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聴き語りtr.3:奥田民生「海猫」('98) - 何も起きない散歩のドラマ

曲を聴いてひたすら語るシリーズ、トラック 3。

齢30が近づく今、「奥田民生」の魅力があらためて沁みてきた……そんな気持ちで特集記事を書いていたら、とある曲についての文章が膨れ上がったので聴き語りシリーズに起こしたのが今回の記事です。

奥田民生といえば「ロックンロール大将」「のらりくらりオッサン」みたいなイメージを持たれてますが、このひとも中々どうして一筋縄ではいかない(なんてったって盟友は井上陽水よ)。自分はSSWとしての民生がふと見せる何とも言えない表情と感情図がとても好きです。そんな1曲について書きます。


奥田民生「海猫」

『Guitar magazine 1998年5月号』当時の奥田民生イメージ(若い)

背景

まずは簡単に楽曲背景から。「海猫」は1998年リリースの4thアルバム『股旅』の収録曲です。当時"33歳"の奥田民生は、2月に代表曲「さすらい」をリリース、『股旅』には「イージュー★ライダー」が収録されているし、いっぽうPUFFYとして「愛のしるし」の編曲を手掛け……と、ソロデビューから4年たってなお堂々たるヒットメーカーでした。

いっぽう世もCDバブル全盛期。Mr. Children、GLAY、L'Arc~en~Cielなどなどが、異常なセールスと喧噪に連なり、ギラギラした超スケールヒットを連発していく時相です。

奥田民生もそんな波にのってもおかしくなかった。しかして「海猫」は完全にくたびれた一曲です。代表曲ではないし、ファン人気投票にも特別ランクインはしていない。でもここにはパブリックイメージとは異なる「民生」がしっかり浮かんでいると感じる。

「海猫」。ファン的に人気かは知らないが名曲だと自分は思っている。
再生してみましょう。


目的なき「散歩(ドライブ)」のうた

これは「散歩(ドライブ)」の歌です。
それもあまり気分が良くないときの、そして何が起きるでもなくただ行って帰ってくるときの。

奥田民生がロックンロールに寄らないときの楽曲は、楽曲のキーが曖昧で※1、なんだかハッキリしない、フラフラしたような印象を持ちます。漠然とウロウロする楽曲のキー同様に、歌詞の主人公もまたさ迷っている。ブラついてるのは海辺ふきんの港です。

「みなと」と言えばスピッツにも名曲・名詩があります※2。草野マサムネは、遠くなった君の面影を水平線の果てに浮かべなおすような祈りの場所として「みなと」を描きました。主人公は思い出すために、祈るために港に向かう。

いっぽう、奥田民生が描く「みなと」もとい「海猫」では、主人公は本当になんの目的もない。ただ何となく海辺を車で走っていて、横切るものに少し馳せ、この海の先は外国なのかな……などとどうでもいいことに思いをめぐらせる。1番のサビが象徴的で、

何をしに来たの
する気なんかあるの

ないので 帰ろう

かなり虚無な一節です。個人的にはかなり共感があるけども、サビの歌詞にしては景気が悪すぎる。民生らしい前向きさもない。


■「……」の表現

イントロを挟み、こんどは歌に代わって長田進のスライドギターがAメロの進行上に鳴り響いていきます。さすが名演といっていい”哀”を響かせていて、主人公の心情風景がその歩みの息遣いとともに伝わってくる……けども。間奏と思われたこのギターソロは、Aメロの進行が一回りする直前で民生が割り込んで「犬がなおかつ横切る」と歌いだし、主役をボーカルに、景色を現実に引き戻す。

何気ないことだけど、この曲展開はこんなフィルムイメージじゃないでしょうか。「帰ろう」とした主人公は、(緩いイントロにのって)Uターンする。そして帰路につきながら思考を宙に浮かして(スライドギター)――……ふと犬が目に入った(歌いだし)。このギターソロと歌の交錯には、小説でいう「……」の表現が感じられる気がする。映画で言うならカメラアングルの転換。

「……犬がなおかつ横切る」。

散歩してる時ってこんな感じだよなって表現。地味に、すごく、しかし地味に感じいる。映像的な曲です。


ふと我に返った主人公は、「僕がみているのを知っているのかな」と外に問いかけたあと、「どうかな」と思考が内に傾き、そして一気に溢れます。

帰りたくないの?
何がまってるの?
誰に会いたいの?
そして何をするの?

