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「遊びの定義」と「勉強」

ゲームの面白さを取り入れた勉強を考える時に重要なのはそもそもゲームとは何かということをはっきりさせることです。ゲームの定義については過去にいろいろな人が定義を試みてきましたが、これという定義は定まっていません。しかし、よく引用される「遊びの定義」というものはあります。ここでは一般に有名なカイヨワの遊びの定義を見てみましょう。

①自由な活動
 遊戯者がそれを強制されない。
②隔離された活動
 あらかじめ空間、時間が決められている。
③未確定の活動
 先の展開が決まっていたり結果が分かっていてはならない。
④非生産的活動
 遊びの結果によって現実の財産の移動がない。
⑤規則のある活動
 ルールがあり、それに従って行う。
⑥虚構の活動
 日常と比較して明確に非日常であるという認識のもとに行う。

ここで重要なのは④の「現実の財産の移動がない」という点です。例えばトランプでババ抜きをして、その勝敗によってそれ以降、その人の扱いが変わるとしたら、それは遊戯ではなくなります。ババ抜きの勝ち負けが実利に結び付くため必死になるでしょうが、そのゲームをする目的は「楽しいからやる」ではなく「危険回避のためにやる」という動機です。脳内物質の変化で言うなら楽しさを感じさせるドーパミンが分泌される行動から、アドレナリンが分泌される危険回避行動に変わります。

彼の遊びの定義に従うなら、勝ったらお金や物がもらえたり、逆に負けたら罰ゲームがあったりするゲームはゲームに当てはまらないことになります。

これは重要な点で、ここをおさえておかないと、ゲームのような雰囲気で勉強をさせるけど、勉強ができたら景品がもらえる、できなかったら追加のドリルで勉強させる、といったようなゲーミフィケーション「もどき」ができてしまいます。

しかもこのケースの場合、追加のドリル(勉強)が罰ゲームに位置づけられているため、勉強に対する印象が「嫌なもの」になります。その場は楽しそうにそのゲーミフィケーションもどきに付き合ったとしても、結果的に勉強そのものは嫌な印象が染みついてしまうこともあり得ます。

では次回は、以前列挙した「ゲームの楽しさ」とカイヨワの「遊びの定義」を元にして、ゲームのように楽しめる勉強について考えていきましょう。

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