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死体はアスファルトで眠る

 上の写真を撮った人に少し申し訳ない話をする。このタヌキは恐らく本当に眠っているだけできっと目を覚まし走り回るのだろう。自分の見たモノはそうではなかった、というだけだ。

 車やバイクで道路を走っているときに動物の死体を見かける事はあるだろうか、自分は結構な頻度でそれをよく見かける。大抵道路の中にあり、それを避けるというのが昨今の車事情だ。…少なくとも自分の中では。

正直、触りたくない。祟りとかそういうのを信じる質でも無いが触らぬ神に祟り無しとはよく聞く話だ。触らなければよく分からん感染症も考えなくて良い。あと面倒なのと、誰かがやるだろうという怠惰。いつの間にか死体が綺麗さっぱり無くなっていたという事が大抵だから、触るなんて事はない、それらの理由でアクセル踏んでる途中にブレーキを踏むのに凄く躊躇う。そのくらい自分はズルくて、嫌な人間なんだ、と思う。道路の脇に止めるのも、邪魔になるといけないので躊躇う、そんな感じの弱い人間だ。責められてもしょうがない。別に、赦してくれなくても良い。

今日も、大体、そんな感じだった。

動物の死体を見つけた。スルーした。用事を済ませた。帰りに死体をまた見た。まだ居たのか、と思いつつ、次の車の邪魔にならないよう、と建前で考えてみる。本音は、もっと下らないものだ。

死体から一番近い待避所に車を一旦停め、車から軍手を取り出し、何度か右往左往した挙げ句、その死体に駆け寄った。タヌキ、だったようだ。気持ち悪いとか何だとかはない。夜だったからか血は見えなかった。取り敢えず車の通らないところに避けようと体を持ち上げた。そしたら嫌な音がした。つまり、液体が真っ黒なアスファルトに滴り落ちる音が聞こえた。実際にその血を見たわけではないが、息を詰まらせるには充分な音だった。ピチャピチャと、その音を聞きながら必死に運んだ。直近の死体だったらしい。感触は猫のようだったけど、猫を触り慣れては無いのでやはりどうしても感触は異様だった。それがまだ右手に残っている。ずっしりとした重さがまだ自分の右手に残っているのだ。呪いみたいに。

車を停めた待機所の端の方に死体を置いた。急に動いたら、ビクッとしたら嫌だなとか思ってたけど、本当に、本当に動かなかった。30秒も掛かりはしなかったが降ろす時には血は止まっていた。軽い血溜まりが次の日には出来ているのか、どうなのだろう。その後、道路緊急ダイヤルに電話をした、が、残念ながら出なかった。続けざまに4回位電話をしたのだが、全く出なかった。そこにいてもどうしようもない気がして、車で帰宅した。悪い判断だったのかはこれまた自分には分からない。

 車で帰宅するとき、ずっととある動画の音声が頭を巡っていた。

"あ、そうか、あの小説って嘘だったんだな。
「さよならトムハンクス」
主人公のジェイミーは、轢かれた飼い猫を持ち帰る。
その時、服は血塗れになった。
ちょっと泣きそうになったあのシーンは、今は灰色に見える。
そうはならねぇんだよ、ジェイミー。
死体は乾くのさ。
持ち上げたところで、血なんて付かねえんだよ。ジェイミー。"

自分はその小説を読んだことはない。調べても出て来なかった。だからそんな小説があるかも定かではない。けど、そうだね。血は、付かなかった。外傷にもよる、スタンプされた所、時間や持ち方にも寄るのだろうけど、服が血塗れになることは、無かった。
自分はそれに安堵するべきか分からなかった。

死体を移動させた理由の本音を語って無かった、そういう音声の動画があったからだ。何処までが本当かは分からないが、その人はしっかりと停まって死体を然るべき場所に移動させ、道路緊急ダイヤルに電話していた。思いの丈をこれでもかと綴っていた。そんな強いその人に、少しだけでも近付きたいと思った、本当にそれだけだ。そこに正義感は無い。

でも死体に関しての想いは、割とある。
あのタヌキは頭を踏まれて死んでいた。と思う。時速50〜60km前後で走る車体で走り回る動物を避けるのはとても難しい。無理だって話だろう。運悪くタイミングが合えばしっかりと轢いてしまう。それでしょうがない、となるのだろうか?あのタヌキにどんな生があったのかは知らない。自分が思うのは死後、だ。あそこにあったタヌキはずっと、車にスタンプされる羽目になる。生前もそうだったろうけど、痛そうだな、と直感的に思う。それだけ。少なくとも人間が作ったモノで殺されたのだ。もしくは殺したのだ。ある種の理不尽な死、立派な罪だろうと思う。それでもあのタヌキはそれに対して動ずることもなく眠る。幾ら踏まれても、幾ら踏まれても、幾ら自分の体が蹂躙されようと為されるがままに眠る。それって、どうなんだ。これは、こればっかりは申し訳ないことに、自分のエゴだ。せめて、綺麗なまま、埋められるか燃やされて、安らかに眠ってくれ。綺麗もクソもない。が、轢かれるのは見るに堪えない。血ですら見たくもねぇ、仮にも命あった器なんだ、痛みあった器だ。そう考えると、居た堪れないものがある。

可哀想、とは思わない。でもそれに対する申し訳無さ、というものはある。そいつは自分が謝ってももう動きやしない。だから独り言で謝った。「悪かった」と一言。動物を殺すのも、それを動かすのも、それをどうにかするのも、結局は人間のエゴだ。それはもしかしたら動物の尊厳を破壊する行為かもしれない。だから、悪かった、だ。別に赦してくれなくても良い。後で呪い殺されてもきっと文句は言えない。それでも人間の都合で、それだけの理由でどうにかさせてしまったことは、謝らせて欲しかった。これも自己満足に終わったわけだが。 

 あの死体はどうなるのかは、正直分からない。今もあの死体は放置状態なのだろうし、車が走る場所に無い今、発見する人もそうそういないだろう。そこから道路緊急ダイヤルに掛ける人は居るのだろうか。あの死体はもしかしたら当分は残ってるのかもしれない。…明日また用事がある、まだ死体が残っていたなら、然るべきところに電話しようと思う。


もう、見たくも無いから。

「さよならトムハンクス」は嘘っぱちのクソ小説だ。
けど、一つだけ良いシーンがあったな。
主人公のジェイミーは猫のマーティンを火葬してやろうとする。
だが、土葬でいい、と父親は言う。
何だっていいのだ、と父親は言う。
そいつはもう、マーティンじゃないのだから、と。
そうだ、腐臭放つゴミと一緒に燃やされようが。
汚い庭で、何年も掛けて微生物に喰われようが。
死体には、関係ない。
死体をそう処理するのは、病原菌の苗床にしないようにするためだ。
『葬る』には感情は宿らない。
衛生管理プロトコルでしかないから。

     YouTube"ソウオウル氏""死体を二つ拾った話"より引用


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