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【昭和のあるある】思い出日記

【昭和の上下関係(中学校編)】

そんなこんなで、小学校時代は同じ団地の幼馴染と一緒に
楽しい日々を過ごしてきました。
でも、中学校に進むと自ずと上下関係というものがあるもので、
当時は「校内暴力」が流行り始めた頃で、同じ団地に住んでいた
幼馴染の2歳上の「友だち」もそれなりに昭和族の不良と
呼ばれる人もいました。
中学校の入学式の翌日、不良の先輩たちがクラスを訪れて、
好き勝手に暴れていきます。

ちょっとでも逆らおうものなら『連行』されることもありました。
もちろん、不良の先輩たちの顔馴染みの同級生はそんなことは
されませんでした。私も団地の「友だち」のおかげで連行も
暴行もされることなく平穏に(?)過ごせました。
まぁ、小学校の頃から多少ケンカをしていたこともあり、
その辺のウワサもあったのでしょう・・・。
ある日、先輩たちから1年生の数名が呼び出され、
「今日、夕方の5時に○○の駐車場に集合な!」とだけ告げられ
帰宅してから指定の場所に向かいました。
ただ、集合時間には15分ほど遅れてましたが・・・
すると、10人程度のお巡りさんがいて、先輩たちがイキリ立って
何やら叫んでいました。
一体何だったのか?
実は隣の中学校の不良たちと私の中学校の先輩がケンカをするため
指定の駐車場に集められたようで、先輩たちは「凶器準備集合罪」
ということでお巡りさんに補導されたようでした。
もしも指定の時間にあの場所にいたら、私も「補導」されていた
のでしょう・・・。
怖いのはその後。
指定の時間に遅れたことで、先輩たちにとっては「裏切り者」と
されて、学校で何をされるのか?考えただけでも眠れなくなりました。
結果は特にお咎めもなく先輩たちは普通に接してくれましたが、
それはなぜか?
団地の「お友だち」がその主犯格でしたが、幼馴染の私には特に何も
しないように不良のみなさまを抑えたようでした。
昭和55年くらいに流行った「金八先生」を地で行く世代には、
校内暴力、暴走族などは結構身近な社会問題でした。

<部活の上下関係(中学校編)>
昭和族のスポーツといえば、やはり野球をする人が多く、同じ小学校
に通うエリアでもチームが4つありました。
ところが当時の中学校には野球部がなく、私も野球ではなくバレー部に
仮入部しました。しかし、突然野球部が創設されることになり、急遽
野球部に入部。
3年生、2年生の先輩たちもいろいろな部から野球部に流れてきて
野球部は一大勢力となりました。
そんな上下関係は・・・ゆるかったですね。
先輩を「〜くん』と呼び、後輩にも「〜くん」と呼ばれていました。
ただ、同級生間の妬みなどは多く、今でもあるような「いじめ」問題も
身近でした。
人間というのは残酷な生き物で、「今日仲良かった友達が翌日は全く
話してくれない」などのいわゆる無視などもあり、標的にされたら
まるで透明人間のように誰も話してくれないこともありました。
私も一時野球部内で標的になり悩みましたが、ある日
「くだらねぇなぁ〜コイツら」と思って野球部を退部。
結果、つきものがとれたが如くスッキリしていました。

昭和、平成を経てもこのような『イジメ』はなくならずに悩んでいる人が
多く、命を絶ってしまう人もいることに心を痛めています。

【昭和の上下関係(高校編)】

につづく・・・

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