この、いきなり畳みかけるように頭のなかで自問の堂々巡りが始まる感じは、一人で散歩(ドライブ)している時そのもので、ものすごいリアルさが個人的にあります。

主人公はその自問すべてに何も答えず、妙にヒロイックに「あくなき戦いが 明日からまたはじまるぜ」とただ嘯いてみせる。

長くなってきたのでネットで拾ったソレっぽい画像をひとつ


だけど、今度は緩いイントロは挟まれない。
ここに感情図の表現をみます。


■「進路変更」の転調

この楽曲は「(ドライブの)進路変更」みたいな表現に「転調」が用いられています。カギとなるのはイントロのフレーズで、これが「舞台転換の幕」のような機能を担ってます。

1番目のサビは、このイントロをはさむことによって緩やかなカーブを描いて道路を折り返し※3、Aメロに戻っていった。
でも。
2回目のサビ終わりにはイントロが挟まれない。たった一拍、カラオケでキーを上げるような強引さでAメロの進行※4に戻っていく。1回目に比べて、こちらはまるで急停止からの強引なUターンです。

行きと帰りでコード進行が微妙に異なるのはSteely Danなどでもよく聴く技法で、音楽のルーツにBUMP OF CHICKENがある身としても馴染み深いですが、「転調先の接続の仕方」で楽曲の表情に差異をつけるのはあまり覚えがない。「海猫」はこの表現が歌詞に本当によくハマってます。

「戦いが明日からまた始まるんだ」――そんな方向転換で楽曲はエンディング、家路に向かい直しますが、威勢のいい言葉と裏腹に、遠吠えのようなボーカルとスライドギターがその帰路を秋色に彩ってしまう。オー、オー、オー……。きっとそこには海猫の鳴き声もしている。


■SSW奥田民生の表情

ということで、何気なくギターを弾き語ったような曲に見えつつ、その実かなり「SSWの凄み」を持つ楽曲と思うのでした。ここまで文字を重ねてきたけれど、平たくいえば「ドライブに出て帰った」だけの歌。でも、何も起きていないのに、細かな表現から確かな感情図が伝わってくる。すごい(素朴)。奥田民生は何も起きていない日常をただ歌ってドラマが描けるSSWだと思うんです。ともすれば見過ごしてしまうかもしれない、でも名曲だと自分は思ってます。

ちなみにアルバム『股旅』は「海猫」で途方に暮れるどころか、そこからド級のヘヴィーロック「手紙」、いわずもがな人生のすべて「さすらい」、ブルージーVer.の「イージュー★ライダー」で余裕綽々・ゴージャスに締められます。「海猫」は民生が普段カメラに見せないような表情をチラッこぼした一曲だったんです。その素顔……かもしれない何とも言えない表情に、自分はSSW奥田民生の魅力を見出したりするのでした。


関連記事・注釈

この記事は、以下の文章の音楽への接し方が良いなぁと思って生まれました。こういう、「作品への接し方と視点」を言語化した文を読んでると、「はぁ~作品って自分が思うよりずっとすごい」となります。視界が広がる。自分もそんな記事を書けていければなぁと。


※1. 具体的にはおおむねD majorとA majorをさまよってます。例えばAメロは太字と青矢印のようにキーを行き来してるように自分は感じる。

赤字のⅢ7は俗にいう「Ⅲ度メジャー」で、平行調の構成音を借用した、古今東西の"泣き"に用いられる強力なコード……のはずなんだけど、ここではキーを曖昧にぼかすことでその演歌的破壊力を軽減し、「ドラマチックだけど典型的なJ-POPほど劇的ではない」という絶妙な回避(?)をみせます。結果、「泣き」より「哀愁」をまとっている、気がする。ギターを持ってる方はぜひ弾いてこの「民生節」を感じてほしい。

※2. スピッツにも「海ねこ」って曲はありますが関連度的にスルーしました。認知はしてるよ!(ファンアピール)

※3. 「する気なんかあるの」→「ないので かえろう」の部分。楽器meによれば「A→A(onG)→A→A(onG)→D(onF#)」から「Fm→C」。すごい。この強引な転調を、Aメロに引き戻すため「進路変更する」(転調しなおす)わけです。前半部はD majorが妥当な進行だけどA majorと曲解したうえで、ベースラインの半音下降を追い風に、同主調A minor = C majorのサブドミナントマイナー「Fm」が唐突に登場するのか?単純にコードを弾いても納得いかないけど、歌・詩とあわせると確かに納得させられてしまう。これが「J-POPのサビ」として機能してるの、やっぱり民生は天才だと思う。ビートルズとかに元ネタがあるのかな……。

※4. 実際はAメロとアウトロでは微妙にコード進行が異なっています。行きと帰りの景色の違い、ニクい。


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