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ロードレーサー、VOGUEの譜系 3

やはり情報は、人から聴いた生の声から。

本日、ヴェロ・マルシェ逗子に行って参りました。

会場の面積は小さいですが、活気に溢れていました。

昨日、180Kmの「エロイカ反省ライド」を敢行し
まだ体がギクシャクし軽い二日酔いがする中
朝の5時前に起き支度をして、7時半過ぎに出て
世田谷から逗子まで電車で向かいました。
田園都市線、横浜市営地下鉄、京浜急行と乗り継ぎ
途中うたた寝をしそうになる中、前日の疲れと僅かな二日酔いの頭痛による
心地良さも混じった、得も言われぬ気だるさを覚えながら
逗子・葉山駅を降り
市役所の方を目指すと、その隣に会場の亀岡八幡宮が見えて来ます。

到着すると、これから少しずつ日差しが強くなりそうな気配を感じながら
活気あふれるマルシェ(市場)に足を踏み入れます。
まずは、シマノのHGスプロケットを格安で入手し

多分MICHE製でしょうか。HGタイプのスプロケットだと思います。
丁度手持ちのMICHEの中速域スプロケットが摩耗していたので
つかさずゲットです。

格安で入手出来、幸先がいいなと思った矢先に…
ふと、会場奥にあるブースで青いフレームが目に留まりました。

見つけた時の展示位置は違いますが
この「CYCLES GITANE」のロゴステッカーに
何か既視感を覚えました。
確かサイスポかニューサイのバックナンバーで見た事ある様な気が…
ちなみに奥に見える、今回メインでお話をお伺いさせて頂いた
渋谷氏が所有のランドナーは、後述の高比良氏のパートナーだった
小林保明氏が43年前に制作した、オリジナル塗装のままのランドナーだそうです。
画像が切れてしまい判りづらいですが、非常に綺麗なメタリックの水色の
エレガントな佇まいのランドナーでした。

ヘッドマークには「G」の文字。
そして、フォーク左右とシートステーに「MAVIC 1000」のステッカー
「何か見た事ある様な気がするんだよな…」と近づき
貼られたポストイットを見ると
「ボーグ C-T500㎜ 100~126㎜」と記されていました。

すみません、¥5000で入手しちゃいました…
大事に使わさせて頂きます!

「?ボーグ、ん?ヴォーグ、VOGUE???まさか」フォーククラウンをよく見ると、「VOGUE」のロゴが!

即座に「これ、頂いていいですか?」と売り物なのにナンセンスな質問を
私が、店主のソエジマ氏に伺うと
「どうぞ~」との返事。
VOGUEとの出会いで思わずアガッてしまいました(笑

そしてソエジマ氏に早速、このVOGUEの言われについて質問すると
ソエジマ氏はあまり詳しくない様子でしたが
ビルダーの高比良氏の名前はやはり知っていた様子で
「今日、高比良君の同級生が来ているよ。どこだっけかな…」
と会場の境内を見まわしている内に「おーい」と声をかけると
一人の男性が。
ソエジマ氏は、呼んだ男性を私に紹介してくれました。
「彼、渋谷さん。高比良君の中学の時の同級生。」
え~!!!いっぱい面白そうな話が聴けそう。
渋谷氏は柔和な方で、初対面の私に色々教えて頂きました。
私が質問をぶつけると以下

私:高比良さんは「湘南レーシング」と呼ばれるクラブチームで活動されて
  いたと聞きましたが、どの様なクラブだったのでしょうか?
渋:彼は同じ昭和24年組の森さん(故森幸春氏)と一緒に、横浜市保土ヶ谷区
  の「ブルーウィートサイクル」の先代によって設立されたチームに所属
  していたのが、確かその始まりだったと思います。
私:えっ、あのブルーウィートサイクルですか⁉
渋:ええ。天井に26インチのロッシンが飾ってあったでしょ?
私:ハイ…(あれ、100万の値が付いていたよな)
渋:あれ、ロッシンに特別に作って貰った物なんですよ。先代が。体が小さ
  かったからなんですよね。
私:そんな秘話があったんですね!

なるほど。故森幸春選手と二人三脚的な関係だったのは
そう言った人間関係があったからなんですね。
ちなみに森選手は、10代の頃くらいから
チネリに乗っていたそうです。(驚

そして、実は偶々ですが、私もブルーウィートサイクルさんと
色々と思い出があるのです。
二代目の店主はご高齢の為、現在お店には立っていません。
お店自体も先日、インスタグラムで夏頃まで、当分の間休業の知らせがありました。
この画像は、近々お話をする為に撮っておいた
昨年12月頃の画像です。
ブルーウィートサイクルさんについては、また改めてお話しします。

