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田舎のおばあちゃんは絶滅危惧種?!

おばあちゃんちの縁側でスイカ割りをした人はどれくらいいるだろう。タケノコを掘って、蛍を見に行き、餅つきをして、しめ縄を作る。ふとした拍子におばあちゃんちのひと時を思い出す人もいる。

驚くことに、今の子どもたちのほとんどがおばあちゃんちの当たり前を経験できなくなっている。実は「田舎のおばあちゃんち」は絶滅危惧種なのだ。

団塊の世代を境におばあちゃんは変化している

私のおばあちゃんは、母方が田舎に暮らす86歳(1936年生まれ)、父方は住宅地に暮らす83歳(1939年生まれ)だ。いわゆる田舎の体験は母方の86歳のおばあちゃん家が舞台だった。お墓に水をやり、帰りにトンボを観察し、トマトの丸齧りをした。父方のばあちゃんちは住宅街のマンションで暮らし、従兄弟とマンションの中で鬼ごっこしたり、家でテレビゲームをし、お菓子にエクレアが出た。

子どもにとっては、どちらも楽しかったが、残っている記憶の鮮やかさでいえば、田舎のばあちゃんちに軍配があがる。天の川もアリジゴクも初めてみたのは田舎のおばあちゃんちだ。

父方のばあちゃんは1939年生まれだが、スイカの育て方も田植えもよくわからないみたいだ。生まれは祖父母とも農家の出だが、大人になって市街地で八百屋を営み、商売人として働いた人生にはあまり農作業の機会はなかった。

話は変わって、現在、僕が暮らす田舎でお世話になっている大家さんは75歳と73歳の夫婦だ。大家さんたちはある程度、田舎暮らしができる。

旦那さんは商売人の息子として生まれ、子どもの頃から農作業らしいことは特にしてこなかった。

奥さんは近くの里山に生まれ、稲の育て方、漬物の付け方、わらの編み方など一通りのことを子どもの頃から教えられていた。中学生頃に山の中腹に住んでいた家から山の麓に引っ越し、田舎らしい家事全般はどんどん少なくなった。

壮年期まで子育てとお商売に精を出した。奥さまが実家に帰って農作業のお手伝いをする程度で、ほとんど田舎らしいことはしなかった。転機は12年ほど前に近所で畑が手に入り、ある程度思い出したようだ。奥さまにつられて旦那さんもある程度できるようだ。

田舎のおばあちゃんには条件が必要

田舎らしいおばあちゃんには条件が必要そうだ。哲学者内山節によれば、1965年を境に日本の暮らしと思想は大きく変化したそうだ。なるほど確かに3種の神器のテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの家電が普及したのも、海外の木材が大量に輸入されたのも、エネルギー革命が浸透したのもその頃だ。田舎の暮らしはガラリと変わり、現代的な暮らしに転換したのが1965年ごろだ。

言い換えれば、1965年を境に、いわゆる田舎らしい暮らしは多数派ではなく少数派となった。1965年までに田舎や里山と呼ばれる場所に住んでいた人は、田舎暮らしの技は生きる術であり、そつなくこなせる。現代人に置き換えれば仕事のためにパソコンを使うように、田植えもできるし、採れた藁で草鞋が編める。

1965年以降も一定数の家庭や地域が田舎暮らしを続けているが、次第に現代的な暮らしに置き換わっていった。年代では田舎ぽいことができても、すでに都会な暮らしをしていた人にはできないし、徐々に現代的な暮らしに慣れてきた人もおそらくできないだろう。

ゆえに今のばあちゃん世代を仮に50代から60代とすると、ほとんどの人が田畑を耕せない。もちろん、できる人もいなくはないが、圧倒的に少なくなっている。

「1965年までにどれだけ田舎っぽいことをしていたか」と、「最近、田舎っぽいことをしているか」が日本における「田舎のおばあちゃんの条件」となる。

田舎のおばあちゃんがいなくなるリスク

おばあちゃんの役割は家事全般である。またおばあちゃんがいなくなるということは、おじいちゃんもいなくなるということだ。となれば家事以外の田畑を耕したり、山に木を切りに行ったり、石垣を積んだり、神社や寺を中心とした年中行事をできる人がいなくなるということだ。もう少し大げさにいえば、田舎が滅びるということだ。

田舎が滅びた後に残るのは、荒れた田畑を横目に務め人が住む状態だ。住みにくくなった田舎は、都会ぽい生活をどんどん取り入れ、住宅や公共施設を建て並べていく。そして都会ぽい田舎暮らしもしんどくなると都会へと人口が移動していく。

全国の「田舎」は、「荒れた田舎+マネした都会が合わさった土地」へと置き換わろうとしている。荒れた田舎の都会化はもうすでに数十年前から起こっている事実でもある。

田舎が滅びるタイムリミット

すでに田舎らしく無くなった田舎は五万とあるが、まだ残っている田舎もある。いつまでに全国の田舎が続くのだろうか。

目安として「団塊の世代が元気なうち」だと思う。団塊の世代は1947-1949年あたりに生まれた世代のことをいう。日本の暮らしの変わり目である1965年に18歳から16歳であり、田舎暮らしをしていた団塊の世代まではたいていの田舎仕事は覚えている。

この人たちが元気なうちは年々荒れた土地は増えるものの、なんとなくは田舎の原型を止めると思う。田舎のじいちゃんばあちゃんが元気なうちといえば80代半ばまでだ。となると残された時間は10年が限界だろう。

その間に、いかに、じいちゃんぽい&ばあちゃんぽいことができるようになるか、土地ごとの田舎たるゆえんや大事なものを守ることができるか。

田舎コンプレックスが邪魔をする

田舎コンプレックスのようなものがある。田舎より都会が素晴らしいものという考えだ。生垣よりもコンクリートブロックがカッコ良く、木造よりコンクリート造の建物がおしゃれなのだ。おいちゃんおばちゃんたちの中には田舎らしさ、その土地らしさを隠し続けた人たちもいる。

土地に暮らすじいちゃんばあちゃんは田舎らしい暮らしができる人でもあり、どんどん田舎の都会化を推し進めた人たちでもある。できる人の中にも長年やっていなくて忘れてしまった人もいる。

また、田舎らしさも現代社会に合わせたものにする必要がある。流行のパーマカルチャーや有機農法、健康や豊かさといったライフスタイルと紐づけないと、若者の心を惹きつけにくい。現代版の田舎暮らしを積み上げていく必要がある。そのためにはまず、本来の田舎らしさをしっかりと学び、今の暮らしに溶け込ませていくことが最短のルートなのではないだろうか。

今できること

今私たちにできることは、ひとまずおばあちゃんに電話をかけること。そして「来週末あいてる?」と尋ねてみる。たくさん話を聞いてみる。

できることなら今であれば夏野菜の収穫が始まりかけている。じゃがいもや玉ねぎを採っている地域もある。梅雨時期は畳や布団にとっては天敵だ。カビ易いものの対処法を教わっておこう。そんなちょっとずつの実演を交えたコミュニケーションの中で暮らしの歴史は紡がれてきた。

ちょっと遅いかもしれないが、今から始めれば10年あれば身につくものもある。田舎のばあちゃんにはタイムリミットがあると頭に置いて生活しよう。それが今の若者たちにできることだ。

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自己紹介_岡山紘明


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