古月と、2020年。

この時期になると毎年同じような問いかけをされるものだ。

「今年はみなさんにとってどんな1年でしたか?」

無論、今年はCVID-20、新型コロナウイルスの影響により、人類が脅かされ、この世間をどう見渡しても影響を受けていない人物は限りなく少ない。
流行語大賞もコロナの話題でほぼ持ち切りだ。

私は去年の大晦日。2019年12月31日にコミックマーケットに出展し、サークル参加。他の日は仕事がない日程は全て一般参加していた。

大好きな同人作家さんやVtuberに関する出展、仲間との再開、取引先の発掘。様々な出来事があった。

その中でも忘れられないのが、売り子で手伝ってくれた仲間と撤収した後にコミックマーケット最後の恒例行事、万歳三唱をしたことだった。

閉会宣言の案内放送と拍手のあとには、鉄道島の精鋭たちが「今年も景気よく行きましょう ヨーオッ」と叫び、一斉に三本締めと万歳三唱が始まる。

私はあの時、誰もマスクなぞしていなかったビッグサイト、あの万歳三唱の勢いと活気、熱量をよく覚えている。

勢いよく万歳三唱をした私達は長い時間、はじめてのコミックマーケットの出展を乗り切り、コミックマーケットに参加できた喜びを胸に最高の笑顔を浮かべて会場の通路で握手をしていた。

私はこの光景を2020年の苦しさとの対象にし、幾度も思い出してきた。その時には誰一人と今の状況下を想像できるものは居なかったのだから。

私は趣味と仕事の面で影響を大きく被った。私の活動においてリアルでの動きはネットとは異なる人脈の開発や交流ができるからだ。

1月には、ニコ厨バーというものを開いた。20人もの人が私とニコニコの話を求めて集まったいわゆる私主催のイベントバーだった。

バーエデン本店さんをお借りし、店の中はニコニコを愛するものたちでぎゅうぎゅう状態。椅子やテーブルを店の外に出してやっとまともに話せるくらいになっていた。

これもコロナの影響により、リアルでの出店は不可に。リアル開催にこだわっていたが、結果的に11月1日にオンライン開催となった。

2月と3月にはSCPのオンリー即売会、収容違反インシデントとメディアオンリー即売会のM3に出展した。

しかし、すでにこの時期にはコロナの影響は日本にも差し迫っており、即売会の参加者は当初の予想よりもかなり少なく、この出展のために半年間ずっと創作してきた努力が完全に実ることはなかった。

結果的に、30万円ほどの赤字に。見込みが甘かったこともあり、これが後に経済的な重しとなった。

私はこの1年仕事が二転三転と変わっていたことは私をよく知るフォロワーの各位ならばよくご存知だと思う。

私は2月に前職……というより【3つ前】の職場で契約社員の任を解き、退職となる辞令を受けた。つまり、契約解除を言い渡された

上司たちより言い渡された際には「わかりました」と1つ返事で了解した様子は鮮明に覚えている。

上司からは優しさから「早めに伝えておいて君には早く次の職場を見つけてほしい」と言われ、その日から地獄は始まった。

まず最初に受けたのは「いちから株式会社」をはじめとするVtuber関連企業と今まで自分の夢や目標としてきた音響関係の企業だった。

しかし、殆どの企業は経験不足だと判断されたことなどで書類で落ち、コロナの影響もあり、面接を受けられた企業も少なかった。

会社で働きながら就活しなくてはならず、仕事が終わる前に早く見つけなければならないというプレッシャー。

私は報道番組に関わっていたこともあり、このコロナの影響というものは前線で見ていたことで感じていた恐怖。

特にアメリカの経済市場で株式取引開始直後に投資家がコロナの影響を懸念し、大量の株を売り、急降下した結果、サーキットブレーカーという市場が一時的に停止する異常事態が目の前で3回と起きたときには、職場であったスタジオには緊急放送や速報が流れ、文字通りの世紀末状態。
株に詳しくない自分でも

「仕事の決まっていない俺の人生は終わったな」

とまで何度も思った。

そんな中で受けた企業は殆どが私に対して冷たい対応を取り、日に日に心がすさみ、退職の日は迫っていった。

ただ、受けた企業の中で1つだけ全く違う業界を受けた会社が1社のみあり、私は退職ギリギリで【内定】を得ることが出来、受理した。

そして、3月末日に私は会社を退職し、その内定した会社の研修開始を待つこととなった。これもコロナの影響により、長らく研修が行われることはなく、1ヶ月以上何もせず待つこととなった。