渋:高比良さんは元々競輪選手を目指していたのですが、目が悪かったので  
  競輪の道は諦め、エバレスト(ママ)に勤めたのです。
私:私もその話はサイスポ(サイクルスポーツ誌)のバックナンバーでの情報
  ですが、エバレストに12年間勤務していたと聞きました。
渋:あ、来た来た(この時丁度、重鎮の梶原氏(勿論エバレストの梶原氏で      
  す。)とサイトウ氏、イチカワ氏がソエジマ氏のブースに到着)

フレームを手にしているのが、重鎮・梶原氏。
左隣は高比良氏の同級生、渋谷氏

私:このフレーム、MAVICのステッカー、CYCLES GITANEのグラフィックな
  のにVOGUE製のフレーム、そしてこの小さめのフレームサイズ。
  このフレームって、もしかして市川雅敏選手が使用したフレームの様な
  気がするのですが。
梶:この巻いた笹葉、市川君が好きだったんだよね。ラグはナガサワだね。

うを~!!!
まさか重鎮から生でお話が聴けるとは思いませんでした。
SUGINOのシートピンも、今は中々見ませんよね。
丁度このフレームを使っていた頃
市川選手は確か’85にSUGINOに所属した後
’86にGITANE MAVICに移籍したんですよね。
つまりこのフレームも間もなく40年が経過するんですね(驚
左イチカワ氏、真ん中サイトウ氏、奥ソエジマ氏

※5月28日追記

このリンクの中盤に、カラー写真でこのフレームのマシンと写っている
市川選手の写真があります。

※6月1日追記

そしてまたいつものサイクルスポーツ誌バックナンバー
1986年12月号P52「日本人初のプロロード選手 市川雅敏、強さの秘密を探る」を紐解くと…
まさに「G」GITANEのグラフィックがヘッドマークにありますね。

 オフで日本に帰ってきている市川選手のトレーニングに同伴して、自転車のこと、ポジション、練習方法の違いなどを聞かせてもらった。
 当日は自宅のある都内荒川区の金町から筑波山への往復という練習内容、時間にして5~6時間という事だ。
 自転車はジターンカラーのヴォーグ。今のは2台めで1台目のフレームは乗りつぶしたようだ。このフレームも来年はビチューのアルミかカーボンになるはずだ。

八重洲出版社発行、サイクルスポーツ1986年12月号P52
「日本人初のプロロード選手 市川雅敏、強さの秘密を探る」より

多分、この写真のマシンのフレームなのでしょうね。

イ・サ:あ~、このフレームサイズ間違いないよ。市川君のだよ。しかもコ
    ラムが延長されて、オリジナルのスペーサーがついているね。彼よ
    くこうしていた(コラムを延長して、ステム高を上げていた)から。   
    あとスポンサーのMAVICのステッカーが貼ってあるし、間違い
    ないよ。
    ロゴはジタンでも、ヒタチ・ロッシンの時と一緒だよね。カラーは
    チームのでも、実際のフレームはVOGUEなの。

サイトウ氏曰く「多分カンパのヘッドが使われていたのでは?」との事。
オリジナルのスペーサーも付属した、延長コラム。
この「MAVIC 1000」のステッカーが、スペシャル感を出しています。
確かVOGUEのロゴでも、これと同じフォークに貼付する
似たデザインのステッカーもありましたよね。
チェーンフックもちゃんとありますね。
私のPINK VOGUEのチェーンフック。
私のSILVER VOGUEに付いている、チェーンフック。

私:ところで、VOGUEには高比良さんと一緒に、小林さんと言った方もいら
  っしゃたと思いますが、小林さんはどう言った方なのでしょうか?
渋:小林さんは今、東叡(TOEI)ですよ。
私:なるほど!私先日、VOGUEフレームのレストアをする際に、シートピン
  のボルトを探したら、TOEIのボルトがピッタリだったので、何かしら関
  係性があるのかとは思っていたのですが。そう言った事だったのです
  ね。そのボルトって、市販されていない特注品との事だったので。つま 
  りラグもこのボルトに合う、つまり梶原ラグを使っている訳ですか
  ら。

PINK VOGUEをレストアする際、適当な市販ボルトがシートピンに付属していた為
オリジナルを調査した結果、TOEIのシートピンに使われる
上の画像のボルトがドンズバである事が判明したのです。
ネジ頭の種類からキャップボルトと言われるこのネジは
通常規格のネジ径に対して頭が大きく、市販されていない特注品なのです。
(これを調べて頂いたCORSA CORSAさんに感謝です!)
互いに気鋭の工房、何かしらの関係性の匂いを感じ取っていたのですが
ひとつ屋根の下から同僚、そして親方同士の関係に昇華したのですね。

