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現代人の「早い」の感覚?

人の持つ感性ってやはり違いがあるように思います。(当たり前すぎますが・・・)


例えば、現代人が使う「早い」という言葉と、産業革命前の「早い」という言葉では感覚が違ってくるように思います。
なぜなら、思い浮かべるもの(例)が全く異なるからです。


例えば、現代人であれば
「早いものと言われたとき、何を想像しますか?」
と問われると
『ジェットコースター、ロケット、新幹線』
などを思い浮かべるでしょうか?


しかし、過去の人たちではそういった発明のあった車両を知りません。
もしかすると最速は馬車だったのかも?
そうすると、同じ「早い」という言葉でも過去の人と現代の人では解釈に差が生まれてくるように思います。


こういった感覚を正しく持っていないと、理解や教えにも差が大きく生じてくると思いました。
バッハやモーツァルトの譜面から読み取れる、「早く」とはどういったものだったのでしょうか?・・・
なんだか気になってきます。

きっと、それに比べると僅かな差かもしれませんが今の子どもたちと大人の間で生じる差というのもあるんでしょうね。
子どもたちの何気なく使っている言葉も気を配ってあげたいですね。
「遅い」「難しい」「ねむい」「楽しい」「つらい」「しんどい」・・・
挙げていればキリがありませんが
広く、大きく、しっかりと解釈してあげられるように考えていきたいものです。



モノが溢れて、豊かになることは非常に前向きに捉えると良いことのように思います。
しかし、その分、社会は複雑化し、的確にとらえることは難しくなる。

よく不易と流行という言葉を聞くようにはなりましたが、不易の部分を考えるきっかけになればなと自分に言い聞かせました。


子どもたちが発信してくる言葉一つ一つに重みがあり、目一杯の気持ちや訴えを込めているのであれば
ドッシリと構えて、その一つ一つをなるべく正しく理解し、様々な角度から解釈し、理解することに努めようと思います。

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