私はこの待つ時点で国民健康保険や国民年金など企業から抜けた分自分の貯金から直接払う苦しみを味わっており、貯金はギリギリだった。


コロナ対策の成された研修会場で私は同じく内定した同僚と社員からその企業の実情を知り、私は研修の内容だけを学び、退職しようと誓った。

私はその【研修】の時点でも【内々定者】だった。そして、【研修】の間の給料は【無報酬】だったのだ。

私は研修期間、不幸中の幸いにも内々定者という身分だったため、失業保険を受給。

失業保険でのギリギリの生活と1日8時間無報酬研修を受けながら転職活動。さらには映像制作、音響作品の制作などを行っていた。限界だった。

研修は1ヶ月と続いたが、最後の1日にやめると切り出し、内々定破棄。一方の転職活動はコロナ渦によって求職自体が少なく、いくら探しても同業種は見つからなかった。

そんな中で私に対して救いの手が来た。
ニコニコニュースオリジナルのライターのスカウトだった。
担当者は私がニコ厨バーを開いた際にお会いした方でフリーランスとして迎え入れてくれた。本当に有り難かった。
しかし、正直なところこれだけでは食うのにはあまりに無理があったので転職活動は続けた。

その再開した転職活動の中で1つ奇跡が起きた。
それは、私が尊敬して止まない目標としていた企業が採用募集を急に始めたのだ。
私は新卒の就活時にはその企業に応募することも出来ず、中途だけを募集しているその会社では当時は手も足も出せなかったのだ。私は応募しただけでも夢が叶ったと思い、結果を待ち続けたが、一切返事は来なかった。応募できただけで嬉しかったので、悲しみはあまり感じなかったが、未だに心残りとなっている。

7月末。そんな夢を叶えた一方で現実的には限界を迎えていた。
その次の月には失業保険が切れることが見込まれ(結果的にはコロナ渦でそのまま受領してても延長にはなったが)、貯金も3万円を切っていた時には映像と音響業界の技術職の求人のある企業を殆ど受け、転職エージェントには「もう紹介できる企業がない」とエージェント会社3社に言われ、一般の業界を目指すか、フリーターになるか、勉強を中学校の知識からやり直し、大学に通い、新卒になるか。私には究極の選択だった。

そんな中で「ここに受からなかったらこの業界は諦める」と思い、カメラアシスタントとして受けた会社から二次面接の話が来た。
面接を受けると先方からは思わぬ質問が出てきた。

「音声には興味ないの?」

あまりに想定外の質問の回答に目は輝き、早口オタクになる。「やらせていただけるのであれば是非」と。

その回答が決め手となり、私はその会社に内定。
契約社員として働くこととなった。

私は映像や音響業界にこだわるのは専門職だからということと、あまり接客にむいていないこと、他にやりたいことが見つからないからだ。やりたいと思えることではない一般職にどう志望欄を書けばいいのか。私には分からなかった。
故に一般職の就活は進まず、茨の道を半年歩いたのだった。

だが、専門を卒業して1年半経った今。
縁あって音響の仕事を出来てるのは嬉しいことで、有名番組などに携わりながら、時には政界の重鎮や芸能人と一緒に仕事をしたこともあった。

給料が正直低く、入社したときには銀行口座にはたった600円しかなく、未だに周囲には迷惑ばかりかけているが、そのうち落ち着くことを願うばかりだ。
この1年本当に人に救われてきた。


ニコ厨バーに来てくれた皆さん。
ニコニコニュースオリジナルにお誘いいただいたT氏。
VRコンテンツにお誘いいただいたM氏。
クリエイターDiscordに誘ってくれたK氏。
エンジニア互助会Discordに入れていただいたY氏。
私に食料を送っていただいた方々。
いつも心配してくれるN氏。
朝までVの話に明け暮れて、色んなVの話をしたK氏。
帰ってきてくれてありがとう、不器用でごめんねと伝えたいN氏。
ご迷惑とか色々かけて申し訳ないと思ってる大百科運営各位。
いつも声が大きくてすまんよ、ニコニコ運営。
一緒に呑んだり騒いだりしたサークルメンバー。
Project Virtual Historyの皆さん。
就活や企業に騙されたり様子を見守ってくれたニコラン編集部。
私が居なくなったあとでも活動を続けてくれたdskさん、唐沢さん。週マス編集部。

そしてTwitterでいつもご心配や応援をしてくれる皆さん、Discordで愚痴を聞いてくれた皆さん。

本当に今年1年ご迷惑とご心配をおかけしたことを心からお詫びしたい。
そして何度も何度も助けていただいたことに本当に、本当に、感謝を申し上げたい。本当に幸せだなと思った時もあった、死んでやろうと思った時もあった。でも、みんなの支えのおかげでなんとか私は今年生きられた。ありがとう。心の底からありがとう。
2021年もどうぞ私、古月をよろしくお願いいたします。


転職エントリーはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?