タイパの弊害
子どもたちに行事について以下の2点について考えさせることをしています。
①ルールとマナー
②自立と集団行動
それぞれ並列させているのには、理由があります。これらには意味合いにも差異があり、場面場面で違いが生じ、一様にこれが正解というのを断定しにくいという性質があります。
それを行事の中で感じさせてやりたいと思っております。
例)自分一人で動くときは考えなくても良かったものが、集団行動の時になると必要になってしまうこと など
話は少し変わるのですが
以前、私が勤めていた学校で担任をしている際に以下のような生徒がいました。
『朝、制服に着替える際に母親に服を着せてもらっている』というもの
これを聞いて、皆さんはどう思いますか?
正直なところ、「えーーーっ!!?そのくらい自分でやれよっ!!w」
といった感想ではないでしょうか?
もちろん、私も当時はそういった感覚でいたのですが、最近は少し違った視点から
この問題について考えるようになりました。
そのような状況となってしまった背景にはどのようなことがあったのでしょうか?
話を聞いていた感じ、母親も「着せてあげたくてやっているわけじゃないんです」といったご様子
じゃあ、何故?
それは、そのご家庭が本人に着替えさせることよりも、【時間】を優先してしまっていたからだと思います。
いわゆるコストパフォーマンス=コスパならぬタイムパフォーマンス=タイパですね
当時の様子を思い出していると、母親も父親も働いていた。つまり共働きでした。
子どもに掛ける時間を少しでも短縮して、仕事の手を抜きたくない という強い気持ちがあったというのもすごく分かります
私も子供の相手をしているときは、同じような事をしてしまっている自分がいます。
ついつい 遅れてしまうから、早く服を着せてあげなきゃ!と毎朝奔走しています・・・
そういった社会環境的な要因が影響しているということも大いにあると感じます
そして、家庭でそれほど子どもへの時間をとるということが難しくなってきているというのが紛れもない事実です
いや、結局何が伝えたかったかというと
子どもたちが自分の力でやれるようになるまでしっかりと待ってやりましょう
我慢してあげましょう、耐えましょう
親が、保護者ができなくても、大人はせめてタイパだけを重視するのではなく、子どもたちの成長時間をじっくり落ち着いて観てあげられるだけのゆとりを持ちたいと思いました。
(そんなん難しいに決まってるやないかっ!!っていうのも重々承知ではあるのですが・・・)
行事の準備に関しても、そのスタンスをなるべく持っていきたいと思っております。
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