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虫が嫌いになる境界線とは?

みなさんは、虫が嫌いですか?

子どもたちに以下のように問いかけてみました。
「ダンゴムシは触れますか?」
「カエルは触れますか?」
「バッタ、蜘蛛はどうでしょうか?」

色々な反応が飛び交うので、なかなかに面白い。

触れる!
でも、蜘蛛は無理・・・
ダンゴムシは飼ってた!
カエルは全然平気でしょ

などなど、様々です。

そして、極めつけの質問は
「ゴキブリはどう?」

これにはさすがの皆も
えーーーーーーーっ!!!!!?
無理に決まってるじゃないですか!!?

「何が嫌なの?」

黒光りしてるところ
汚そう
動きが読めない
早くて、飛んできたりする、気持ち悪い・・・

「じゃあ、いつから嫌いになったか覚えている人はいますか?」

・・・・

沈黙。

この沈黙からの話は、本当にみんなよく聞いてくれます。
私は以下のような話をします。

きっと虫が嫌いになったタイミングというのはあったはず、そしておそらくそうなった原因は『知ってしまったから』ではないでしょうか?
ゴキブリが不衛生であること、素早いこと、飛ぶこと
カエルや蜘蛛、バッタなどもそうですが
例えば、毒がある、噛まれる、刺されるなどといった影響が頭をよぎるようになっているのではないかと思います。
だから触れない。
無条件に嫌いということとなり、認識がすり替えられている。

大きな影響を受けているのはなんだろう?
それは、環境であると思います。
そして、特に親御さん。
虫が嫌いな子の親御さんは、同じように虫が嫌いではないですか?
(こう聞くと、大概の子は「ホンマやー!たしかに!」ってなります)
子どもは親の反応をよく観察している、そして、それが正しい反応かのように学習しているんです。

だから、その反応を見たり聞いたりしている間に当たり前となって拒否反応を示すようになっているんだと思います。

だって、例えば読書なんかもそうではないですか?
家に当たり前のように本がたくさんあった人たちは読むことに抵抗なんてないでしょう?
(逆も然りで、家に本がない環境で育った子はなかなか読書の習慣は身につかないのではないでしょうか)

そして、北海道出身の人はゴキブリを始めてみても興味津々という感じで触れるようです。
誰だって、知らない状態のときには興味をもって知ろうとするものということが実感できるのではないでしょうか。

今の自分のもっている物事に対する考え方(価値観)は知らず知らずのうちに蓄積され、自分という人間を形作っているということを知ることって大事だと思います。


こういう話すると、案外みんな聞き入ります。
考えます。
これでいいと思っています。


こうやって自分の性格や好き嫌いを形作ってきたことに大きく起因している一つとして生きてきた環境が影響している。
このことが分かるようになれば、少しいつもの自分とは違った視点をもって自分のことを振り替えられるようになると願っています。

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