渋:小林さんは最初の頃、小平の「ヒロセ」がお店として営業する前からそ
  ちらでフレームを造っていたんですよ。

渋:それから小林さんもエバレストに入って「梶原、小林、そして高比良」
  の関係が出来たんです。
  私も中学卒業後に文京区のエバレスト(現ツチヤトレーディング)に部品 
  を買いに行ったら、高比良さんが居て驚いた思い出がありますね。
私:なるほど!VOGUEとTOEIが同じ梶原ラグを使う理由がこれで解りまし
  た。点と点が今、線になりましたよ!
渋:そしてVOGUEを実際に設立したのは、梶原さんなんですよ。
私:実際に、と言う事はどう言ったところなのでしょうか?
渋:まず、VOGUEのあのロゴを作ったのは、梶原さんがデザインして作った
  ものです。またVOGUEを設立した際に、梶原さんが、当初は小林さんを
  代表にして、小林さんを主体とした店としようとしたのですが、出資比
  率の関係で、高比良さんが代表になったのです。」

そしてまたもやサイクルスポーツ誌バックナンバー1986年1月号P30
「シリーズ オーダーメーカー訪問●オリエント工業」を紐解くと…
誌面を見ると、大体いつも高比良氏が
単独でインタビューを受けているイメージでしたが
ここでは小林氏とペアで出ていますね。
記事の最後の方に「高比良さんはエベレスト、スタッフの小林さんはトーエイ出身」と
小林氏はスタッフ扱いで書いてますね。

上記リンク中の一文
私は、昭和44年、東叡社に入社、途中15年程ブランクがありましたが、縁有り平成7年に出戻り、現在に至っております。
パンフレットの裏表紙の「吾国最高の技術と感覚による・・・」という言葉に、何か心惹かれるものがあり、思わず書き込みをしました(初めてのことです)。
創立者、打保(うちほ)梅冶の心意気を感じます。
私が入社した時は既に亡くなっており、返す返すも残念です。
打保梅冶には遠く及びませんが、同じ気構えは持ち続けたいと思います。

Posted by:小林 保明@ August 22, 2005 10:22 PM

平成7年(1995年)の15年前は、昭和55年(1980年)です。
つまりVOGUEが創業した年になります。
時系列が合致しますね。
ここで小林氏は、平成7年頃にVOGUEからTOEIに戻られたのでしょうか。

上記aki's STOCKTAKING
https://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000491.html
より

…と、そんなこんなで貴重なお話を聞かせて頂きました。
会場でもお礼を申し上げさせて頂きましたが
この場をお借りして、改めて御礼を申し上げたいと思います。

そして、このフレームを引っ提げて
すぐ先のブースに居た
昨日お世話になった、葉山自転車市場さんに見せると…

あっ、このフレームサイズもそうですけど
MAVICがスポンサーだったんですよね…
ン⁉このボトムケースに、MAVICのBBを使っていたみたいですね。
MAVICのBBを使うと、メスネジを使わないんですよね
あ~そして高橋プレス製ですね。

確かに、ネジ込みの痕は無い様ですね。
ボトムケースには、私のPINKやBLUE同様に、日立製作所の刻印が。
高橋プレスが日立製作所に発注していたのでしょうか?
私のPINK VOGUEのボトムケース。
日立製作所の刻印が左手に小さくありますね。
チェーンステーの補強のブリッジは、水掻き型とでも言えばいいのでしょうか。
もう一つ、私のBLUE VOGUEのボトムケース。
ワイヤーのガイドの形状や、チェーンステーのフィンが外側にあるところを考えると
CYCLE GITANEフレームは真ん中にある水抜き穴は、追加工によるものと思われ
チェーンステーの補強ブリッジも独立して溶接されている様子を見れば
多分こちらと、CYCLE GITANEのボトムケースは同一なのでしょう。
つまり、日立製作所製のボトムケースは少なくとも2種類存在する事になりますね。

MAVICのBBを使うところからも、市川選手が使ったものと見て間違いないと思いますね。

…と、まさかの展開となりました。
やはり情報は、ネットからの掬い上げだけでなく
やはり人から話を聞くと色々と深く貴重な話が聴けますね。
こう言った言い方は失礼かもしれませんが
関係者の方が皆さんご高齢の今、お話を聞かないと
驚くようなエピソードが、歴史に埋もれてしまうかも知れません。
今後も色々な機会を通じてアンテナを高く張り
お話を聴ければと思います。

フレームの画像を、もう少し。

私のPINK VOGUEと同じサイズみたいですね。
まさか、PINK VOGUEも市川氏が元オーナーだったりして…⁉

余談
今日本当は減量も兼ねて、MTBで来ようかと思っていました。
でも良かった、電車で来て…
出発時は軽い二日酔い状態で、元々自転車では行けませんでしたが
勿論、飲酒運転はダメ、絶対!

そして行きの電車は、気だるくウトウト…と言ったところでしたが
帰りはフレームとの出会いもそうですが
何よりVOGUE秘話を持ち帰ることが出来、シャキッとして帰りました。

そして今回のお話を通じて
こう言った、元気な知恵袋的な先輩方みたいに
私も成りたいと思った次第です。

その4に続く

参考資料
サイクルスポーツ誌
1、1986年12月号P52
  「日本人初のプロロード選手 市川雅敏、強さの秘密を探る」
2、1986年1月号P30
  「シリーズ オーダーメーカー訪問 ●オリエント工業」

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