案上に再現することが難しいように思えるかもしれません。

しかし、次の2つの構造を意識して手を動かすだけで、自然と答案上に再現できるようになります。

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